在りし日の幻。
*
エルゴ研時代、研究用の狭い室内での時間は、基本七割以上は談話で消費されていた。俺が放任主義…もとい、やる気無しだった故に、部下を縛る事もしなかったからだろう。
診療医の榎本が居ても、誰も咎めはしなかったし、いつも気がついたら誰かがお茶を入れて出してたぐらいだ。
「そもそも、先輩達はどうしてここに?」
十年前から榎本は迂闊ぶりを余す所無く発揮していた。
この何気ない発言でその場の全員が凍り付いたのは想像に難くない。
皆、桐条の提案したやばい仕事でもしない事にはにっちもさっちもいかないような現状を抱えていたからである。
この場合、尋ねる方が間違っている。
案の定、後で堂島にラボの裏口に連れて行かれ、半べそかいて戻ってきた。
「くだらねえ」
そう吐き捨てて、堂島はまた不機嫌全開な凶相で仕事に戻っていった。
その日は随分虫の居所が悪かったらしく、隣の席に座っているだけでビリビリするような苛立ちが肌を突いた。尻の座りが悪くなったように感じ、空気を変えようかと、俺はいつものようにくだらない話をもちかけた。
「大人げないぞ堂島、あいつはあれだってもう分かってるだろうに」
「………」
榎本は医務室に戻ればいいのにご丁寧に部屋の隅っこで小さくなり、堂島は殺気全開で高速ブラインドタッチを行っている。
重い。
非常に、重い。
「まあそうカリカリすんなって。…そうさなあ、元々はどうであれ、凄い発明か世紀の大発見でもすれば、晴れて全員自由の身だ。
だからさ、何かさっさと目玉が飛び出るようなモン作ろうや、な?」
「………例えば」
返事をするのは予想外だったため、とっさに口をついて出たのはこんな事だった。
「え?そう、なあ……あらゆる攻撃を喰らっても、全然効かないメカ、とか?
…ほれ、俺等のアレみたく、火炎や氷結を吸収する、みたいな~。
ああ、そうだ。全魔法だけじゃなくて、あらゆる直接攻撃もぼよんぼよん吸収するなんてどうよ。
レアなスキルで、そういう能力を持ったシャドウがいるって聞いた事があったが、あれは本当なのかね?」
本当に、何気なく言ったつもりだった。
俺の小学生レベルな発想を聞いて、堂島は少しの沈黙の後、せわしなく動いていた手を止めて、
「ふっ」と吹き出した。
半濁音でなく、本当にぽろりと笑みをこぼしたのを見て、俺は目を丸くしてキョトンとしていたらしい。
堂島の凶相が、にやけていた。
「何だ、知らんのか」
「?………何がだ?」
堂島は「珍しい」と呟き、マウスの側に置いていたタバコに火を点け一服し始めた。
「耳の早いお前より、先に俺が知ってるとはな。お前、最近さぼり過ぎ、いや根詰め過ぎなんじゃないのか」
「だから何がだって」
「本当に知らんのか。…なるほどな。まあ、第一チームの失敗話なんぞ、あまり面白くもないし」
「何だそりゃ?あいつらでもしくじる事があんのか?」
「ああ。何でも、第一チームの中にも日向みたいにお堅いのでなく、お前みたいな事を考える奴がいたらしい」
「ほおー」
灰皿に火を落とし、堂島は根元の煙まで肺に吸い込む。
紫煙を浅く吐き出して、「そいつ、まだ若い研究者だったそうだ」と話始めた。
「…オツムは随分良かったらしいんだが、良すぎたらしくてな。
専門知識ばかりの頭でっかち。社交性はゼロ。
それで大学を追い出されたそうだ。
だが、日向とは同じ大学、しかも数少ない仲の良い先輩後輩という縁でここに来た。
ただ、そいつはエンジニアとしての知識はからっきし。
その代わり、シャドウ研究の中枢である岳羽主任同様、シャドウの生体研究に関しては半端ないものがあった。当初は岳羽主任の元へ日向の紹介で入ったが、すぐに追い出された。持論ばかりで他の研究の邪魔になる、というのが理由だったそうだ」
