桐条元研究員、過去の記憶。
「よう、元気か」
出社してきてすぐに、ドア脇のデスクでディスプレイとにらめっこしている同僚にでも話しかけるように、俺はつとめて気楽に話しかける。
「…おじちゃん」
相変わらず生気のない、ぼんやりした黒いビー玉の目二つ。
だが、声は鈴を転がしたように愛らしく、そしてか細い。
ここへ来て二ヶ月と半分が過ぎた。
フタバは、いつもと変わらず、熱っぽい身体をけだるそうに動かしてこちらに向き直る。
ふわふわと浮ついた頬をなぜてやると、猫のように目を細めて「おはなし」と呟く。
「おじちゃん、おはなし…」
「よしよし、それじゃ、先に窓を開けるか」
少年の細く黒い猫っ毛をもそもそとなぜて、俺は窓際へ行き、いつものパイプ椅子を引き出す。
これが、今の俺、成瀬陽一の日常だ。
*
本格的な身体検査が増え始めたある日、突然フタバはぽつりと、声を出すようになった。
「おじちゃん」
「おはなし」
現在この二点、だけである。
しかも、どうやら話が出来てるのは俺だけらしい。
担当の医師によれば、検査や治療、点滴や注射の際に全く抵抗はしないそうだが、こちらがいくら質問しても無視無言で、仕舞いには窓の方ばかり見て聞きもしない(そぶりの)ようである。
まあ、気持ちは分かる。
どこが痛ぇだの気分悪くないかだのならまだしも、親のことなんか熱と薬でぼんやりしてるのに分かる訳ねえだろうと思う。
それに、覚えてるなら、それはそれで言いたかねえだろうし…。
そんな事をついうっかり口にすると、「それが医者の仕事でしょうがっ」とマジキレされた。
これは、本当すまんかったと思うが、こいつの場合患者のためなのか、桐条の本部に色々言われているせいなのか、測りかねるのが辛いところだ。
まあ、ここにいる医者や、スタッフは皆桐条に逆らえない奴らばっかりだ。俺も含めてだが。
*
「…とまあ、こんなとこかな。どうだ、面白かったか?」
「…」ぱち、ぱち。
まばたきがはっきり二回視認できたので、今日はわりかし好評だったようだ。
不思議なものだが、まばたきが拍手みたいに思える。
「よしよし、じゃあ今日はこのくらいでお開きだな。ちゃんと良い子にして寝てろよ?薬きちんと飲めよ?歯磨けよ?」
適当に茶化しながら、そそくさと出て行…こうとする俺の白衣の裾を、あれが掴む。
「…おはなし」
「…ああ、今日はお仕舞い。出玉がなくなりました。また来週~」
「おはなし、おはなし…」
「…」
どこにそんな力があるのか分からないが、ぎゅっ、と握った裾を力任せに引っ張って放さない。
「おじちゃん…おはなし…」
「ちょっと、お前、わかったから手を、はなす」
「………」
諭すように、握った手をさすると、服を放したその手で俺の親指を握る。
熱っぽいというより、熱い。
子供の体温は、こんなに熱っぽいのか?
