思い出の欠片。
*
港区一の商業施設、ポロニアンモール。
駅前のコインロッカーに墓参セットと荷物一式を預け、草色のコーデュロイジャケットに合わせた黒いタートルネックの薄いセーターとパンツ姿で、ジャケットの内ポケットに入れた財布一つを持って、幼い日を過ごした見慣れぬ街へと繰り出す。
桐条財閥出資の巨大なショッピングモールを、十年前に母が記した地図だけを頼りに歩く。
十年ひと昔と言うけれど、確かに何もかもが変わっているようで、目印に指定されている看板や電柱、小さなタバコ屋、全てが無くなってブティックやゲーセンに様変わりしている。
やっとの事で目当ての場所に着いた時には、既に日は落ち、夕食時の良い匂いが鼻をくすぐった。
父と母がよく来ていたというカフェは、既に潰れて名前すら残っていなかった。
最後の目印だった噴水と派出所の隣には薄暗い裏路地と、寂れた飲食店の名残しかない。
代わりに「カラオケ マンドラゴラ」と書かれたけばけばしい看板が目に入り、双葉は肩を落とし深々と溜息を漏らした。
やっぱり、そこまで上手くはいかないか。
嘆息の代わりに、自然と口元に笑みがこぼれた。
でも、これで両親の十年越しの約束を代わりに果たす事が出来ただろうか。
もう一度、あのカフェで恋人同士のようにお茶したい。
母の無邪気な願いは、きっと天国でとうの昔に叶っているのだろうけど、
…やっぱり僕も混ぜて欲しい。息子なんだし。
自分の複雑な出生故に悩み抜いた母の重荷も、これで少しは軽くなっただろうか。
物陰からでも、二人で並んで喜んでくれてたらいいけどな。
胸に大きく潮の匂いを含んだ春風を吸い込み、モールの上空に広がった濃紺の夕暮れを見上げる。
おとーさん、おかあさん、来週から、この街で僕は暮らします。
ほんの少しの間だけ、この街であなた達の事を思いながら、暮らしていてもいいでしょうか。
大学は別の街へと思っているから、高校生活の二年間だけ。
そのくらいのワガママは、きっと許してもらえるよね?
形ばかりとはいえ、達成感なのか全身の疲労も心地よかった。
ふくらはぎがけだるい。明日は筋肉痛かも知れない。
今日は下見もと思って予想以上に歩き回ったから、少し疲れた気もする。電車に乗って、早く帰ろう。
けどその前に、少し休憩して帰ろうか。
噴水の飛沫の向こうに喫茶店のメニューボードが見え、そちらに向かおうとした瞬間、背後で幼い声がした。
「よんでるよ、フタバ」
一瞬、全身が硬直した。
聞き覚えのある、少年の声。
「あの路地の向こう。奥で、呼んでるよ。行かなくて良いの?」
…おそうおそる、背後を振り向く。
…そこには、子供の人影は一つもなかった。
代わりに帰り道を急ぐ会社員や、部活帰りの学生が我先にと足早に自分の横をまばらに擦り抜けていくだけで、誰も見知った顔はない。
ピンクのニットワンピを着た女の子と肩がぶつかりそうになり、とっさに身体を反らせて避ける。
くるり、ともう一度当たりを見回すも、それらしい人影はやはり見えない。
「聞き間違い、か…」
妙に力んでしまった自分に苦笑し、双葉は喫茶店へと足を向けて歩き出した。
その時、双葉はするりと背中から何かが抜けていくような錯覚を覚えた。
背中から抜け落ちたそれが、路地裏に吸い込まれるように背筋で感じられたが、もはや振り向かなかった。
墓参りの後で、どこかのちびっこ浮遊霊や両親の幽霊にバッタリというのもちょっとなあ。
デートの邪魔しちゃ悪いしね、などとおどけた夢想を描きながら、軽快な足取りで双葉はその場を後にした。
港区一の商業施設、ポロニアンモール。
