少年の傍らで。
*
おかあさん、今日ぼくね、かけっこ一番だったんだよ。
それで、さんすうのもんだいもちゃんととけたから、先生にほめてもらえたんだ。
給食はじめてプリン出たけど、おかあさんのプリンの方がおいしいと思ったよ。またたべたいな。
ねえ、おかあさん。
おとうさん、いつ帰ってくるの。
おかあさん、なんでいつもせなかばっかりなの。
ねえおかあさん、おかあさん、ぼくね、ほんとはひみつのともだちできて…だから、おかあさんに、…ねえ、ねえってば………。
…
…きょうもおかあさん、でていっちゃった。
………おしごとかえったのに、またおしごといった。
ぼくしってるよ。ほんとはおしごとじゃないんだ。だれかに会いにいってるんだよ。ながいこと、おはなしして帰ってくるんだよ。
ぼく、きちんとひとりでるすばんできても、テスト100点でも、何にもおはなししてくれない…。
きみはやさしいね。
ぼくの話、きいてくれるし、ぼくのしらない外国の話や歌、教えてくれるし…。
おとうさんね、ぼくがきらいだから、良い子じゃないから出て行ったんだ。
ぼくが悪い子だから、いっぱいたたいたし、いっぱい叱られたんだと思う。
おかあさんも、ぼくが良い子じゃないから…きらい、なのかな…どうしたらいいんだろう…。
ぼく、勉強してるし、しゅくだいもやるよ。かけっこもてつぼうもがんばるし、お手伝いもがんばってるよ。うそつかないし、いじめっこもしない。いたずらも、道草もしない。おかあさん、あとどうしたらお話してくれるかな…?
ねえ、オルフェウス…。
*
ここ数日、双葉君は仕事の準備を進めている僕の傍らで、ソファに腰掛けてシーサーと並んで座っている事が多くなった。
外出は全くしないし、自分の家に戻る事もしないのは信用されているからだと思っているけど、多分それだけ養父が倒れた事実が身体に堪えているせいだろう。僕が用意した食事や衣類にとても丁寧に逐一礼を述べてから食べたり着替えたりする以外は終始無言でシーサーの頭をなぜたり身体をさすったり、お手をしてもらったり。食事の量は幾分増えたけど、あまり気分はすぐれないようで、夕食を摂るとシャワーを浴びてすぐに眠ってしまう。テレビも見ず、雑誌も読まず、いつも手元のipodをいじっている。彼のひんやりした指先や手肌からシーサーが感じるのは、いつも同じ波長。
…孤独。
寂しい、寂しい、一人は寂しい。いかないでほしい。おいていかないでほしい…。
そっと目を閉じると、まぶたに映るのは研究用のぼろぼろの白衣を着せられ、うつむいている少年の顔。
何重にも重い年月の蓋で閉め切った、記憶の中の彼。
あの日、彼を発見した時の衝撃と恐怖を、僕はきっと一生忘れられない。
だが、それ以上に、誰より酷く惨めな闇の中に在った少年をここまで立ち直らせた陽一の努力が、自分の積み重ねてきた「贖罪」よりも尊敬に値するものだと思っていた。自分は間接的にしか「あの爆発事故」に関わっていないのかも知れないし、実験の研究員の健康管理を担っていただけじゃないかと、紹介者の叔父はよく言っていた。そんなのは、言い訳だ。そこに自分はいたのだから、あの日できなかった人助けをしたい。そう思って多くの無気力症患者に向き合ってきたが、果たして自分と陽一の積み重ねてきた年月は、一体どれだけの救いを生んでいたのだろうか…。
夜遅く、携帯電話に着信が入った。
「…お久しぶりです。こうして話すの、久しぶりですね」
相手としばらく話し込み、電話を切ると翌日の準備のためバスの運行路をネットで確認し就寝した。
*
榎本が成瀬と堂島の「真の計画」を打ち明けられたのは爆発事故の前日だった。
ペルソナ能力を使い、桐条鴻悦のシャドウ計画を頓挫させる。
それが、この研究所に来た当初からの、彼ら二人の夢だったのだ。