なのに不思議なことに、表面は、血の気が悪く、またひんやりとしている。
血管が薄いため、手の甲から点滴を流した痕が残っている。
自由な人差し指でなぞると、石でもなぞったような冷たさが指先に残った。
「お前、寒気とか無いのか?体温、おかしくないか?」
「…」…ぱち。
少し間があって、まばたきをした。
「背中、ぞくぞくするか?」
「…」
あさっての方向を見たまま、フタバは顔をしかめる。
「どこが痛い?言えるか?」
握った小さな手を、そっと、強く、両の手のひらで、包んで握り返す。
「おじちゃん…
……………こわ、い」
「…なにが?」
おそる、おそる、聞き返す。
「知らない、おじちゃんや、おばさん…いっぱい、きかれるの…いや…」
「…それから?」
「ここ…どこのびょういんか…わかんないし…ぼくのおうち…かえるの…わからないし…」
「…」
「おじちゃんしか…わかんなくて…こわかった…おかあさん…しんじゃったし…」
ぐすぐすと、肩を震わせているが、ビー玉は乾いたままだ。
涙が流れているわけでもないのに、フタバは、泣いていた。
胸が締め付けられるような、いたたまれない気分だった。
「…俺のこと、よく覚えてたな」
「…うん、おじちゃん、おかあさんのおともだち…あめくれたし…それに…」
握った手を、今度はフタバがぎゅっと、両の手を布団から出して握る。
「…ぺるそなの、おじちゃん…ぺるそなさま、おしえてくれた…ぺるそなさま、ぼく、まもって、くれたよ…」
「…?!」
「はしのうえでね…おかあさん、くるまの中からいっしょにだそうとおもったの…だけど…だめだった…」
「………」
なるほど、「そっち」の、ペルソナか…。冷や汗かいた…。
「…おかあさん…しんじゃったって…いってた…オルフェウス…うそ…いわないから…」
「…フタバ」
「おじちゃん、いっちゃやだ…こわい…ひとり、こわいよ…」
「わかった。寝るまでいてやるよ。…俺の指先見てみな」
「…?」
左手はそのままで、そっと握られた右手をほどくと、俺はいつもの挨拶代わりの指先をフタバの眼前に持って行く。
「フタバ、そのまま俺の指先を見てろ。
お前はペルソナなんか知らない、普通の子供だ。俺の事は覚えていても、ペルソナは知らない。
今からお前は普通の子供だ。さあ、ねんねの時間だ、3・2・1…」
俺は、指先を一回、小気味よく鳴らす。
フタバは、糸が切れた人形のように、俺の手をするっと放すと、そのまま深い眠りに落ちた。
催眠術の仕込みを、ずっとしておいて良かった。
第1段階は、こんなものでいいだろう。
そろそろ、「あいつ」が、こいつの事を嗅ぎつけてやって来かねん。
なるべく手早く、ペルソナの記憶を寝かしつけて、こいつをなんとかしないと。
出社してきてすぐに、ドア脇のデスクでディスプレイとにらめっこしている同僚にでも話しかけるように、俺はつとめて気楽に話しかける。
「…おじちゃん」
相変わらず生気のない、ぼんやりした黒いビー玉の目二つ。
だが、声は鈴を転がしたように愛らしく、そしてか細い。
ここへ来て二ヶ月と半分が過ぎた。
フタバは、いつもと変わらず、熱っぽい身体をけだるそうに動かしてこちらに向き直る。
ふわふわと浮ついた頬をなぜてやると、猫のように目を細めて「おはなし」と呟く。
「おじちゃん、おはなし…」
「よしよし、それじゃ、先に窓を開けるか」
少年の細く黒い猫っ毛をもそもそとなぜて、俺は窓際へ行き、いつものパイプ椅子を引き出す。
これが、今の俺、成瀬陽一の日常だ。
*
本格的な身体検査が増え始めたある日、突然フタバはぽつりと、声を出すようになった。
「おじちゃん」
「おはなし」
現在この二点、だけである。
しかも、どうやら話が出来てるのは俺だけらしい。
担当の医師によれば、検査や治療、点滴や注射の際に全く抵抗はしないそうだが、こちらがいくら質問しても無視無言で、仕舞いには窓の方ばかり見て聞きもしない(そぶりの)ようである。
まあ、気持ちは分かる。
どこが痛ぇだの気分悪くないかだのならまだしも、親のことなんか熱と薬でぼんやりしてるのに分かる訳ねえだろうと思う。
それに、覚えてるなら、それはそれで言いたかねえだろうし…。
そんな事をついうっかり口にすると、「それが医者の仕事でしょうがっ」とマジキレされた。
これは、本当すまんかったと思うが、こいつの場合患者のためなのか、桐条の本部に色々言われているせいなのか、測りかねるのが辛いところだ。
まあ、ここにいる医者や、スタッフは皆桐条に逆らえない奴らばっかりだ。俺も含めてだが。
*
「…とまあ、こんなとこかな。どうだ、面白かったか?」
「…」ぱち、ぱち。
まばたきがはっきり二回視認できたので、今日はわりかし好評だったようだ。
不思議なものだが、まばたきが拍手みたいに思える。
「よしよし、じゃあ今日はこのくらいでお開きだな。ちゃんと良い子にして寝てろよ?薬きちんと飲めよ?歯磨けよ?」
適当に茶化しながら、そそくさと出て行…こうとする俺の白衣の裾を、あれが掴む。
「…おはなし」
「…ああ、今日はお仕舞い。出玉がなくなりました。また来週~」
「おはなし、おはなし…」
「…」
どこにそんな力があるのか分からないが、ぎゅっ、と握った裾を力任せに引っ張って放さない。
「おじちゃん…おはなし…」
「ちょっと、お前、わかったから手を、はなす」
「………」
諭すように、握った手をさすると、服を放したその手で俺の親指を握る。
熱っぽいというより、熱い。
子供の体温は、こんなに熱っぽいのか?