「類は友を呼ぶな」
「全くだ。しかし、日向はそいつが可愛かったらしくてな。第一チームの片隅、余った小さなラボを提供してやったそうだ。
そこで、そいつは日向の好意を大いに喜び心から感謝し、持論を元に研究に没頭していった。第一チームの極秘プロジェクトとしてな」
「じゃあ、それが」
そうだ、と呟いて堂島はニヤリと微笑む。
「あらゆる攻撃を無効化、又は吸収しエネルギー還元出来る最強最高の生体兵器として、シャドウを改造する技術。
当初から岳羽主任の手伝いもほっちらかして研究し続けていた、究極の生体兵器案。そいつにとっては夢だったんだろう。
きっと、それが実用化されていれば、間違いなく俺達はお払い箱にされていただろう。…しかしそうはなっていない。
知りたいか?事の顛末を」
勿論、と俺が答えると、堂島は機嫌良く新品のタバコを指先で回しながらシャドウ改良を夢見た愚かな男の話を語り始めた。
それは、まるで寓話のような、教訓を含んだ話のように当時の俺には聞こえていた。
しかし。
最後に、堂島がさりげなく呟いた言葉。
「欠けているから、いいんだ」
あの時の、あの場にあった空気が、今、重い寒空の下にいる俺の鼻をくすぐった気がした。
*
気絶していたのは、一瞬の事だったのだろう。
「おとーさん!おとーさんしっかりして!」
今にもこちらに駆け寄ってきそうな双葉の叫び声で覚醒すると、次に榎本の泣きそうな思念波が痛む後頭部の奥に響いてジンジンと脳内を揺すった。
『せっ…先輩!!大丈夫ですか!?』
「わっ…悪い、居眠りしかけたっ!」
とっさに飛び起きて、エルゴ研時代の居眠りの言い訳がとっさに口をついて出てくる。
自分で言っておいて、何故か目頭が熱くなった。
榎本も同様だったらしく、『寝ぼけないでくださいよ!』と安堵した声の底が震えていた。
『…先輩のハッタリはもうこりごりですよ!心臓幾つあっても足りないっす…』
「あ、ああ、スマン…なあ榎本、あいつのステータス、今どうなってる?」
『どうって…』
言うまでもないだろうと、言いたげな榎本の鬱々とした思念を感じる。
『変わりありません。万能属性以外の攻撃を吸収します』
「だよな…」
『頼みますから、挑発するような事しないで下さいよ…アナライズするこっちも…』
「…榎本、ちょっと聞け。…今、思いついた事と気付いた事がある」
え?と、榎本独特のとぼけた思念波が帰ってくる。
「…俺がこれからする事に一切手出しするな。その代わり、アナライズだけに注意を払え。そして、ほんの少しでも変化が見られたら俺に通信を入れろ。いいか、ほんの少しでいい。…きっと、お前は俺が自暴自棄になったかとち狂ったと思うだろうが、俺は正気だ。試したい事がある。それがもし当たっていれば…俺のペルソナで、いや、俺のペルソナが『一番適任』という事になる」
『???…すみません、今の説明だけでは良く飲み込めないのですが…』
「構わん。アナライズに集中。後は黙って観戦しててくれ!双葉も待機してろよ!絶対突っ込ませるな!頼んだぞ!!」
『へ?あっ、はいっ!!』
困惑を隠せない榎本と不安そうな双葉を背に置き、陽一はすっくと背筋を伸ばし立ち上がる。
『愚者』は、己と同じくやっと衝撃の反動から立ち直った様子でたるんだ胴体をくねらせ、鎌首の上に据えた女の頭を重たげにもたげる。
『 しつこい しつこい まだ やるのか ? 』
「勿論」
陽一はきっぱり答えると、リボルバーを指先で回し、素早くこめかみに構え引き金を引いた。
