過去からの福音。
*
タクシーに乗り込み、本社直営のラボに戻る間、堂島は一人思案に暮れていた。
本当にこれでよかったのか。
何度も榎本と連絡を取り合い、話し合った結果とはいえ、不本意なのは事実だった。
しかし。
秘密裏に拉致・監禁され研究用のモルモットにされた挙げ句、海山へ沈められるような事態を避けるにはこうするほか無かった。
榎本と二人だけで話し合うものの結論は出ず、それとなく双葉に編入先の再検討を促したところ、悩んだ末に双葉は決まりかけていた聖エルミンではなく、港区の月光館学園への編入を選んだ。
俺達も桐条一族の手にずっと怯えて生かすよりも、むしろ懐へ飛び込ませた方が安全だと判断したのである。
あいつはもういない。俺達だけでは、保護しようにも時間も資金も力も足りない。
根回ししようにも、幾月のパトロンには資本金そのものの絶対量からして勝ちようがない。
それなら、あまり過度の期待はせず、お山の大将とその娘に守ってもらおうという腹づもりなのだ。
不安は山積みだ。
ただでさえ、広大な桐条グループの維持とタルタロス消滅のため奔走している武治親子には、足下に広がる親戚縁者の腹黒い策略の全ては把握仕切れていまい。いつか彼らの足下が掬われた時、双葉も又危機に陥るだろう。それまでに、自分たちも出来る限りの手を打たねばなるまい。
さしあたっては、双葉に味方を作ってやらねばならない。
絶対に信頼出来る味方。
何があっても、彼の一番側に付き従い、彼の盾となり守る事の出来る存在を。
…成瀬よ。それなら、俺でも何とかなりそうだ。
お前ほど面倒見は良かないが、まあ、やれるだけやってやるさ。
それでいいか?
窓外の春霞にけむる青空を見上げて、堂島の口元へ自然に笑みがこぼれた。
…後日、お前の息子を見送り次第、俺は屋久島に飛ぶ。
そこで、十年ぶりに娘とご対面してくるよ。
上手く事が運べば、夏前には再起動出来るだろう。それまでの三ヶ月、幾月が成りを潜めていてくれさえすればいい。
アイギス。
十年前に時の刻みを止めた、俺達の最後の娘。
十年前の因果が結んだ縁だろうか。
ずっと目を背けてきた事実に、俺も立ち向かって見る事にした。
テテュスを失った日以来、封印してきた過去に。
…成瀬。
これからは、お前の代わりに、俺達の娘がお前の愛した息子を守る。
そうなるように、尽力するつもりだ。
…可笑しなものだな。
正直、ここまで自分の気持ちが変わるとは思っていなかった。
だが、百の嘘とおべっかよりも、一つの真実は強烈で胸を打つ。
あの時フィレモンが残した言葉の意味も、うっすらと分かったような気がした。
お前が、ずっと事実を知らずして、
真に大切なものを守っていたと知った時の衝撃は、酷く俺と榎本を打ちのめした。
いや、一番苦悶したのはお前の息子だっただろうか。
だが、あれは俺達などよりも早く立ち直ったらしい。
もっと苦悩と憎悪にまみれるかと思っていたのに、つい先日見た顔は若者らしい清々しささえ感じられた。
あれも、薄々感づいていたのかも知れない。いや、身体のどこかで分かっていたのだろう。
お前の「本当」の息子…成瀬双葉は、その事実を受け入れ、前へ進もうとしている。
「あの人と、僕が結ばれている。それを、お母さんが教えてくれたのだと思っています」
そう顔を上げて俺と榎本に答えたお前の息子の表情は、痛みを受け止めた大人への成長を感じさせる、いい笑顔だった。
*
双葉の元に届いた、「実母」葛木葉子の手紙に綴られていた、十年前の事実と告白。
そこに記されていたのは、愛した者との思い出。心の葛藤。日向への絶望。
そして。
運命の再会を果たした港区での記念日と場所を記した、十年越しの約束。
彼女は手紙に記したある場所へ、十年後に待っているとしたためた後、
己一つの胸に沈めておく事の出来なかった現実を、成瀬に書き送っていたのだった。
それは日向二葉の、「本当」の父親の存在。
彼女は、日向に身の潔白を明かすため、ある検査を受けていた。
しかし、それは彼女の心を大いに揺さぶるものとなった。
苦悶の末、もしも自分と結婚していたなら、黙っていた事をそのまま謝る覚悟で、
もしも別れ別れになっていたなら、事実を知って欲しいという願いだけを込めて、
彼女は十年後の恋人に手紙を送った。
手紙に同封されていた、病院での検査結果票の欄には、くっきりと一人の男性の名前が印字されていた。
「成瀬陽一」
左記の人物と、貴女の子息・日向二葉は、99%DNAの一致が確認されたし_検査票の最後は、その短い一文で締めくくられていた。
タクシーに乗り込み、本社直営のラボに戻る間、堂島は一人思案に暮れていた。
