時間差の伝言。
*
「ただいまー」
「…おかえりなさい」
榎本さんに挨拶を返すのが慣れてきた自分に気付いて、双葉は少し可笑しな気持ちがした。
父のように安心感を感じるには頼りないが、何故か人を和ませるオーラを持っている榎本が、双葉は嫌いではなかった。
「今日、気分どう?シーサーは良い子にしてたかい?」
「はい、とても。一日一緒にひなたぼっこさせてもらって、気分も大分良くなったように思います」
「そう、それは良かった。お家の片付け、簡単にすませておいたからしばらくは心配ないと思うよ。家賃も、大家さんに事情を説明したから気にしなくていいと思う。着替えも持って帰ったよ」
「すみません、何から何まで」
ぺこり、と頭を下げると、榎本は気にしないでいいってと、くすりと笑った。
同級生の事、思い出した理由が分かった気がする。榎本の笑顔は、運動部の友人が歯を見せて笑う、あの時の表情とよく似ていた。
人を和ます、不思議な笑顔。
「…いつもイヤホンしてるけど、音楽好きなの?」
「え?ああ…iPodは…お義父さんが僕に譲ってくれたんです。お下がりで悪いけどって。僕は、どうでもよかったのですが」
「そうなの?僕、てっきりお義父さんの影響かと思ってたんだけど。聞いてる時の格好までそっくりだから」
そう言って、榎本は着ているコートのポケットに両手を突っ込んで見せた。
「あ……」
「不思議だね。成瀬さんも、昔っからいつも手をポッケに入れて歩いてた。それでいてつまづいたりしないんだから、やっぱり器用なのかも」
「………」
「あ、ゴメン。気を悪くしたなら謝るよ。ちょっと、調子に乗りすぎたかな?」
「…違い、ます」
「?」
「僕は…手が冷たいと…いやだから…」
そう言うと、双葉は自分の両手をズボンのポケットから出し、そっと膝の上で開いて見せる。
血の気の薄い、細く長い指をしたきれいな掌。そっと榎本は右手を取り握りしめると、その手はさっきまで肌に触れていたとは思えない程冷え切っていた。
「僕…何でか体温低くて…平熱も35度あるかないかくらいなんです。だからなのか分からないけど…いつも、手が氷みたいに冷たい」
「確かに、ちょっとひんやりしてるかもね」
握った手を両の掌で挟むと、榎本は双葉の隣に腰掛ける。
「でもそれ以上に…僕は自分の手が嫌いなんです。良く分からないけど…視界に入れていたくなくて、勉強みたいに手に意識を集中させなくて良いとき以外は、ずっとポケットにしまってます。そうすると少しは温もるし、ほっとするから…」
喋っている双葉の側で、榎本はさっきからずっと双葉の手を握り、手の甲をなでている。
「…お義父さんも、僕が不安になって心が揺らいでると、いつもそうやって手を握ってくれて…」
ああ、また。
目頭が熱くなる。
「お義父さん、お見舞い、いかなきゃって、ずっと、思って…だけ、ど…こわく、て……ぼく、また、めいわく、かけてる……ぼく…」
榎本は何も言わず、手を握ったまま、双葉の背中を優しくなぜる。
「なきがお…みせたら、きっと、しんぱい、する…うそでも…だいじょう、ぶかって、きっと、きく…お、とうさん、ぼくが、つらいとき…いつも…いつも…て、にぎって、だいじょうぶって、…いまは、ぼくが、いってあげなきゃ、いけないのに…」
「堪える必要は無いよ。君は一度失う痛みを知ってる。だから、余計に辛いんだ」
「ちが、う…ぼく…ぼく……やさしく、されるの、こわい…いつか、やさしいのが、ぜんぶ、ぜんぶ、ぼくのせいできえたら、…つらい…」
「優しいね、君は…」
「やさしくなんかない!」
榎本は驚いて、背中をさすっていた手が止まる。
双葉は、自分でも驚くほどの大声を出した自分に驚き、そして声を殺し榎本の手を放すと、両の手で顔を覆い涙を流した。
双葉は泣きながら、心の底から泣いていない、ひどく冷静に己を分析している自分が心の片隅にいるのに気付き、つくづく自分が嫌でたまらなかった。
顔が熱い。涙がこぼれて、顔がぐじゃぐじゃになるのが分かるのに、
いつだって僕の手は、冷え切ったまま。
きっと、それは僕の心をそのまま映す鏡。
僕は優しい人間なんかじゃない。
いつも、いつも、人の顔色ばっかり伺って、人の望む答えばかり探している、ウケ狙いの最低な人間。
自分なんかない、他人に合わせてばっかり、可もなく不可もない、
「どうでもいい」人間。
何で僕が生きてて、お義父さんみたいな優しい人が死ななきゃならないんだ…。
気付くと、そのままソファで横になっていたらしい。宵闇ですっかり暗くなった部屋で目を覚ますと、身体に毛布がかけてあった。