エルゴ研時代、研究用の狭い室内での時間は、基本七割以上は談話で消費されていた。俺が放任主義…もとい、やる気無しだった故に、部下を縛る事もしなかったからだろう。
診療医の榎本が居ても、誰も咎めはしなかったし、いつも気がついたら誰かがお茶を入れて出してたぐらいだ。
「そもそも、先輩達はどうしてここに?」
十年前から榎本は迂闊ぶりを余す所無く発揮していた。
この何気ない発言でその場の全員が凍り付いたのは想像に難くない。
皆、桐条の提案したやばい仕事でもしない事にはにっちもさっちもいかないような現状を抱えていたからである。
この場合、尋ねる方が間違っている。
案の定、後で堂島にラボの裏口に連れて行かれ、半べそかいて戻ってきた。
「くだらねえ」
そう吐き捨てて、堂島はまた不機嫌全開な凶相で仕事に戻っていった。
その日は随分虫の居所が悪かったらしく、隣の席に座っているだけでビリビリするような苛立ちが肌を突いた。尻の座りが悪くなったように感じ、空気を変えようかと、俺はいつものようにくだらない話をもちかけた。
「大人げないぞ堂島、あいつはあれだってもう分かってるだろうに」
「………」
榎本は医務室に戻ればいいのにご丁寧に部屋の隅っこで小さくなり、堂島は殺気全開で高速ブラインドタッチを行っている。
重い。
非常に、重い。
「まあそうカリカリすんなって。…そうさなあ、元々はどうであれ、凄い発明か世紀の大発見でもすれば、晴れて全員自由の身だ。
だからさ、何かさっさと目玉が飛び出るようなモン作ろうや、な?」
「………例えば」
返事をするのは予想外だったため、とっさに口をついて出たのはこんな事だった。
「え?そう、なあ……あらゆる攻撃を喰らっても、全然効かないメカ、とか?
…ほれ、俺等のアレみたく、火炎や氷結を吸収する、みたいな~。
ああ、そうだ。全魔法だけじゃなくて、あらゆる直接攻撃もぼよんぼよん吸収するなんてどうよ。
レアなスキルで、そういう能力を持ったシャドウがいるって聞いた事があったが、あれは本当なのかね?」
本当に、何気なく言ったつもりだった。
俺の小学生レベルな発想を聞いて、堂島は少しの沈黙の後、せわしなく動いていた手を止めて、
「ふっ」と吹き出した。
半濁音でなく、本当にぽろりと笑みをこぼしたのを見て、俺は目を丸くしてキョトンとしていたらしい。
堂島の凶相が、にやけていた。
「何だ、知らんのか」
「?………何がだ?」
堂島は「珍しい」と呟き、マウスの側に置いていたタバコに火を点け一服し始めた。
「耳の早いお前より、先に俺が知ってるとはな。お前、最近さぼり過ぎ、いや根詰め過ぎなんじゃないのか」
「だから何がだって」
「本当に知らんのか。…なるほどな。まあ、第一チームの失敗話なんぞ、あまり面白くもないし」
「何だそりゃ?あいつらでもしくじる事があんのか?」
「ああ。何でも、第一チームの中にも日向みたいにお堅いのでなく、お前みたいな事を考える奴がいたらしい」
「ほおー」
灰皿に火を落とし、堂島は根元の煙まで肺に吸い込む。
紫煙を浅く吐き出して、「そいつ、まだ若い研究者だったそうだ」と話始めた。
「…オツムは随分良かったらしいんだが、良すぎたらしくてな。
専門知識ばかりの頭でっかち。社交性はゼロ。
それで大学を追い出されたそうだ。
だが、日向とは同じ大学、しかも数少ない仲の良い先輩後輩という縁でここに来た。
ただ、そいつはエンジニアとしての知識はからっきし。
その代わり、シャドウ研究の中枢である岳羽主任同様、シャドウの生体研究に関しては半端ないものがあった。当初は岳羽主任の元へ日向の紹介で入ったが、すぐに追い出された。持論ばかりで他の研究の邪魔になる、というのが理由だったそうだ」
