さよならの代わりに。
*
「…おわった、な」
陽一の身体が大きく傾いだのを見て、慌てて堂島が駆け寄りその身体を支える。
榎本もひざまづき、脈に頸動脈と、おろおろしながら医者らしく心配を露わにしつつも処置出来ないかとまごまごする。
「…こんの、くそ馬鹿野郎!!むざむざ死ぬような選択しやがって!起きろ!勝手に死ぬなあ!!」
「駄目です、脈、弱まってる…無理です、これではもう…」
「榎本!お前、医者だろうが!何とかしろ!最後まで無理とかぬかすな!」
「うあ!はっ、はいいい…ぐすっ、ぐすっ…」
怒られたから泣いているのではない。榎本は、堂島が呆然として成り行きを見守っていた隣でさっきからずっと涙腺が決壊していたのである。
「おい、フィレモン!!何か…何か手は無いのか!」
堂島の叫びにも、フィレモンは悲しげに無情にも首を振る。
『…すまない。まさか、こんな手段に出るとは…』
「何…?」
『出来る事なら、彼に少年を導いてほしかったのだが…』
フィレモンにも予想外の行動だったらしい。
他に手は無いと察し、堂島は榎本の目前でがっくりと肩を落とした。
「くっ…馬鹿が!大馬鹿野郎が!お前まで死ぬ事ないだろうが……っ…」
砂時計の砂の如く、命は止めどなく手の内を擦り抜けて、残り少ない命の砂を散らして目の前で友が死んでいく。
それは止められない。時間のうねりを、引き留める事が出来ないのと同じように。
榎本はずっと泣き腫らして目が真っ赤になっていた。
思いは堂島と同じである。
しかし、幾ら人を救う手段を知っていても、今の自分には何一つ出来る事は無い。
脈が弱まり、消えていくのを感じ取るだけ。
死を看取るのもまた、医者の仕事だと、分かっていながら現実は悲しすぎた。
「…あと、たのむ」
それが、最期の言葉だった。
一度閉じた瞼を二度と開く事無く、息子を抱いたまま、成瀬陽一は、死んだ。
脈が切れた瞬間、榎本は手首から手を離し、まだ温かい手を握って黙祷した。
それを見て、堂島もまた、友の臨終を見送る事となった。
叫びのような、短い呻きが聞こえ、榎本は目を開いた。
地に頭を擦りつけ、握りしめた拳を叩きつけ、堂島が声を必死に押し殺している。
その時、彼は初めて堂島が大粒の涙を流して慟哭する様を見た。
月光が柔らかな乳白色に戻っていく。
影時間が、明けていく。
気がつけば、フィレモンは再び蝶の姿に戻っていた。
『…爆発事故のあの日、デスの封印の際に、少年の心の叫びに呼応し、集合的無意識を通じペルソナの素養を得た者たちがいる。
その者たちはニュクスに対抗できる、「原初」のペルソナを使う素養を潜在的に宿していた者達だ。
歳の頃は少年に近く、皆まだ若い。彼らは、いずれ少年に引き寄せられるように集まり、世界の選択を決める際の重要なファクターとして彼の周りに配されるだろう…いつか、その時が来たら彼らを陰ながら導いてほしい…名残惜しいが、時間だ。いずれまた、会おうぞ…』
金色の蝶もまた、月光の内に霞となり、消えた。
最後の助言のつもりなのだろうか。
こんな時に。
堂島はフィレモンの言動を恨めしく思うと、ゆらりと立ち上がる。
ズボンのポケットにねじ込んでいた携帯電話を取り出すと、サブ画面にデジタル表示で「00:01」と、表示されていた。
「済んだぞ、榎本」
「ひゃ、ひゃい…」
貸したハンカチが腐るんじゃないかと思うほど、ずぶずぶになるまでブーブー鼻をかむと榎本もよろよろと立ち上がる。
「お前の勤務先に電話を入れてくれ。その後、ガキをお前の家に連れ帰って様子を見ておいてくれるか」
「堂島さんは…」
「付き添う」
ああ、と短く呻くように答えると、榎本はもう何も聞かず、言われた通りに救急車の要請をし、別便でタクシーを呼んで一足先に双葉と共に自宅へと戻った。帰り際、いつの間にやら半壊したチャペルにぎょっとなるタクシーの運転手をなだめて双葉を担ぎ込んでいる横で、ちらりと陽一の亡骸の隣に座る堂島の様子を伺う。その背中は、ぴりぴりしたオーラも普段漂わせている緊張感や殺気も無く、静かな沈黙だけが鎮まっていた。
友の死を悼む彼の背中は、帰ってからも、双葉をベッドに寝かしつけた後にも思い出され、榎本は耐え難い全身の疲労よりも、自分の感じた痛みよりも尚深い、堂島の悲しみの深さを思い、まんじりともせずソファでごろりと浅い眠りについた。
「…おわった、な」
