時が過ぎるのを待ちながら。
*
双葉が、遂に受験生になった。
担任の先生との三者面談で聞いた話では、双葉はずっと公立一本の単願で考えていたらしい。
県内でも高偏差値高倍率の進学校らしいが、彼なら大丈夫でしょうと担任もニコニコしてやがった。
つくづく、金のかからない息子である。
とはいえ線の細い息子だ。私立の推薦も一応受けとくように言うと「お金もったいない」と即答された。
いやそれもう気にしなくていいからさ…父ちゃん稼ぐから…つくづく貧乏性に育っちまって(ノД`)
その後、先生からも説得してもらい、双葉は公立と私立の受験に向けて勉強に入った。
*
二人暮らしを始めて6年目の冬。
「双葉、そろそろ仮眠の時間」
「あ、うん…分かってる、後少し」
寝床から起き出し、三畳程度の狭い勉強部屋のドアを開けると、双葉は重たそうな瞼をこすって英和辞書を開いていた。随分うつらうつらしている風だが、赤ペンを握りしめてミミズのようにのたくった線を引っ張っている。
「もう起きてからにしろ。ほれ、後10分で影時間」
口で言っても机から中々離れないので、陽一は背後から双葉の両脇を腕で挟んで持ち上げると、彼は「はーい…」と力無く返事をして椅子からのろのろと立ち上がり、隣の寝室へとふらふら移動し始めた。ドアの開閉音がすると、すぐに布団へ突っ伏す音がして辺りは静かになる。
影時間に入ると、陽一はそっと寝室を覗き込む。
双葉の寝顔を確認し安心すると、影時間が明けるまで台所で缶コーヒーを飲みながらじっと起きて待つ。
普通の時間に戻ったら、双葉を起こしてからまた睡眠。最近の生活サイクルは彼の受験に合わせた形を取っている。
双葉は、数日前から毎日深夜遅くまで起きて勉強するようになった。
初めての受験で不安なのだろう。根を詰めすぎないようにだけ気をつけなければと、陽一は思っている。
影時間の間、起きているのは正直気持ちよくはない。
今でこそ爆睡できるまでに慣れはしたが、やはり陰鬱な空気を吸い込むと、頭は冴えてくるが気が滅入る。
と、同時に最近は腹の底にしまっている「力」が暴れ足りずに渦を巻いているような感覚を覚えるのが、胸焼けのようで気持ち悪かった。
使う必要が無ければ、以前なら自然に沈静化し、気付けば一般人と変わらなくなる便利な代物だった。
だが、今は違う。使わなければ使わないだけ、まるで滞った水が溜まっていくように心の堰を押し潰さんばかりにふくらんでいくのが分かる。計算して飲んでいたはずだった安定剤の副作用なのか、自分の心境の変化故、なのか。
陽一は判断しかねていた。
「こんばんわ、おとうさん」
うつらうつらしていた矢先に、不意打ちのようにファルロスは現れた。いつもと変わらぬ、不思議な微笑をたたえて。
「誰がお前の父ちゃんだよ」
「フタバのおとうさんだったら、僕のおとうさんとも同じでしょ?」
「俺はお前まで養ってる気は無えよ」
陽一のそっけない返答に、泣きぼくろの少年は苦笑いを浮かべる。
「つれないな。せっかく、一人じゃ寂しいだろうと思って顔を見せてあげたのに」
「バカ言えよ、お前じゃあるまいに」
「フタバが大人になっていくのが、不安?」
「はあ?何言ってるんだお前」
しらっとした顔で受け流す陽一の横顔を、ファルロスはそっと覗き込み、囁く。
「孤独が嫌なのは貴方も同じ、そうでしょう?」
じっ、と上目遣いに見つめてくるファルロスと視線を合わせぬまま、陽一は残った缶コーヒーを飲み干す。
「お前と一緒にくくるな。俺はもう一人に慣れてるよ」
「じゃあ、何故そんなに心に迷いを感じているの?フタバは自分の事で手一杯だけど、僕には、隠したって分かるよ」
「………」
迷い。というよりも、漠然としすぎた不安。それは、いつからだったか。
「最初は贖罪のつもりだった。成長が待ち遠しかった。でも今は違う。フタバと貴方は、とても強い絆で結ばれた。僕と、彼との間に在る絆とはまた違う、かけがえのない繋がり…それが今、貴方を不安にさせている」
「………」
