医師の見た、少年の横顔。
*
「…とは言ったものの」
病院からの帰り道、榎本は不安でならなかった。
あの「宣告者」の少年との生活、というよりも、少年の先行きが純粋に心配だった。
成瀬双葉。
本名、日向二葉。
実の父親の手によって、シャドウ召喚とペルソナ実験の被験者となった子供。
エルゴノミクス研究所での大災害の後、偽の死亡届を使い行方をくらまし、異端の研究者達と孤児をかき集め残酷な実験を繰り返した狂気の科学者を父に持ったばかりに、彼の人生の半分は心ない大人達にバラバラに引き裂かれた。
養父として彼の成長を見守ってきた成瀬陽一の話によれば、彼は9歳以前の記憶が無いらしい。
両親の面影すら、彼の脳裏には残っていない。
あるのは、ぽっかりと開いた9年分の空白だけ。
「両親の死」も、「事故」も、彼の中では新聞や雑誌の中にある「情報」の一つでしかなく、いまだに自分の側で起きた現実を受け止める事ができずにいると陽一は話していた。「両親」との思い出や記憶、情報が、「苦痛」を取り払う代償として失われていたから、と…。
事実、彼にとって、親や家族と言えるのは、もう陽一だけなのかも知れない。
*
「(…事故じゃ………事故じゃ、ないん、ですか……?)」
陽一の倒れた当日。
搬送先の病院のICU前で、処置を終えた担当医と話をしていた時に、少年は暗い廊下の片隅に姿を現した。
顔の半分を覆う黒い前髪、学校指定のダッフルコートにパンツ姿。手には着替えを詰めた手提げの紙袋。
耳元から肩にはipodのイヤホンが垂れ下がっている。
イメージしていたのとは若干雰囲気の異なる、ごく普通の控えめな少年がそこに立っていた。
彼には自分たちの会話が聞こえたらしい。
目を見開いたまま、唇を震わせて立ちつくしていたが、よろよろと担当医に駆け寄りその腕を掴む。
「僕…てっきり…急いで帰ろうとして…事故に、遭ったものだと思って…あの、腫瘍って、何のことですか…?お義父さん、助かるん、ですよね…」
かすかな希望にすがろうとする彼に、僕らは無情な現実をありのまま伝えた。
悪性の腫瘍が全身に転移している事。
もう、手の施しようがないぐらい酷い状態である事。
あと数ヶ月、保っても三ヶ月の命である事。
なるべく、医者として、ショックを与えないように丁寧に、言葉を選んだつもりだった。
「…本当に、手術、駄目、なんですか………?」
「ああ、逆に体力を奪うだけに…」
「どこが悪いんですか?…肺と、他にはどこが悪いんですか?」
「教えると言っても…これから精密検査をして、詳しく調べてから…」
「じゃあ、それが分かったら教えて下さい。それで、僕の身体がどれだけ使えるか教えて下さい」
「?…何を言っているんだい、君は?」
「移植して下さい。僕の身体を使って、お義父さんを助けて下さい。僕、死んでも構いません。僕の健康な部分を全て差し上げます。書類も必要なら全て書きます。僕の肺も内臓も血も肉も皮膚も心臓も、必要なら身体全部あげます。だから手術して下さい」
彼は迷う事無く、そう言ってのけた。黒く大きな瞳に、今にもこぼれそうなほど涙をためて。
「馬鹿な、何を言ってるんだ君は!」
「そうだよ、君が死んだらおとうさんが悲しむだろうに!それじゃ本末転倒だ!」
ショックで投げやりな発言をしていると思い、慌てて僕らは彼をなだめようとした。
きっと、彼より僕らの方がずっと動揺していたように思う。
彼は、至極当然のように、僕らの目を見てはっきりと言った。
「どうでもいいです」
それはきっと、彼の本心だったのだろう。
でなければ、その場にいた医師も看護師も僕も、言葉に窮する事などなかっただろう。
彼の目に溜まっていた涙が一気に溢れて、紅く染まった頬を濡らす。
少年は頭をさげながら、必死に身体の奥から込み上げる思いに耐えているようだった。
「お願いします。…お金が足りないなら、一生働いてでもお支払いします。今すぐいるなら学校も辞めて働きます。だから、だからお義父さんを…僕の、おとうさんを、助けて、助けてくださ…」
それだけ言うと、彼は糸が切れた人形のようにその場に倒れてしまった。
半日病院のベッドで眠り、起きた時にはそのまま糸を繰る者を無くしたかのように、一言も口を聞かなくなり、血の気の薄い横顔からは表情が消え失せていた。
成瀬の元に届いていた偽の安定剤の件一つを見ても、今の状態で人の出入りが多い病院に入れておくのはあまりに無防備なように思われて、榎本は病院への正式な出勤を少し遅らせてもらい彼をマンションへと引き取った。自宅に帰らせられるような状態では、まず無かったし。
それにしても、一気に大変な問題が吹き出してきたものだ。
先輩であり、頼れる仲間であった成瀬が倒れてしまった。
背後には、しばらく鳴りを潜めていた「あいつら」の影がちらつく。
そして、双葉少年の存在。
いつまで、9年前の「事故」は自分たちを非日常の生活に縛り付けておくのだろうか。
榎本は、成瀬の手前大見得を切ったものの、先行きを想像するだに途方に暮れていた。
「(でもまあ、『なんとかなるさ』ですよね…成瀬さん)」
冬の夕方の空は、濃い橙色に染まって直に夜を迎えようとしていた。
「…とは言ったものの」