なのに不思議なことに、表面は、血の気が悪く、またひんやりとしている。
血管が薄いため、手の甲から点滴を流した痕が残っている。
自由な人差し指でなぞると、石でもなぞったような冷たさが指先に残った。
「お前、寒気とか無いのか?体温、おかしくないか?」
「…」…ぱち。
少し間があって、まばたきをした。
「背中、ぞくぞくするか?」
「…」
あさっての方向を見たまま、フタバは顔をしかめる。
「どこが痛い?言えるか?」
握った小さな手を、そっと、強く、両の手のひらで、包んで握り返す。
「おじちゃん…
……………こわ、い」
「…なにが?」
おそる、おそる、聞き返す。
「知らない、おじちゃんや、おばさん…いっぱい、きかれるの…いや…」
「…それから?」
「ここ…どこのびょういんか…わかんないし…ぼくのおうち…かえるの…わからないし…」
「…」
「おじちゃんしか…わかんなくて…こわかった…おかあさん…しんじゃったし…」
ぐすぐすと、肩を震わせているが、ビー玉は乾いたままだ。
涙が流れているわけでもないのに、フタバは、泣いていた。
胸が締め付けられるような、いたたまれない気分だった。
「…俺のこと、よく覚えてたな」
「…うん、おじちゃん、おかあさんのおともだち…あめくれたし…それに…」
握った手を、今度はフタバがぎゅっと、両の手を布団から出して握る。
「…ぺるそなの、おじちゃん…ぺるそなさま、おしえてくれた…ぺるそなさま、ぼく、まもって、くれたよ…」
「…?!」
「はしのうえでね…おかあさん、くるまの中からいっしょにだそうとおもったの…だけど…だめだった…」
「………」
なるほど、「そっち」の、ペルソナか…。冷や汗かいた…。
「…おかあさん…しんじゃったって…いってた…オルフェウス…うそ…いわないから…」
「…フタバ」
「おじちゃん、いっちゃやだ…こわい…ひとり、こわいよ…」
「わかった。寝るまでいてやるよ。…俺の指先見てみな」
「…?」
左手はそのままで、そっと握られた右手をほどくと、俺はいつもの挨拶代わりの指先をフタバの眼前に持って行く。
「フタバ、そのまま俺の指先を見てろ。
お前はペルソナなんか知らない、普通の子供だ。俺の事は覚えていても、ペルソナは知らない。
今からお前は普通の子供だ。さあ、ねんねの時間だ、3・2・1…」
俺は、指先を一回、小気味よく鳴らす。
フタバは、糸が切れた人形のように、俺の手をするっと放すと、そのまま深い眠りに落ちた。
催眠術の仕込みを、ずっとしておいて良かった。
第1段階は、こんなものでいいだろう。
そろそろ、「あいつ」が、こいつの事を嗅ぎつけてやって来かねん。
なるべく手早く、ペルソナの記憶を寝かしつけて、こいつをなんとかしないと。
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