陽一の身体が大きく傾いだのを見て、慌てて堂島が駆け寄りその身体を支える。
榎本もひざまづき、脈に頸動脈と、おろおろしながら医者らしく心配を露わにしつつも処置出来ないかとまごまごする。
「…こんの、くそ馬鹿野郎!!むざむざ死ぬような選択しやがって!起きろ!勝手に死ぬなあ!!」
「駄目です、脈、弱まってる…無理です、これではもう…」
「榎本!お前、医者だろうが!何とかしろ!最後まで無理とかぬかすな!」
「うあ!はっ、はいいい…ぐすっ、ぐすっ…」
怒られたから泣いているのではない。榎本は、堂島が呆然として成り行きを見守っていた隣でさっきからずっと涙腺が決壊していたのである。
「おい、フィレモン!!何か…何か手は無いのか!」
堂島の叫びにも、フィレモンは悲しげに無情にも首を振る。
『…すまない。まさか、こんな手段に出るとは…』
「何…?」
『出来る事なら、彼に少年を導いてほしかったのだが…』
フィレモンにも予想外の行動だったらしい。
他に手は無いと察し、堂島は榎本の目前でがっくりと肩を落とした。
「くっ…馬鹿が!大馬鹿野郎が!お前まで死ぬ事ないだろうが……っ…」
砂時計の砂の如く、命は止めどなく手の内を擦り抜けて、残り少ない命の砂を散らして目の前で友が死んでいく。
それは止められない。時間のうねりを、引き留める事が出来ないのと同じように。
榎本はずっと泣き腫らして目が真っ赤になっていた。
思いは堂島と同じである。
しかし、幾ら人を救う手段を知っていても、今の自分には何一つ出来る事は無い。
脈が弱まり、消えていくのを感じ取るだけ。
死を看取るのもまた、医者の仕事だと、分かっていながら現実は悲しすぎた。
「…あと、たのむ」
それが、最期の言葉だった。
一度閉じた瞼を二度と開く事無く、息子を抱いたまま、成瀬陽一は、死んだ。
脈が切れた瞬間、榎本は手首から手を離し、まだ温かい手を握って黙祷した。
それを見て、堂島もまた、友の臨終を見送る事となった。
叫びのような、短い呻きが聞こえ、榎本は目を開いた。
地に頭を擦りつけ、握りしめた拳を叩きつけ、堂島が声を必死に押し殺している。
その時、彼は初めて堂島が大粒の涙を流して慟哭する様を見た。
月光が柔らかな乳白色に戻っていく。
影時間が、明けていく。
気がつけば、フィレモンは再び蝶の姿に戻っていた。
『…爆発事故のあの日、デスの封印の際に、少年の心の叫びに呼応し、集合的無意識を通じペルソナの素養を得た者たちがいる。
その者たちはニュクスに対抗できる、「原初」のペルソナを使う素養を潜在的に宿していた者達だ。
歳の頃は少年に近く、皆まだ若い。彼らは、いずれ少年に引き寄せられるように集まり、世界の選択を決める際の重要なファクターとして彼の周りに配されるだろう…いつか、その時が来たら彼らを陰ながら導いてほしい…名残惜しいが、時間だ。いずれまた、会おうぞ…』
金色の蝶もまた、月光の内に霞となり、消えた。
最後の助言のつもりなのだろうか。
こんな時に。
堂島はフィレモンの言動を恨めしく思うと、ゆらりと立ち上がる。
ズボンのポケットにねじ込んでいた携帯電話を取り出すと、サブ画面にデジタル表示で「00:01」と、表示されていた。
「済んだぞ、榎本」
「ひゃ、ひゃい…」
貸したハンカチが腐るんじゃないかと思うほど、ずぶずぶになるまでブーブー鼻をかむと榎本もよろよろと立ち上がる。
「お前の勤務先に電話を入れてくれ。その後、ガキをお前の家に連れ帰って様子を見ておいてくれるか」
「堂島さんは…」
「付き添う」
ああ、と短く呻くように答えると、榎本はもう何も聞かず、言われた通りに救急車の要請をし、別便でタクシーを呼んで一足先に双葉と共に自宅へと戻った。帰り際、いつの間にやら半壊したチャペルにぎょっとなるタクシーの運転手をなだめて双葉を担ぎ込んでいる横で、ちらりと陽一の亡骸の隣に座る堂島の様子を伺う。その背中は、ぴりぴりしたオーラも普段漂わせている緊張感や殺気も無く、静かな沈黙だけが鎮まっていた。
友の死を悼む彼の背中は、帰ってからも、双葉をベッドに寝かしつけた後にも思い出され、榎本は耐え難い全身の疲労よりも、自分の感じた痛みよりも尚深い、堂島の悲しみの深さを思い、まんじりともせずソファでごろりと浅い眠りについた。
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