「いつか来る別れを、僕も貴方もどこかで感じている。それがいつなのか、僕にも分からない。そして、フタバが貴方と離れる時は、僕にとっても辛い出来事になるだろうな。僕、貴方の事嫌いじゃないから」
「俺はお前が好きじゃないがな」
「でも、嫌ってもないように思えるけど?」
「さあて、な」
はん、と鼻先で小さく笑うと、陽一はファルロスと向き合う。
「…お前さんには分かるのか?あいつが、双葉の未来が」
「分からない。自分自身の事も分からない僕だもの。…でも感じとる事は出来るよ。フタバは、強くなった」
「そうだな。一時はどうなるかと思っていた」
「あの日…フタバの壊れた心の破片が、彼の心の海に沈んでいた僕に最初の感情を与えた。それが『孤独』…僕の一番最初に得た、思い。だからこそ分かるんだ。フタバが満たされて、心の海が喜びで温んでいくのが。凍り付いた心の欠片は溶けて羊水になり、いずれ彼の『力』を再び呼び覚ます。フタバは愛されて、求められれば幾らでも強くなれるよ。貴方が、それをどれだけ畏れ、阻もうとしても」
「畏れ、阻む?何を」
「気付いているんでしょう?…昔、フタバにかけた催眠術や暗示、いつの間にかまるっきり効果を失っていた事」
「あ、あれは…」
どうせチャチな素人まがいの気休め、と思いながら言い淀んでいるとファルロスはくすり、と暗い笑みを浮かべる。
「時は、待たない。もう、フタバもただの子供じゃない。心も仮面の力も、無意識の内にもっと強くなる。いずれ貴方を超えるよ。その時が、きっと貴方と彼の別れの時」
「それは前から何度も言ってるだろうが。お前の願望だ。早く双葉に気付いてほしいだけだろ?」
「本当に、そう思ってる?」
「…」
「以前の貴方なら、心からそう思ってただろうけど、今は違うよね。自分でも気付いているはずだよ。フタバを手放したくない、自分とずっと一緒にいて欲しい。家族として、息子として、側にいてほしい、って。でもフタバが大人になったら、きっと自立して別々に暮らす日が来るだろうなって。その日が来なければいいのにな、って思ってるよね。そして、その時は」
「…双葉に、ペルソナの扱いを伝える日、か」
そう。
堂島から受け取った召喚機。
あれは、確かにいずれ俺達に必要なものだった。
双葉が大学を出て就職し、結婚し自立した生活を送る。その際に、あいつには絶対にペルソナの扱い方を教えなければなるまい。
「死神」が眠ったままならまだ良かったかも知れない。
だが、こいつは現に姿を現し、そして年月を経る毎に姿こそ子供のままだが物言いや立ち居振る舞いは相応に大人びてきている。
一緒に「成長」しているのだ。
ならば、いずれこいつが孵化する、もしくは孵化しようと暴れ出す日が、来るやも知れない。
その時のために、それを阻むための力と心得を教えなければならないだろう。
だが。
陽一は自分の掌に目を落とし、じっと見つめる。
この手で、数えきれぬほどシャドウを屠り、そして追っ手の人間を倒してきた。
人ならざる力は、平穏ならざる運命しか呼ばない。
やっと平穏な生活に慣れてきた双葉を、再び非日常へと引きずり戻すような手ほどきを行って良いのだろうか…。
そんな確信めいた不安が、陽一をためらわせていた。
「おっと、そろそろ時間だね…それじゃ、お休みおとうさん」
無言のままファルロスを見送ると、台所に再び電気が灯った。
陽一は立ち上がると、やかんを手に取り水を入れコンロに火を付ける。
「…おとーさん、おきふぁよ…」
5分ほどして、のそのそと双葉が台所へと寝ぼけ眼でやってきた。
「おう、大丈夫か?無理していないか?」
「へーき」
「ならいいが。待ってな、すぐにカフェオレ作ってやるから」
「ありあとー」
湯気がもうもうとたつヤカンの火を止めると、コンロ脇のポケットからインスタントコーヒーを取り出す。
封を開けようとすると、背中に重みがのしかかる。
双葉が、背中にくっついて「んー」と猫のように伸びをしているようだ。
「どしたー?」
「いや、最近スキンシップしてないなーと思って」
「そっか」
こんなのんきな時間がずっと続けばな。
陽一は、二人分のカフェオレを混ぜながらそう思った。
双葉が、遂に受験生になった。