駅前のコインロッカーに墓参セットと荷物一式を預け、草色のコーデュロイジャケットに合わせた黒いタートルネックの薄いセーターとパンツ姿で、ジャケットの内ポケットに入れた財布一つを持って、幼い日を過ごした見慣れぬ街へと繰り出す。
桐条財閥出資の巨大なショッピングモールを、十年前に母が記した地図だけを頼りに歩く。
十年ひと昔と言うけれど、確かに何もかもが変わっているようで、目印に指定されている看板や電柱、小さなタバコ屋、全てが無くなってブティックやゲーセンに様変わりしている。
やっとの事で目当ての場所に着いた時には、既に日は落ち、夕食時の良い匂いが鼻をくすぐった。
父と母がよく来ていたというカフェは、既に潰れて名前すら残っていなかった。
最後の目印だった噴水と派出所の隣には薄暗い裏路地と、寂れた飲食店の名残しかない。
代わりに「カラオケ マンドラゴラ」と書かれたけばけばしい看板が目に入り、双葉は肩を落とし深々と溜息を漏らした。
やっぱり、そこまで上手くはいかないか。
嘆息の代わりに、自然と口元に笑みがこぼれた。
でも、これで両親の十年越しの約束を代わりに果たす事が出来ただろうか。
もう一度、あのカフェで恋人同士のようにお茶したい。
母の無邪気な願いは、きっと天国でとうの昔に叶っているのだろうけど、
…やっぱり僕も混ぜて欲しい。息子なんだし。
自分の複雑な出生故に悩み抜いた母の重荷も、これで少しは軽くなっただろうか。
物陰からでも、二人で並んで喜んでくれてたらいいけどな。
胸に大きく潮の匂いを含んだ春風を吸い込み、モールの上空に広がった濃紺の夕暮れを見上げる。
おとーさん、おかあさん、来週から、この街で僕は暮らします。
ほんの少しの間だけ、この街であなた達の事を思いながら、暮らしていてもいいでしょうか。
大学は別の街へと思っているから、高校生活の二年間だけ。
そのくらいのワガママは、きっと許してもらえるよね?
形ばかりとはいえ、達成感なのか全身の疲労も心地よかった。
ふくらはぎがけだるい。明日は筋肉痛かも知れない。
今日は下見もと思って予想以上に歩き回ったから、少し疲れた気もする。電車に乗って、早く帰ろう。
けどその前に、少し休憩して帰ろうか。
噴水の飛沫の向こうに喫茶店のメニューボードが見え、そちらに向かおうとした瞬間、背後で幼い声がした。
「よんでるよ、フタバ」
一瞬、全身が硬直した。
聞き覚えのある、少年の声。
「あの路地の向こう。奥で、呼んでるよ。行かなくて良いの?」
…おそうおそる、背後を振り向く。
…そこには、子供の人影は一つもなかった。
代わりに帰り道を急ぐ会社員や、部活帰りの学生が我先にと足早に自分の横をまばらに擦り抜けていくだけで、誰も見知った顔はない。
ピンクのニットワンピを着た女の子と肩がぶつかりそうになり、とっさに身体を反らせて避ける。
くるり、ともう一度当たりを見回すも、それらしい人影はやはり見えない。
「聞き間違い、か…」
妙に力んでしまった自分に苦笑し、双葉は喫茶店へと足を向けて歩き出した。
その時、双葉はするりと背中から何かが抜けていくような錯覚を覚えた。
背中から抜け落ちたそれが、路地裏に吸い込まれるように背筋で感じられたが、もはや振り向かなかった。
墓参りの後で、どこかのちびっこ浮遊霊や両親の幽霊にバッタリというのもちょっとなあ。
デートの邪魔しちゃ悪いしね、などとおどけた夢想を描きながら、軽快な足取りで双葉はその場を後にした。
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