喪ったものと、見失ったものと。
*
事故の後、ほどなくして俺達対シャドウ兵器第二チームの肩書きは「対シャドウ戦闘員チーム」へと変わった。
あの悲惨な爆発事故において、全員がほぼ無傷で生還し、尚かつその身にペルソナ能力を宿していた事が桐条の上層部に発覚し、「関係者の足取り調査」という名目で「事故の後処理」に関わらざるを得なくなったからだ。
桐条本社はあくまで「俺達の意志を尊重し、参加は強制しない」としたが、全員それを鵜呑みに出来るほど馬鹿ばっかりではなかったし、何より桐条が怖い云々よりも、たくさんの罪もない被害者を生み出し、港区のみならず世界の一部に少なからぬ負の損害を与えた実験に関わった事を、皆引け目に感じていたのだろう。公式発表の倍近い、「生死不明」扱いとなっている研究員の大半は、シャドウに精神どころか身も心もしゃぶりつくされて遺骸すら残っていないのだから。
事故当時の、凄惨な殺戮現場を目撃していない者に説明するのは随分と骨が折れる。
だが、もし映像でも残っていたなら、確実に俺は「逃げてしまえば良かったのに」と一言でも呟く奴に説教混じりにそれを閲覧させていた事だろう。
目の前で、助ける暇もなく、
シャドウに塩ビの人形のように引きちぎられたり、
シャドウと同化して生きながら融解し骨すらも残らなかったり、
ぶちぶちと蟻か羽虫のように人が踏みつぶされる様を、目の当たりにして、普通の生活になど、もう、戻れなかった。
俺達第二チームの一番の損失…いや、喪失は、ガラティア他対シャドウ非常制圧兵装アンドロイド、いわば自分の娘達の「死」だった。
人形の「破壊」を「死」だと形容するのは奇妙に映るかもしれないが、俺達にとって「彼女たち」は、まさしく隣人であり、大切な仲間であり、かけがえのない娘だった。かろうじてコアの損傷をまぬがれた姉妹機の「アイギス」も、親元である俺達の元から離され、屋久島の研究所にて長期の修理に回された。アイギスが屋久島に修理へ出されたのを知ったのは、ガラティア達の死を知らされてから数日後、既にアイギスが屋久島に送られた後の事だった。
それから後、俺は二度と彼女たちに関わる事は出来なかった。
かろうじて、堂島だけがチームの解散後に影時間対応機器の製作に関わる中で彼女たちの残存データやアイギスの修繕に携わっていると聞いたが、結局俺は彼女たちの今際がどうであったかすら教えてはもらえなかった。
コアの欠片すら回収できなかった今、もう、あの日笑って、怒って、自分の名を呼んでいた彼女たちを復活させることは、不可能だった。
あっけないほどの、喪失。
父親として「娘」を失う痛み。
深く穿たれた穴を必死に埋めるように、俺はペルソナを用い、仲間を引き連れ、チームのリーダーとしてシャドウをただただ討伐し続ける日々を過ごした。
*
一年半後。
俺達対シャドウ戦闘員チームは桐条本社からの信頼も取り戻し、与えられた任務を黙々と日々こなしていた。
当時既に台頭し始めていた幾月の評判ほどではなかったが、俺達は確実に仕事を遂行することに定評があり、ペルソナを用いる戦闘能力もあって、幾月のタッチしそうにない、いわゆる「損な仕事」ばかりを押しつけられる役目を担っていた。
仲間達は、俺を責めるどころか、逆に随分と気を遣わせたように思う。
あいつらは、皆俺の判断は正しかったと言い、逆に日向の密告をひどく恨んでいた。あれさえなければ、実験を止められたのに、と。
日向をそこまで追いやったのは、俺だとは、とても言えなかった。
とはいえ、俺も上層部に不満はたっぷりあったが、俺個人にはそれでもシャドウに関わり続けなければならない理由があった。
それは、フタバ少年の行方。
事故の直前、ガラティアと部下の金森に連れられて逃げ出したフタバは、その直後に紆余曲折を経て母親の元に帰されたが、運悪く実験余波の交通事故に巻き込まれ、ムーンライトブリッジの上で母親と死別。
その後病院に担ぎこまれ入院していたそうだが、ある日忽然と姿を消した。
病院だけでなく、周辺住人のボランティアも出てきての捜索活動まで行われたが、有力な情報もなく、フタバは「失踪」のままになっていた。
時同じくして囁かれ始めた恐ろしい噂。
「事故で死んだはずの日向が実は生きていて、孤島に研究所を作りシャドウの研究をしている」と…。
結びつけなくていいのかも知れなかった。だが、日向の執着と粘着質な性格を知っている自分には、どうしても関連性を考えずにはおれなかった。
日向はどうでもいい。だが、フタバの消息だけははっきりさせておきたい…。
それだけが、愛したあの人への供養であり詫びになるような気がして、俺は当時気持ちが折れそうになる度、彼女の笑顔を思い出してばかりいた。
馬鹿な男だ。
結局その思いが、一人の少年の人生を取り返しのつかない不幸へ追いやったというのに。
その浅はかな執着が、日向のそれと同等の、あさましく醜い嫉妬だったと思い知らされた時、全ては、もう遅かった。
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