これじゃまるで、だだをこねる小さな子供みたいだ。
そう思い、双葉はままならない自分の感情と態度を反省した。
身体をソファに預けたまま、腫れぼったい目をこすり、ゆっくりと身体を起こす。
目の前のテーブルに、置き手紙が置いてあった。
「食卓に、夕食を置いておきます。よければ、食べてください。やっと落ち着いてきた君の心を揺さぶるような事を聞いてゴメンね。食事を摂ったら、片付けは僕がするのですぐに休んでください。 追伸:君のケータイ?が家の台所に転がっていたので持ち帰りました。ついでに充電しておいたけど、随分着信がたまっているようなので、ちゃんとチェックしておくんだよ。 中身は見てないからね!」
暗がりに慣れてきた目でテーブルに目線を注ぐと、すぐそばに確かに自分のケータイが置いてあった。
そういえば、義父が倒れた日に病院からの着信を受けて以来、どうしていたか思い出せない。というか、存在自体を忘れていた。
普段、めったに使う事はなく、時折義父が「遅くなる」とか「あれこれ買っておいて」等の電話やメールを送ってくるだけのものだったから。
ボディ脇の確認ボタンを押すと、正面のディスプレイに信じられない表示が出ていた。
「着信57件 メール86件」
…今までメールアドレスを他人に教えた事はあったが、これほどたくさん他人からアクセスされた覚えはなかった。
おそるおそる、内容を確認していく。
一部広告メールも混じってはいたが、ほとんどは、学校の友達からの着信とメール。
一番多かったのは、運動部の友人からの着信だった。
伝言メモに残っていた、彼の言葉を聞く。
彼の残したメールを順に読む。他の友達のメールも、順番に。
僕は、随分涙もろくなってるみたいで、また、泣いた。
いつも、どこで何をしてても、ずっと、ひとり。
そのはずだったのに。
お義父さんが倒れて以来、僕は時折考える。
こんな僕に、何で皆こんなに優しくしてくれるのだろう。
僕、何も返せやしないのに…。
その晩、双葉は初めて義父以外の人間にメールを打った。拙いながらもゆっくりと落ち着いて打ち終えて、送信するまでたっぷりと時間を要し、そして緊張したままソファで再び眠りについた。
「ただいまー」
「…おかえりなさい」
榎本さんに挨拶を返すのが慣れてきた自分に気付いて、双葉は少し可笑しな気持ちがした。
父のように安心感を感じるには頼りないが、何故か人を和ませるオーラを持っている榎本が、双葉は嫌いではなかった。
「今日、気分どう?シーサーは良い子にしてたかい?」
「はい、とても。一日一緒にひなたぼっこさせてもらって、気分も大分良くなったように思います」
「そう、それは良かった。お家の片付け、簡単にすませておいたからしばらくは心配ないと思うよ。家賃も、大家さんに事情を説明したから気にしなくていいと思う。着替えも持って帰ったよ」
「すみません、何から何まで」
ぺこり、と頭を下げると、榎本は気にしないでいいってと、くすりと笑った。
同級生の事、思い出した理由が分かった気がする。榎本の笑顔は、運動部の友人が歯を見せて笑う、あの時の表情とよく似ていた。
人を和ます、不思議な笑顔。
「…いつもイヤホンしてるけど、音楽好きなの?」
「え?ああ…iPodは…お義父さんが僕に譲ってくれたんです。お下がりで悪いけどって。僕は、どうでもよかったのですが」
「そうなの?僕、てっきりお義父さんの影響かと思ってたんだけど。聞いてる時の格好までそっくりだから」
そう言って、榎本は着ているコートのポケットに両手を突っ込んで見せた。
「あ……」
「不思議だね。成瀬さんも、昔っからいつも手をポッケに入れて歩いてた。それでいてつまづいたりしないんだから、やっぱり器用なのかも」
「………」
「あ、ゴメン。気を悪くしたなら謝るよ。ちょっと、調子に乗りすぎたかな?」
「…違い、ます」
「?」
「僕は…手が冷たいと…いやだから…」
そう言うと、双葉は自分の両手をズボンのポケットから出し、そっと膝の上で開いて見せる。
血の気の薄い、細く長い指をしたきれいな掌。そっと榎本は右手を取り握りしめると、その手はさっきまで肌に触れていたとは思えない程冷え切っていた。
「僕…何でか体温低くて…平熱も35度あるかないかくらいなんです。だからなのか分からないけど…いつも、手が氷みたいに冷たい」
「確かに、ちょっとひんやりしてるかもね」
握った手を両の掌で挟むと、榎本は双葉の隣に腰掛ける。
