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ゲーム二次創作中心ブログ。 更新まったり。作品ぼちぼち。

別れの日。
*

霊安室を出たとき、榎本さんの紹介で、後々お世話になる事になった父の昔の親友という堂島さん、という方にお会いした。
義父の臨終を見送ったそうで、会った当日は終日無言のままだった。
僕が霊安室で最後に父とのお別れをしていた時も、ずっと廊下の長椅子に腰掛けたまま無言で義父の死を悼んでいたそうだ。
帰りのタクシーの中で、堂島さんが生前の父と一番仲の良かった友人だったと聞かされ、意外とも思ったが何故だが納得していた。

義父さんの友達という人に、悪人だった人は今まで一人もいない。
堂島さんも最初の直感の通り、強面な見かけによらず、面倒見のいい人だった。

数日後の日曜日。
その堂島さんの取り仕切りで義父の葬儀がしめやかに営まれた。
僕は久しぶりに高校の制服に袖を通し、お寺の座敷の片隅に座っていた。
喪主は一応養子の僕だったけど、義父が死んで数日の記憶は薄く、後々思い出してもモヤがかった記憶しか浮かばない。
ずっと心の一部が痺れていて、それが鮮明になって戻ってきたのはそれからさらに数ヶ月後の事だったように思う。

自分では自覚していなかったけど、随分心身に堪えていたみたいで、榎本さんにも長い間お世話になりっぱなしだった。
申し訳なかったけれど、もはや天涯孤独の身になった僕には、親切な好意は心に染みるような癒しになった。

好意と人の温かさを思う時、曖昧な記憶の中で義父の葬式が思い起こされる。
義父にお題目をあげてもらっていた最中に、知らない人に挟まれてくたびれていた僕の隣に見知らぬおばあさんがやってきた。
それは義父の実母…僕の義理のおばあさんにあたる人だった。
だけど、その事は葬儀の後に教えられ、僕は驚きを隠せなかった。
僕は義父の家族と会った事が無く、交友関係も断絶していた。
義父が稀にぽつぽつと話す実家の話題はいつも暗く、嫌悪感と悲哀しか感じられなかったから、僕もあえて問う事をしなかった。
それに、祖父母がいなくても、義父一人で充分過ぎるほど僕は満たされていたから。
義父が悲しむと分かっている話題を追求するほど、僕は馬鹿じゃない。

その義祖母は、義父とは似ても似つかぬほど、見るからに内面の卑しさが滲み出たような老婆だった。
安っぽいシルクの黒い礼服に、安っぽい香水と化粧の匂い、紫に染めた白髪染めの匂いときつい口臭で僕が顔をしかめると義祖母はあからさまに不快そうな面構えで僕を糾弾し始めた。

お前が息子の養われか。
いったい幾らせしめたんだい。
全く結婚もせずに、なんでこんな馬の骨に自分の生命保険をつぎこんだのやら。
疫病神め。息子の遺産をおよこし。それはあたしのだよ。

大体こんな内容だったと思う。
僕は、いきなり何を言われているのさっぱり分からないまま呆然としていたから、余計に義祖母は怒り狂ってわめき始めた。
すると、誰というでもなく義祖母を周囲の人がつまみ出してしまった。僕は何もせず、暴れる義祖母が外へ放り出されるのを見ていただけだ。
義祖母を担ぎ出した義父の同僚や大学時代の友人という人たちは、数分後手を払いつつ何事も無かったかのように戻って来ると、読経の後で口々に僕を励ましてくれた。

気にする事はないよ。あれはああだって、陽一さんから聞いてたから。
そうそう。君の事も聞いてる。自慢の息子だったって。
陽一さん、いい人だったよ。軽いくせに、努力家だったよね。
それに、あれで凄い気がつくし気が利くし。側にいて気持ちのいい人だった。
それに昔世話になった事があってね…。

義父の思い出話を心から楽しそうに、遺影の義父に語りかけるように話して聞かせてくれる義父の友人の温かさに、僕は自然と目頭が熱くなっていた。励ましてるのに泣き出すから、更に心配かけたかも知れない。だけど、僕の中にある熱は、周囲の優しい熱に感応するように温かくゆるやかに伸びやかに燃え、凍り付きそうになっていた心を溶かしていくのが分かった。
どうして、こんなに人の心は優しいのだろう。温かいのだろう。

父の友人の真ん中で泣いていた僕の頭を、なぜてくれる細い手があった。
顔を上げると、義祖母の元から戻ってきた堂島さんだった。
「もう心配しなくていいぞ」
どんな話をしたのか分からないけれど、その言葉通り義祖母は二度と僕の前に現れなかった。
堂島さんは、その日義父と同じタバコの匂いをさせていたのを覚えている。












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