担任の先生との三者面談で聞いた話では、双葉はずっと公立一本の単願で考えていたらしい。
県内でも高偏差値高倍率の進学校らしいが、彼なら大丈夫でしょうと担任もニコニコしてやがった。
つくづく、金のかからない息子である。
とはいえ線の細い息子だ。私立の推薦も一応受けとくように言うと「お金もったいない」と即答された。
いやそれもう気にしなくていいからさ…父ちゃん稼ぐから…つくづく貧乏性に育っちまって(ノД`)
その後、先生からも説得してもらい、双葉は公立と私立の受験に向けて勉強に入った。
*
二人暮らしを始めて6年目の冬。
「双葉、そろそろ仮眠の時間」
「あ、うん…分かってる、後少し」
寝床から起き出し、三畳程度の狭い勉強部屋のドアを開けると、双葉は重たそうな瞼をこすって英和辞書を開いていた。随分うつらうつらしている風だが、赤ペンを握りしめてミミズのようにのたくった線を引っ張っている。
「もう起きてからにしろ。ほれ、後10分で影時間」
口で言っても机から中々離れないので、陽一は背後から双葉の両脇を腕で挟んで持ち上げると、彼は「はーい…」と力無く返事をして椅子からのろのろと立ち上がり、隣の寝室へとふらふら移動し始めた。ドアの開閉音がすると、すぐに布団へ突っ伏す音がして辺りは静かになる。
影時間に入ると、陽一はそっと寝室を覗き込む。
双葉の寝顔を確認し安心すると、影時間が明けるまで台所で缶コーヒーを飲みながらじっと起きて待つ。
普通の時間に戻ったら、双葉を起こしてからまた睡眠。最近の生活サイクルは彼の受験に合わせた形を取っている。
双葉は、数日前から毎日深夜遅くまで起きて勉強するようになった。
初めての受験で不安なのだろう。根を詰めすぎないようにだけ気をつけなければと、陽一は思っている。
影時間の間、起きているのは正直気持ちよくはない。
今でこそ爆睡できるまでに慣れはしたが、やはり陰鬱な空気を吸い込むと、頭は冴えてくるが気が滅入る。
と、同時に最近は腹の底にしまっている「力」が暴れ足りずに渦を巻いているような感覚を覚えるのが、胸焼けのようで気持ち悪かった。
使う必要が無ければ、以前なら自然に沈静化し、気付けば一般人と変わらなくなる便利な代物だった。
だが、今は違う。使わなければ使わないだけ、まるで滞った水が溜まっていくように心の堰を押し潰さんばかりにふくらんでいくのが分かる。計算して飲んでいたはずだった安定剤の副作用なのか、自分の心境の変化故、なのか。
陽一は判断しかねていた。
「こんばんわ、おとうさん」
うつらうつらしていた矢先に、不意打ちのようにファルロスは現れた。いつもと変わらぬ、不思議な微笑をたたえて。
「誰がお前の父ちゃんだよ」
「フタバのおとうさんだったら、僕のおとうさんとも同じでしょ?」
「俺はお前まで養ってる気は無えよ」
陽一のそっけない返答に、泣きぼくろの少年は苦笑いを浮かべる。
「つれないな。せっかく、一人じゃ寂しいだろうと思って顔を見せてあげたのに」
「バカ言えよ、お前じゃあるまいに」
「フタバが大人になっていくのが、不安?」
「はあ?何言ってるんだお前」
しらっとした顔で受け流す陽一の横顔を、ファルロスはそっと覗き込み、囁く。
「孤独が嫌なのは貴方も同じ、そうでしょう?」
じっ、と上目遣いに見つめてくるファルロスと視線を合わせぬまま、陽一は残った缶コーヒーを飲み干す。
「お前と一緒にくくるな。俺はもう一人に慣れてるよ」
「じゃあ、何故そんなに心に迷いを感じているの?フタバは自分の事で手一杯だけど、僕には、隠したって分かるよ」
「………」
迷い。というよりも、漠然としすぎた不安。それは、いつからだったか。
「最初は贖罪のつもりだった。成長が待ち遠しかった。でも今は違う。フタバと貴方は、とても強い絆で結ばれた。僕と、彼との間に在る絆とはまた違う、かけがえのない繋がり…それが今、貴方を不安にさせている」
「………」
「いつか来る別れを、僕も貴方もどこかで感じている。それがいつなのか、僕にも分からない。そして、フタバが貴方と離れる時は、僕にとっても辛い出来事になるだろうな。僕、貴方の事嫌いじゃないから」