偶然、同じチームに入った二人は互いの能力を確認し、桐条への不満やシャドウ研究の実態を探る内に研究所内部の裏事情を多数集めるのに成功した。
それらを分析し、こっそりと反撃の策を練る一方で仲間をつのり、桐条にせめてものしっぺ返しを喰らわそうと計画を進めていたのだ。
しかし、数年後にはシャドウ研究そのものが暗い彩りを増してきていた。
世界規模のシャドウ捕獲に限界が生じ、同地区にある桐条資本の学園の生徒へ秘密裏にシャドウをけしかけ、新たなシャドウを精製していた事。
それにより、この学園の生徒の一部に精神不安や原因不明の奇病がひっそりと蔓延している事。
通学している子供達、特に低年齢層の小学生に、現在「幽霊やお化けを見た」「自分の守護霊を見た・喚ぶ事が出来た」と言う報告が多数聞かれている事。
研究員達はそうした報告をとりまとめ、今や最終段階に研究そのものをシフトしようとしているのに二人は気付いた。
持病のシャクが思わしくなく、いよいよ自分の死期を悟った桐条鴻悦は、今や終末思想にどっぷりと侵されていた。
そのため、研究所に備蓄した大量のシャドウを一挙にまとめ、上位シャドウを精製、その上位シャドウの力を用いて「滅び」を世界に呼び込もうとしているというのだ。鴻悦はこれを「世界の浄化」と呼び、自分は世界をもう一度無に帰し汚れを取り払うのだと妄言を吐いているらしい。
それは、何としても止めねばならない。
だが、その一方で、我らが第二チームにお株を奪われた対シャドウ兵器開発第一チーム内は、上には内密に新たな「兵器」の開発を早急に進めているとの情報も得た。
それは、生身の人間の「ペルソナ」能力の研究・開発。
第二チームで進められているガラティア等対シャドウ兵器ナンバーの製作を苦々しく思っていた日向が、小学生達のたわいない噂を耳にしてひらめいたらしい。ある小学生の一人を誘拐し地下室に閉じこめ、ペルソナを使用するように強要しているというのだ。
そんな話を聞かされて、榎本は断る訳にはいかなかった。
何より、学校以外に何もないからこんなへんぴな埋め立て地に研究所を作ったのだろうと信じて止まなかった榎本だったが、子供達をも実験の足しにしていると知らされて温厚な彼も珍しく怒りを覚えたのだ。彼は背筋を正すと、成瀬に「お願いします」と頭を下げた。後の、対シャドウ戦闘員チームの全員が揃った瞬間だった。
おかあさん、今日ぼくね、かけっこ一番だったんだよ。
それで、さんすうのもんだいもちゃんととけたから、先生にほめてもらえたんだ。
給食はじめてプリン出たけど、おかあさんのプリンの方がおいしいと思ったよ。またたべたいな。
ねえ、おかあさん。
おとうさん、いつ帰ってくるの。
おかあさん、なんでいつもせなかばっかりなの。
ねえおかあさん、おかあさん、ぼくね、ほんとはひみつのともだちできて…だから、おかあさんに、…ねえ、ねえってば………。
…
…きょうもおかあさん、でていっちゃった。
………おしごとかえったのに、またおしごといった。
ぼくしってるよ。ほんとはおしごとじゃないんだ。だれかに会いにいってるんだよ。ながいこと、おはなしして帰ってくるんだよ。
ぼく、きちんとひとりでるすばんできても、テスト100点でも、何にもおはなししてくれない…。
きみはやさしいね。
ぼくの話、きいてくれるし、ぼくのしらない外国の話や歌、教えてくれるし…。
おとうさんね、ぼくがきらいだから、良い子じゃないから出て行ったんだ。
ぼくが悪い子だから、いっぱいたたいたし、いっぱい叱られたんだと思う。
おかあさんも、ぼくが良い子じゃないから…きらい、なのかな…どうしたらいいんだろう…。
ぼく、勉強してるし、しゅくだいもやるよ。かけっこもてつぼうもがんばるし、お手伝いもがんばってるよ。うそつかないし、いじめっこもしない。いたずらも、道草もしない。おかあさん、あとどうしたらお話してくれるかな…?