本当にこれでよかったのか。
何度も榎本と連絡を取り合い、話し合った結果とはいえ、不本意なのは事実だった。
しかし。
秘密裏に拉致・監禁され研究用のモルモットにされた挙げ句、海山へ沈められるような事態を避けるにはこうするほか無かった。
榎本と二人だけで話し合うものの結論は出ず、それとなく双葉に編入先の再検討を促したところ、悩んだ末に双葉は決まりかけていた聖エルミンではなく、港区の月光館学園への編入を選んだ。
俺達も桐条一族の手にずっと怯えて生かすよりも、むしろ懐へ飛び込ませた方が安全だと判断したのである。
あいつはもういない。俺達だけでは、保護しようにも時間も資金も力も足りない。
根回ししようにも、幾月のパトロンには資本金そのものの絶対量からして勝ちようがない。
それなら、あまり過度の期待はせず、お山の大将とその娘に守ってもらおうという腹づもりなのだ。
不安は山積みだ。
ただでさえ、広大な桐条グループの維持とタルタロス消滅のため奔走している武治親子には、足下に広がる親戚縁者の腹黒い策略の全ては把握仕切れていまい。いつか彼らの足下が掬われた時、双葉も又危機に陥るだろう。それまでに、自分たちも出来る限りの手を打たねばなるまい。
さしあたっては、双葉に味方を作ってやらねばならない。
絶対に信頼出来る味方。
何があっても、彼の一番側に付き従い、彼の盾となり守る事の出来る存在を。
…成瀬よ。それなら、俺でも何とかなりそうだ。
お前ほど面倒見は良かないが、まあ、やれるだけやってやるさ。
それでいいか?
窓外の春霞にけむる青空を見上げて、堂島の口元へ自然に笑みがこぼれた。
…後日、お前の息子を見送り次第、俺は屋久島に飛ぶ。
そこで、十年ぶりに娘とご対面してくるよ。
上手く事が運べば、夏前には再起動出来るだろう。それまでの三ヶ月、幾月が成りを潜めていてくれさえすればいい。
アイギス。
十年前に時の刻みを止めた、俺達の最後の娘。
十年前の因果が結んだ縁だろうか。
ずっと目を背けてきた事実に、俺も立ち向かって見る事にした。
テテュスを失った日以来、封印してきた過去に。
…成瀬。
これからは、お前の代わりに、俺達の娘がお前の愛した息子を守る。
そうなるように、尽力するつもりだ。
…可笑しなものだな。
正直、ここまで自分の気持ちが変わるとは思っていなかった。
だが、百の嘘とおべっかよりも、一つの真実は強烈で胸を打つ。
あの時フィレモンが残した言葉の意味も、うっすらと分かったような気がした。
お前が、ずっと事実を知らずして、
真に大切なものを守っていたと知った時の衝撃は、酷く俺と榎本を打ちのめした。
いや、一番苦悶したのはお前の息子だっただろうか。
だが、あれは俺達などよりも早く立ち直ったらしい。
もっと苦悩と憎悪にまみれるかと思っていたのに、つい先日見た顔は若者らしい清々しささえ感じられた。
あれも、薄々感づいていたのかも知れない。いや、身体のどこかで分かっていたのだろう。
お前の「本当」の息子…成瀬双葉は、その事実を受け入れ、前へ進もうとしている。
「あの人と、僕が結ばれている。それを、お母さんが教えてくれたのだと思っています」
そう顔を上げて俺と榎本に答えたお前の息子の表情は、痛みを受け止めた大人への成長を感じさせる、いい笑顔だった。
*
双葉の元に届いた、「実母」葛木葉子の手紙に綴られていた、十年前の事実と告白。
そこに記されていたのは、愛した者との思い出。心の葛藤。日向への絶望。
そして。
運命の再会を果たした港区での記念日と場所を記した、十年越しの約束。
彼女は手紙に記したある場所へ、十年後に待っているとしたためた後、
己一つの胸に沈めておく事の出来なかった現実を、成瀬に書き送っていたのだった。
それは日向二葉の、「本当」の父親の存在。
彼女は、日向に身の潔白を明かすため、ある検査を受けていた。
しかし、それは彼女の心を大いに揺さぶるものとなった。
苦悶の末、もしも自分と結婚していたなら、黙っていた事をそのまま謝る覚悟で、
もしも別れ別れになっていたなら、事実を知って欲しいという願いだけを込めて、
彼女は十年後の恋人に手紙を送った。
手紙に同封されていた、病院での検査結果票の欄には、くっきりと一人の男性の名前が印字されていた。
「成瀬陽一」
左記の人物と、貴女の子息・日向二葉は、99%DNAの一致が確認されたし_検査票の最後は、その短い一文で締めくくられていた。
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