桐条邸、三月。
*
「…いいぞ、こんなものだろう」
「すみません。いつもわざわざご足労をかけます」
仕事だからな、とそっけなく言い返すと、応接間のソファに腰掛けた少女は苦笑を浮かべた。
桐条本家の奥の間。
広大な敷地内でも一番セキュリティの行き届いたこの場所は、文字通り「特別」だった。
全面白地のクロス張り、フローリングの床下まで二重三重の防音構造と緊急時の爆発に備えた特殊鉄鋼製の板金が仕込んであり、
内密の私用を済ませるにはうってつけの部屋であった。
表面こそ、鴻悦時代の遺品である豪奢な調度品やクラシカルな家具に囲まれセレブの邸宅の一室として表面を取り繕ってあるが、
実際のところ、桐条家の内部にはこうした「特別な」来客をもてなす応接間が幾つもしつらえてあった。
それは「外部」からの客を試す場合もあったが、
今回のように「内部」の「秘密」を漏らさぬようにするためにも頻繁に使われた。
来たる新学期を目前に控え、実家に一時帰宅していた桐条家令嬢_桐条美鶴のペルソナをメンテナンスするため、堂島はこの屋敷を訪れていた。
メンテナンス、といってもすることはそう大した事ではない。
彼女の本来のペルソナ=ペンテシレアに移植した、榎本聡一郎のペルソナ能力_ここでは「サーチ」と「アナライズ」能力である_を安定させるために彼女の精神状態をチェックしに来たのである。
ペルソナからペルソナへの能力移植が出来るのは、桐条の調査結果では今の所自分だけらしい。
本来の能力とは異なる力を植え付けられ、ペルソナに異変が起こらないよう定期的に検査しているが、今の所ペンテシレアは譲り受けた能力を無理矢理排除しようとしている様子はない。それも、本体である彼女…美鶴自身の意志で制御しているのかもしれないが。
美鶴は祖父鴻悦の遺した負の遺産を父と共に背負い、タルタロス消滅のために自ら望んでペルソナ改良実験の被験者にもなった。
正直、榎本の能力と比べると移植された能力の範囲は随分お粗末なものだ。
彼女自身はもっと広範囲までサーチが及ぶように努力しているそうだが、それは望み薄なのもうすうす感じているようである。たびたび相談され色々試みてみたが、自分の見る限りではこれ以上の向上は見込めない。今でさえ機械の補助を借りてやっと、なのだから。
しかし、己の力量の範囲でペルソナを制御している結果なら、大したものだと堂島は思っている。
もっとも、肝心のお嬢様は少しもこの現状に満足出来ていないようである。
もっとお父様に、お父様の力に…ことあるごとに愚痴をもらす姿は健気でいじらしい。
一種依存ともとれるほど、父親を敬愛し尽くす美鶴の姿を客観的に見つめながら、堂島は複雑な思いでいた。
あいつの息子も、このぐらいあいつを愛していたのだろう。
…自分も、母を思うとき、あんな顔をしているのだろうか…。
「堂島殿、有難うございました。これでどのくらい保ちそうですか」
「半年は軽く。次は夏休みだ」
「分かりました。予定を空けておきます」
革張りのソファから立ち上がり、凛とした面差しで一礼を交わす。
美鶴は非常に気高く誇り高く、また気丈な娘である。
よほど心を許した人間以外には、「桐条の娘」としての高潔な態度を崩す事は無い。
メンテナンスで年に数回顔を合わせる際も、ペルソナ同士が触れ合いながらもいまだに心の底から信頼されていると思った事はない。
その中において気の置けない相談役である、信頼を寄せているダジャレ俗物に何か吹き込まれているのかも知れない。
まあ、無理もない。元エルゴ研の人間でまともな奴は少ないしな。
…確かに、俺に気を許すべきではないだろうし。
なあ、お嬢ちゃんよ?俺がどういう奴か、気付いているか?