「でもそれ以上に…僕は自分の手が嫌いなんです。良く分からないけど…視界に入れていたくなくて、勉強みたいに手に意識を集中させなくて良いとき以外は、ずっとポケットにしまってます。そうすると少しは温もるし、ほっとするから…」
喋っている双葉の側で、榎本はさっきからずっと双葉の手を握り、手の甲をなでている。
「…お義父さんも、僕が不安になって心が揺らいでると、いつもそうやって手を握ってくれて…」
ああ、また。
目頭が熱くなる。
「お義父さん、お見舞い、いかなきゃって、ずっと、思って…だけ、ど…こわく、て……ぼく、また、めいわく、かけてる……ぼく…」
榎本は何も言わず、手を握ったまま、双葉の背中を優しくなぜる。
「なきがお…みせたら、きっと、しんぱい、する…うそでも…だいじょう、ぶかって、きっと、きく…お、とうさん、ぼくが、つらいとき…いつも…いつも…て、にぎって、だいじょうぶって、…いまは、ぼくが、いってあげなきゃ、いけないのに…」
「堪える必要は無いよ。君は一度失う痛みを知ってる。だから、余計に辛いんだ」
「ちが、う…ぼく…ぼく……やさしく、されるの、こわい…いつか、やさしいのが、ぜんぶ、ぜんぶ、ぼくのせいできえたら、…つらい…」
「優しいね、君は…」
「やさしくなんかない!」
榎本は驚いて、背中をさすっていた手が止まる。
双葉は、自分でも驚くほどの大声を出した自分に驚き、そして声を殺し榎本の手を放すと、両の手で顔を覆い涙を流した。
双葉は泣きながら、心の底から泣いていない、ひどく冷静に己を分析している自分が心の片隅にいるのに気付き、つくづく自分が嫌でたまらなかった。
顔が熱い。涙がこぼれて、顔がぐじゃぐじゃになるのが分かるのに、
いつだって僕の手は、冷え切ったまま。
きっと、それは僕の心をそのまま映す鏡。
僕は優しい人間なんかじゃない。
いつも、いつも、人の顔色ばっかり伺って、人の望む答えばかり探している、ウケ狙いの最低な人間。
自分なんかない、他人に合わせてばっかり、可もなく不可もない、
「どうでもいい」人間。
何で僕が生きてて、お義父さんみたいな優しい人が死ななきゃならないんだ…。
気付くと、そのままソファで横になっていたらしい。宵闇ですっかり暗くなった部屋で目を覚ますと、身体に毛布がかけてあった。
これじゃまるで、だだをこねる小さな子供みたいだ。
そう思い、双葉はままならない自分の感情と態度を反省した。
身体をソファに預けたまま、腫れぼったい目をこすり、ゆっくりと身体を起こす。
目の前のテーブルに、置き手紙が置いてあった。
「食卓に、夕食を置いておきます。よければ、食べてください。やっと落ち着いてきた君の心を揺さぶるような事を聞いてゴメンね。食事を摂ったら、片付けは僕がするのですぐに休んでください。 追伸:君のケータイ?が家の台所に転がっていたので持ち帰りました。ついでに充電しておいたけど、随分着信がたまっているようなので、ちゃんとチェックしておくんだよ。 中身は見てないからね!」
暗がりに慣れてきた目でテーブルに目線を注ぐと、すぐそばに確かに自分のケータイが置いてあった。
そういえば、義父が倒れた日に病院からの着信を受けて以来、どうしていたか思い出せない。というか、存在自体を忘れていた。
普段、めったに使う事はなく、時折義父が「遅くなる」とか「あれこれ買っておいて」等の電話やメールを送ってくるだけのものだったから。
ボディ脇の確認ボタンを押すと、正面のディスプレイに信じられない表示が出ていた。
「着信57件 メール86件」
…今までメールアドレスを他人に教えた事はあったが、これほどたくさん他人からアクセスされた覚えはなかった。
おそるおそる、内容を確認していく。
一部広告メールも混じってはいたが、ほとんどは、学校の友達からの着信とメール。
一番多かったのは、運動部の友人からの着信だった。
伝言メモに残っていた、彼の言葉を聞く。
彼の残したメールを順に読む。他の友達のメールも、順番に。
僕は、随分涙もろくなってるみたいで、また、泣いた。
いつも、どこで何をしてても、ずっと、ひとり。
そのはずだったのに。
お義父さんが倒れて以来、僕は時折考える。
こんな僕に、何で皆こんなに優しくしてくれるのだろう。
僕、何も返せやしないのに…。
その晩、双葉は初めて義父以外の人間にメールを打った。拙いながらもゆっくりと落ち着いて打ち終えて、送信するまでたっぷりと時間を要し、そして緊張したままソファで再び眠りについた。
トラックバックURL↓
http://3373plugin.blog45.fc2.com/tb.php/31-a7f58d0a
| ホーム |