「俺はお前が好きじゃないがな」
「でも、嫌ってもないように思えるけど?」
「さあて、な」
はん、と鼻先で小さく笑うと、陽一はファルロスと向き合う。
「…お前さんには分かるのか?あいつが、双葉の未来が」
「分からない。自分自身の事も分からない僕だもの。…でも感じとる事は出来るよ。フタバは、強くなった」
「そうだな。一時はどうなるかと思っていた」
「あの日…フタバの壊れた心の破片が、彼の心の海に沈んでいた僕に最初の感情を与えた。それが『孤独』…僕の一番最初に得た、思い。だからこそ分かるんだ。フタバが満たされて、心の海が喜びで温んでいくのが。凍り付いた心の欠片は溶けて羊水になり、いずれ彼の『力』を再び呼び覚ます。フタバは愛されて、求められれば幾らでも強くなれるよ。貴方が、それをどれだけ畏れ、阻もうとしても」
「畏れ、阻む?何を」
「気付いているんでしょう?…昔、フタバにかけた催眠術や暗示、いつの間にかまるっきり効果を失っていた事」
「あ、あれは…」
どうせチャチな素人まがいの気休め、と思いながら言い淀んでいるとファルロスはくすり、と暗い笑みを浮かべる。
「時は、待たない。もう、フタバもただの子供じゃない。心も仮面の力も、無意識の内にもっと強くなる。いずれ貴方を超えるよ。その時が、きっと貴方と彼の別れの時」
「それは前から何度も言ってるだろうが。お前の願望だ。早く双葉に気付いてほしいだけだろ?」
「本当に、そう思ってる?」
「…」
「以前の貴方なら、心からそう思ってただろうけど、今は違うよね。自分でも気付いているはずだよ。フタバを手放したくない、自分とずっと一緒にいて欲しい。家族として、息子として、側にいてほしい、って。でもフタバが大人になったら、きっと自立して別々に暮らす日が来るだろうなって。その日が来なければいいのにな、って思ってるよね。そして、その時は」
「…双葉に、ペルソナの扱いを伝える日、か」
そう。
堂島から受け取った召喚機。
あれは、確かにいずれ俺達に必要なものだった。
双葉が大学を出て就職し、結婚し自立した生活を送る。その際に、あいつには絶対にペルソナの扱い方を教えなければなるまい。
「死神」が眠ったままならまだ良かったかも知れない。
だが、こいつは現に姿を現し、そして年月を経る毎に姿こそ子供のままだが物言いや立ち居振る舞いは相応に大人びてきている。
一緒に「成長」しているのだ。
ならば、いずれこいつが孵化する、もしくは孵化しようと暴れ出す日が、来るやも知れない。
その時のために、それを阻むための力と心得を教えなければならないだろう。
だが。
陽一は自分の掌に目を落とし、じっと見つめる。
この手で、数えきれぬほどシャドウを屠り、そして追っ手の人間を倒してきた。
人ならざる力は、平穏ならざる運命しか呼ばない。
やっと平穏な生活に慣れてきた双葉を、再び非日常へと引きずり戻すような手ほどきを行って良いのだろうか…。
そんな確信めいた不安が、陽一をためらわせていた。
「おっと、そろそろ時間だね…それじゃ、お休みおとうさん」
無言のままファルロスを見送ると、台所に再び電気が灯った。
陽一は立ち上がると、やかんを手に取り水を入れコンロに火を付ける。
「…おとーさん、おきふぁよ…」
5分ほどして、のそのそと双葉が台所へと寝ぼけ眼でやってきた。
「おう、大丈夫か?無理していないか?」
「へーき」
「ならいいが。待ってな、すぐにカフェオレ作ってやるから」
「ありあとー」
湯気がもうもうとたつヤカンの火を止めると、コンロ脇のポケットからインスタントコーヒーを取り出す。
封を開けようとすると、背中に重みがのしかかる。
双葉が、背中にくっついて「んー」と猫のように伸びをしているようだ。
「どしたー?」
「いや、最近スキンシップしてないなーと思って」
「そっか」
こんなのんきな時間がずっと続けばな。
陽一は、二人分のカフェオレを混ぜながらそう思った。
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