「類は友を呼ぶな」
「全くだ。しかし、日向はそいつが可愛かったらしくてな。第一チームの片隅、余った小さなラボを提供してやったそうだ。
そこで、そいつは日向の好意を大いに喜び心から感謝し、持論を元に研究に没頭していった。第一チームの極秘プロジェクトとしてな」
「じゃあ、それが」
そうだ、と呟いて堂島はニヤリと微笑む。
「あらゆる攻撃を無効化、又は吸収しエネルギー還元出来る最強最高の生体兵器として、シャドウを改造する技術。
当初から岳羽主任の手伝いもほっちらかして研究し続けていた、究極の生体兵器案。そいつにとっては夢だったんだろう。
きっと、それが実用化されていれば、間違いなく俺達はお払い箱にされていただろう。…しかしそうはなっていない。
知りたいか?事の顛末を」
勿論、と俺が答えると、堂島は機嫌良く新品のタバコを指先で回しながらシャドウ改良を夢見た愚かな男の話を語り始めた。
それは、まるで寓話のような、教訓を含んだ話のように当時の俺には聞こえていた。
しかし。
最後に、堂島がさりげなく呟いた言葉。
「欠けているから、いいんだ」
あの時の、あの場にあった空気が、今、重い寒空の下にいる俺の鼻をくすぐった気がした。
*
気絶していたのは、一瞬の事だったのだろう。
「おとーさん!おとーさんしっかりして!」
今にもこちらに駆け寄ってきそうな双葉の叫び声で覚醒すると、次に榎本の泣きそうな思念波が痛む後頭部の奥に響いてジンジンと脳内を揺すった。
『せっ…先輩!!大丈夫ですか!?』
「わっ…悪い、居眠りしかけたっ!」
とっさに飛び起きて、エルゴ研時代の居眠りの言い訳がとっさに口をついて出てくる。
自分で言っておいて、何故か目頭が熱くなった。
榎本も同様だったらしく、『寝ぼけないでくださいよ!』と安堵した声の底が震えていた。
『…先輩のハッタリはもうこりごりですよ!心臓幾つあっても足りないっす…』
「あ、ああ、スマン…なあ榎本、あいつのステータス、今どうなってる?」
『どうって…』
言うまでもないだろうと、言いたげな榎本の鬱々とした思念を感じる。
『変わりありません。万能属性以外の攻撃を吸収します』
「だよな…」
『頼みますから、挑発するような事しないで下さいよ…アナライズするこっちも…』
「…榎本、ちょっと聞け。…今、思いついた事と気付いた事がある」
え?と、榎本独特のとぼけた思念波が帰ってくる。
「…俺がこれからする事に一切手出しするな。その代わり、アナライズだけに注意を払え。そして、ほんの少しでも変化が見られたら俺に通信を入れろ。いいか、ほんの少しでいい。…きっと、お前は俺が自暴自棄になったかとち狂ったと思うだろうが、俺は正気だ。試したい事がある。それがもし当たっていれば…俺のペルソナで、いや、俺のペルソナが『一番適任』という事になる」
『???…すみません、今の説明だけでは良く飲み込めないのですが…』
「構わん。アナライズに集中。後は黙って観戦しててくれ!双葉も待機してろよ!絶対突っ込ませるな!頼んだぞ!!」
『へ?あっ、はいっ!!』
困惑を隠せない榎本と不安そうな双葉を背に置き、陽一はすっくと背筋を伸ばし立ち上がる。
『愚者』は、己と同じくやっと衝撃の反動から立ち直った様子でたるんだ胴体をくねらせ、鎌首の上に据えた女の頭を重たげにもたげる。
『 しつこい しつこい まだ やるのか ? 』
「勿論」
陽一はきっぱり答えると、リボルバーを指先で回し、素早くこめかみに構え引き金を引いた。
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