…もっとも、それが分かるなら幾月の腹黒さとて分かるはず。
榎本のペルソナ能力の凄さを知っている以上、安易に彼女の力を向上させるのも、考え物だった。
やろうと思えば出来るかも知れない。
だが、それは己の首も絞める事に繋がりかねない。
…そうなった時は、こいつが一番最初の標的になる訳か。
眼前の美鶴に微笑を浮かべ、堂島は今日の本題に入る事にした。
「ところで、美鶴殿。少しよろしいでしょうか」
「?………」
普段、私用を持ち込まない堂島の言葉に驚いたらしい。
僅かに口元を緩ませ「は、はい」と短く答えると美鶴は眉をひそめる。
「…影時間の適性者を見つけました」
「……!」
突然の話に驚く美鶴に、堂島は鞄から資料の入った紙袋を取り出す。
「…数ヶ月前に亡くなった旧友の義理の息子です。
名前は成瀬双葉。今年の春、高校二年生になります。
まだ適性しか確認は取れていません。
ですが、影時間に対して高い適応を示しています。
来年は御影町の聖エルミンに編入学の予定ですが、良ければこちらの学校にお誘いしてみてはどうでしょうか。
こちらは詳しい資料です。どうか、お父上と検討なさってください。それでは」
紙包みを手渡し、堂島は美鶴に背を向けた。
背後で、少女の静かな高揚を感じながら、一人冷え切った感情を抑え、その場を後にした。
「…いいぞ、こんなものだろう」
「すみません。いつもわざわざご足労をかけます」
仕事だからな、とそっけなく言い返すと、応接間のソファに腰掛けた少女は苦笑を浮かべた。
桐条本家の奥の間。
広大な敷地内でも一番セキュリティの行き届いたこの場所は、文字通り「特別」だった。
全面白地のクロス張り、フローリングの床下まで二重三重の防音構造と緊急時の爆発に備えた特殊鉄鋼製の板金が仕込んであり、
内密の私用を済ませるにはうってつけの部屋であった。
表面こそ、鴻悦時代の遺品である豪奢な調度品やクラシカルな家具に囲まれセレブの邸宅の一室として表面を取り繕ってあるが、
実際のところ、桐条家の内部にはこうした「特別な」来客をもてなす応接間が幾つもしつらえてあった。
それは「外部」からの客を試す場合もあったが、
今回のように「内部」の「秘密」を漏らさぬようにするためにも頻繁に使われた。
来たる新学期を目前に控え、実家に一時帰宅していた桐条家令嬢_桐条美鶴のペルソナをメンテナンスするため、堂島はこの屋敷を訪れていた。
メンテナンス、といってもすることはそう大した事ではない。
彼女の本来のペルソナ=ペンテシレアに移植した、榎本聡一郎のペルソナ能力_ここでは「サーチ」と「アナライズ」能力である_を安定させるために彼女の精神状態をチェックしに来たのである。
ペルソナからペルソナへの能力移植が出来るのは、桐条の調査結果では今の所自分だけらしい。
本来の能力とは異なる力を植え付けられ、ペルソナに異変が起こらないよう定期的に検査しているが、今の所ペンテシレアは譲り受けた能力を無理矢理排除しようとしている様子はない。それも、本体である彼女…美鶴自身の意志で制御しているのかもしれないが。
美鶴は祖父鴻悦の遺した負の遺産を父と共に背負い、タルタロス消滅のために自ら望んでペルソナ改良実験の被験者にもなった。
正直、榎本の能力と比べると移植された能力の範囲は随分お粗末なものだ。
彼女自身はもっと広範囲までサーチが及ぶように努力しているそうだが、それは望み薄なのもうすうす感じているようである。たびたび相談され色々試みてみたが、自分の見る限りではこれ以上の向上は見込めない。今でさえ機械の補助を借りてやっと、なのだから。
しかし、己の力量の範囲でペルソナを制御している結果なら、大したものだと堂島は思っている。
もっとも、肝心のお嬢様は少しもこの現状に満足出来ていないようである。
もっとお父様に、お父様の力に…ことあるごとに愚痴をもらす姿は健気でいじらしい。
一種依存ともとれるほど、父親を敬愛し尽くす美鶴の姿を客観的に見つめながら、堂島は複雑な思いでいた。
あいつの息子も、このぐらいあいつを愛していたのだろう。
…自分も、母を思うとき、あんな顔をしているのだろうか…。
「堂島殿、有難うございました。これでどのくらい保ちそうですか」
「半年は軽く。次は夏休みだ」
「分かりました。予定を空けておきます」
革張りのソファから立ち上がり、凛とした面差しで一礼を交わす。
美鶴は非常に気高く誇り高く、また気丈な娘である。
よほど心を許した人間以外には、「桐条の娘」としての高潔な態度を崩す事は無い。
メンテナンスで年に数回顔を合わせる際も、ペルソナ同士が触れ合いながらもいまだに心の底から信頼されていると思った事はない。
その中において気の置けない相談役である、信頼を寄せているダジャレ俗物に何か吹き込まれているのかも知れない。
まあ、無理もない。元エルゴ研の人間でまともな奴は少ないしな。
…確かに、俺に気を許すべきではないだろうし。
なあ、お嬢ちゃんよ?俺がどういう奴か、気付いているか?
…もっとも、それが分かるなら幾月の腹黒さとて分かるはず。
榎本のペルソナ能力の凄さを知っている以上、安易に彼女の力を向上させるのも、考え物だった。
やろうと思えば出来るかも知れない。
だが、それは己の首も絞める事に繋がりかねない。
…そうなった時は、こいつが一番最初の標的になる訳か。
眼前の美鶴に微笑を浮かべ、堂島は今日の本題に入る事にした。
「ところで、美鶴殿。少しよろしいでしょうか」
「?………」
普段、私用を持ち込まない堂島の言葉に驚いたらしい。
僅かに口元を緩ませ「は、はい」と短く答えると美鶴は眉をひそめる。
「…影時間の適性者を見つけました」
「……!」
突然の話に驚く美鶴に、堂島は鞄から資料の入った紙袋を取り出す。
「…数ヶ月前に亡くなった旧友の義理の息子です。
名前は成瀬双葉。今年の春、高校二年生になります。
まだ適性しか確認は取れていません。
ですが、影時間に対して高い適応を示しています。
来年は御影町の聖エルミンに編入学の予定ですが、良ければこちらの学校にお誘いしてみてはどうでしょうか。
こちらは詳しい資料です。どうか、お父上と検討なさってください。それでは」
紙包みを手渡し、堂島は美鶴に背を向けた。
背後で、少女の静かな高揚を感じながら、一人冷え切った感情を抑え、その場を後にした。
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