ふと省みて、我思う。
野菜スープとバゲット、サラダのみのあっさりとした夕食を取りながら、榎本と双葉は終始無言で食卓を囲んでいた。双葉は食卓に出されたボーンチャイナのスープカップに注がれたコンソメ色の液体をただ眺めるのみで、榎本はそんな彼に何と声をかけたものかと思案に暮れながら、自分のカップに2杯目のカモミールティーを注いでいた。
「…お義父さんとは、いつの頃からのお知り合いなんですか」
俯いたまま、双葉が重い口を開く。
「ん?ああ、桐条の研究所にいた頃かな。もう9年くらい前になる。あの頃僕はまだ半人前で、桐条の研究員を診察する医師に付いて、医者見習いみたいな事をしてたんだ」
「じゃあ、その時に研究所で働いていたお義父さんと」
「そうだよ。担当部署の主任をされていたけど、とても優秀な人だった。性格は全然変わってないみたいで、実は少し安心しました」
おどけて肩をすくめてみせると、双葉も少し微笑んだ。
「お義父さん、エリートだったって、いろんな人から聞きました。何故、桐条を辞めたんでしょうか」
「あー…多分爆発事故の後、桐条の社員だからって色々世間様にきつく言われたりしたからじゃないかな?実際のところ、その当時に爆発事故を起こした社内にいた人材は、皆当時のマスコミのバッシングに嫌気が差して別の子会社に転属か、成瀬さんみたいに転職しちゃった人も結構いたみたいだし」
半分は本当だが、半分は適当なデタラメである。
本当に裏の実験で主軸を成していた人物達の多くは事故で死んだか、生き延びても一生桐条の配下として子会社もしくは影時間に関わる裏の事業で働き、四六時中監視される毎日が続いている。
自分も、その一人、である。
もっとも、自分の場合実家が有名な外科医で、しかも地元では指折りの資産家だった事もあり、それほど厳しい監視には置かれていない。
長男次男に才能も容姿もいいとこ取りされた三男坊が、唯一実家から得た恩恵だと、榎本は思っている。(聡一郎、という名前だが、自分は三男で、しかも上の兄二人も『統一郎』『全一郎』なんて名前をしている)
「そう…ですか」
それだけポツリとこぼして、双葉は再び口を閉ざしスプーンでスープの茶色い表面をゆっくりかき回す。
「お腹、すかない?」
「…食欲、わかなくて。すみません」
「いや、いいよ。無理しないで、ゆっくり休むといい。でも、少しづつでもいいから食事は摂った方が良いと思うよ」
「努力、してみます」
しばらく、食卓は皿を動かす音とスプーンのこすれる音だけが響いた。
「お義父さんの」
「うん?どうしたの、双葉君」
「お義父さんの事、どうか、よろしくお願いします。後」
「後?」
「…お義父さんの事、もっと詳しく教えていただけないでしょうか。榎本さんは、信頼できる方だと思うので、どうかお願いします。僕、ずっと一緒にいたのに、怖くて聞けなかった。あの人の事を、どうか、どんなささいな事でもいいから聞かせてください。少しでも、たくさん知っておきたいんです」
双葉は、まっすぐに榎本を見据えて、そしてゆっくりと頭を下げた。
食卓から、完全に音が消えた瞬間だった。
*
深夜に目を覚ますと、ろくなことがない。
陽一はのろのろと用を足してベッドに寝直しながら、薄暗い天井を見つめていた。
暗澹たる気分だが、こんなのはこれが初めてではない。
もっとずっと昔、高校生の頃には、既に未来への夢や希望なんて無くし、随分と粋がった高校生活を送っていた。
自分の家は、物心付く前からどこか壊れていた。
親はバブルだかなんだかで財産を築き、あっという間に詐欺や保証人やらで転落した。
そのせいか、家計は火の車でも息子の俺に精一杯の見栄を張った学歴を求め、拒否すれば暴力ばかりの毎日。
ガキの頃から入り浸っていた近所の工業所のオッサン達に好かれ、機械いじりを覚え、鉄くずと余った部品だけが俺のオモチャ。
酒におぼれる父親と、男にはまる母親。典型的な、負け犬の息子だった。
近所に出来たばかりだった、小綺麗なミッション系の高校に通いながら、俺はああはならないと、ずっと思っていた。
人の足を引っ張る事にのみ快感を覚える、ドブネズミみたいな人種にだけは、と。
半ば不良でありながら、成績だけは人並み以上。理数系は得意だったから、毎日中庭のレモン石だかなんだかを蹴りとばしていても文句は言われなかった。いや、危険因子と思われていたから手出しされなかっただけかも知れないが。遠巻きに警戒する教師達の代わりに俺に興味を持ったのは、一匹の不思議な青いチョウチョだった。
名前を問われ、答えた。力が欲しいか、と聞かれ「欲しい」と答えた。
チョウチョは言った。
これから、君はきっといくつかの試練と選択を選ぶ事になるだろう。
選び取りし答えがいかなる結果を産んだとしても、振り返ることなく、精一杯進むが良い_。
それが、俺とペルソナとの、出会いだった。
力を手に入れた俺は、最初の一ヶ月だけ大喜びし、後はすっかりどうでも良くなった。
インベーダーも悪魔の集団も大挙して押しかけてくる気配も無く、世界はすっかり平和だったから。ヒーローは悪役ありきなんだなあと、しみじみ思ったものだ。
だが、今なら分かる。
俺は、ずっと選び続けていた。そして、今の俺が居る事が。
あの時、異能の力を気まぐれな蝶から授かった日から、俺は奴の掌で踊らされる、一つのちっぽけな被験者でしかなかったのではなかろうか。
フィレモンよ。あんたは一体俺に何をさせたかったんだ?
何故、こんな力を与えた?
疑問の答えは返ってこない。ただ、ペルソナ能力が、平凡とはほど遠い人生を呼び寄せた事だけは、確かだった。
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