ねえ、オルフェウス…。
*
ここ数日、双葉君は仕事の準備を進めている僕の傍らで、ソファに腰掛けてシーサーと並んで座っている事が多くなった。
外出は全くしないし、自分の家に戻る事もしないのは信用されているからだと思っているけど、多分それだけ養父が倒れた事実が身体に堪えているせいだろう。僕が用意した食事や衣類にとても丁寧に逐一礼を述べてから食べたり着替えたりする以外は終始無言でシーサーの頭をなぜたり身体をさすったり、お手をしてもらったり。食事の量は幾分増えたけど、あまり気分はすぐれないようで、夕食を摂るとシャワーを浴びてすぐに眠ってしまう。テレビも見ず、雑誌も読まず、いつも手元のipodをいじっている。彼のひんやりした指先や手肌からシーサーが感じるのは、いつも同じ波長。
…孤独。
寂しい、寂しい、一人は寂しい。いかないでほしい。おいていかないでほしい…。
そっと目を閉じると、まぶたに映るのは研究用のぼろぼろの白衣を着せられ、うつむいている少年の顔。
何重にも重い年月の蓋で閉め切った、記憶の中の彼。
あの日、彼を発見した時の衝撃と恐怖を、僕はきっと一生忘れられない。
だが、それ以上に、誰より酷く惨めな闇の中に在った少年をここまで立ち直らせた陽一の努力が、自分の積み重ねてきた「贖罪」よりも尊敬に値するものだと思っていた。自分は間接的にしか「あの爆発事故」に関わっていないのかも知れないし、実験の研究員の健康管理を担っていただけじゃないかと、紹介者の叔父はよく言っていた。そんなのは、言い訳だ。そこに自分はいたのだから、あの日できなかった人助けをしたい。そう思って多くの無気力症患者に向き合ってきたが、果たして自分と陽一の積み重ねてきた年月は、一体どれだけの救いを生んでいたのだろうか…。
夜遅く、携帯電話に着信が入った。
「…お久しぶりです。こうして話すの、久しぶりですね」
相手としばらく話し込み、電話を切ると翌日の準備のためバスの運行路をネットで確認し就寝した。
*
榎本が成瀬と堂島の「真の計画」を打ち明けられたのは爆発事故の前日だった。
ペルソナ能力を使い、桐条鴻悦のシャドウ計画を頓挫させる。
それが、この研究所に来た当初からの、彼ら二人の夢だったのだ。
偶然、同じチームに入った二人は互いの能力を確認し、桐条への不満やシャドウ研究の実態を探る内に研究所内部の裏事情を多数集めるのに成功した。
それらを分析し、こっそりと反撃の策を練る一方で仲間をつのり、桐条にせめてものしっぺ返しを喰らわそうと計画を進めていたのだ。
しかし、数年後にはシャドウ研究そのものが暗い彩りを増してきていた。
世界規模のシャドウ捕獲に限界が生じ、同地区にある桐条資本の学園の生徒へ秘密裏にシャドウをけしかけ、新たなシャドウを精製していた事。
それにより、この学園の生徒の一部に精神不安や原因不明の奇病がひっそりと蔓延している事。
通学している子供達、特に低年齢層の小学生に、現在「幽霊やお化けを見た」「自分の守護霊を見た・喚ぶ事が出来た」と言う報告が多数聞かれている事。
研究員達はそうした報告をとりまとめ、今や最終段階に研究そのものをシフトしようとしているのに二人は気付いた。
持病のシャクが思わしくなく、いよいよ自分の死期を悟った桐条鴻悦は、今や終末思想にどっぷりと侵されていた。
そのため、研究所に備蓄した大量のシャドウを一挙にまとめ、上位シャドウを精製、その上位シャドウの力を用いて「滅び」を世界に呼び込もうとしているというのだ。鴻悦はこれを「世界の浄化」と呼び、自分は世界をもう一度無に帰し汚れを取り払うのだと妄言を吐いているらしい。
それは、何としても止めねばならない。
だが、その一方で、我らが第二チームにお株を奪われた対シャドウ兵器開発第一チーム内は、上には内密に新たな「兵器」の開発を早急に進めているとの情報も得た。
それは、生身の人間の「ペルソナ」能力の研究・開発。
第二チームで進められているガラティア等対シャドウ兵器ナンバーの製作を苦々しく思っていた日向が、小学生達のたわいない噂を耳にしてひらめいたらしい。ある小学生の一人を誘拐し地下室に閉じこめ、ペルソナを使用するように強要しているというのだ。
そんな話を聞かされて、榎本は断る訳にはいかなかった。
何より、学校以外に何もないからこんなへんぴな埋め立て地に研究所を作ったのだろうと信じて止まなかった榎本だったが、子供達をも実験の足しにしていると知らされて温厚な彼も珍しく怒りを覚えたのだ。彼は背筋を正すと、成瀬に「お願いします」と頭を下げた。後の、対シャドウ戦闘員チームの全員が揃った瞬間だった。
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