病院からの帰り道、榎本は不安でならなかった。
あの「宣告者」の少年との生活、というよりも、少年の先行きが純粋に心配だった。
成瀬双葉。
本名、日向二葉。
実の父親の手によって、シャドウ召喚とペルソナ実験の被験者となった子供。
エルゴノミクス研究所での大災害の後、偽の死亡届を使い行方をくらまし、異端の研究者達と孤児をかき集め残酷な実験を繰り返した狂気の科学者を父に持ったばかりに、彼の人生の半分は心ない大人達にバラバラに引き裂かれた。
養父として彼の成長を見守ってきた成瀬陽一の話によれば、彼は9歳以前の記憶が無いらしい。
両親の面影すら、彼の脳裏には残っていない。
あるのは、ぽっかりと開いた9年分の空白だけ。
「両親の死」も、「事故」も、彼の中では新聞や雑誌の中にある「情報」の一つでしかなく、いまだに自分の側で起きた現実を受け止める事ができずにいると陽一は話していた。「両親」との思い出や記憶、情報が、「苦痛」を取り払う代償として失われていたから、と…。
事実、彼にとって、親や家族と言えるのは、もう陽一だけなのかも知れない。
*
「(…事故じゃ………事故じゃ、ないん、ですか……?)」
陽一の倒れた当日。
搬送先の病院のICU前で、処置を終えた担当医と話をしていた時に、少年は暗い廊下の片隅に姿を現した。
顔の半分を覆う黒い前髪、学校指定のダッフルコートにパンツ姿。手には着替えを詰めた手提げの紙袋。
耳元から肩にはipodのイヤホンが垂れ下がっている。
イメージしていたのとは若干雰囲気の異なる、ごく普通の控えめな少年がそこに立っていた。
彼には自分たちの会話が聞こえたらしい。
目を見開いたまま、唇を震わせて立ちつくしていたが、よろよろと担当医に駆け寄りその腕を掴む。
「僕…てっきり…急いで帰ろうとして…事故に、遭ったものだと思って…あの、腫瘍って、何のことですか…?お義父さん、助かるん、ですよね…」
かすかな希望にすがろうとする彼に、僕らは無情な現実をありのまま伝えた。
悪性の腫瘍が全身に転移している事。
もう、手の施しようがないぐらい酷い状態である事。
あと数ヶ月、保っても三ヶ月の命である事。
なるべく、医者として、ショックを与えないように丁寧に、言葉を選んだつもりだった。
「…本当に、手術、駄目、なんですか………?」
「ああ、逆に体力を奪うだけに…」
「どこが悪いんですか?…肺と、他にはどこが悪いんですか?」
「教えると言っても…これから精密検査をして、詳しく調べてから…」
「じゃあ、それが分かったら教えて下さい。それで、僕の身体がどれだけ使えるか教えて下さい」
「?…何を言っているんだい、君は?」
「移植して下さい。僕の身体を使って、お義父さんを助けて下さい。僕、死んでも構いません。僕の健康な部分を全て差し上げます。書類も必要なら全て書きます。僕の肺も内臓も血も肉も皮膚も心臓も、必要なら身体全部あげます。だから手術して下さい」
彼は迷う事無く、そう言ってのけた。黒く大きな瞳に、今にもこぼれそうなほど涙をためて。
「馬鹿な、何を言ってるんだ君は!」
「そうだよ、君が死んだらおとうさんが悲しむだろうに!それじゃ本末転倒だ!」
ショックで投げやりな発言をしていると思い、慌てて僕らは彼をなだめようとした。
きっと、彼より僕らの方がずっと動揺していたように思う。
彼は、至極当然のように、僕らの目を見てはっきりと言った。
「どうでもいいです」
それはきっと、彼の本心だったのだろう。
でなければ、その場にいた医師も看護師も僕も、言葉に窮する事などなかっただろう。
彼の目に溜まっていた涙が一気に溢れて、紅く染まった頬を濡らす。
少年は頭をさげながら、必死に身体の奥から込み上げる思いに耐えているようだった。
「お願いします。…お金が足りないなら、一生働いてでもお支払いします。今すぐいるなら学校も辞めて働きます。だから、だからお義父さんを…僕の、おとうさんを、助けて、助けてくださ…」
それだけ言うと、彼は糸が切れた人形のようにその場に倒れてしまった。
半日病院のベッドで眠り、起きた時にはそのまま糸を繰る者を無くしたかのように、一言も口を聞かなくなり、血の気の薄い横顔からは表情が消え失せていた。
成瀬の元に届いていた偽の安定剤の件一つを見ても、今の状態で人の出入りが多い病院に入れておくのはあまりに無防備なように思われて、榎本は病院への正式な出勤を少し遅らせてもらい彼をマンションへと引き取った。自宅に帰らせられるような状態では、まず無かったし。
それにしても、一気に大変な問題が吹き出してきたものだ。
先輩であり、頼れる仲間であった成瀬が倒れてしまった。
背後には、しばらく鳴りを潜めていた「あいつら」の影がちらつく。
そして、双葉少年の存在。
いつまで、9年前の「事故」は自分たちを非日常の生活に縛り付けておくのだろうか。
榎本は、成瀬の手前大見得を切ったものの、先行きを想像するだに途方に暮れていた。
「(でもまあ、『なんとかなるさ』ですよね…成瀬さん)」
冬の夕方の空は、濃い橙色に染まって直に夜を迎えようとしていた。
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