荒ぶる小学生と一億のカード。
*
敦がコンビニでぼんやりと己の思いを自覚していた頃。
県内某所の牛丼チェーン店、人もまばらなカウンター席。
「…と、いう訳なんです」
「ふうん、なるほどねえ」
生玉入り牛丼をむしゃむしゃがっつきながら、たどたどしく身の上を語る小学生=敦の弟のネムに、耳を傾ける青年の姿があった。
細面で、肉付きの薄いひょろ長い体格。うなじで一括りにした長髪。半袖のサテンシャツにジーンズ姿と一見ひ弱な学生に見えるのだが、不思議と人を安心させる穏和さを漂わせている。細い目と知的に見える顔元で、ネムの荒々しい食事姿にも、米粒をポロポロこぼしても柔和な笑みを絶やさないのもその一因かも知れない。
細い黒縁の眼鏡のつるをいじりながら、青年は「うーん」と短く唸ると「やっぱり親御さんの所に帰った方がいいよ」と諭すように答えた。
「駄目だよぅ!だってこれは戦争なんだ、ボクの夏休みと楽しみを奪ったあいつらになんとしてもホーフクをっ…!」
「で、それを考えるために親戚の家に行ったのに、そこでも叱られて飛び出してきたんでしょう?計画性がないと思うな僕は」
「むっ…むう」
言葉に窮し、牛肉の最後のひとかけを箸でつまんで口に入れると、それっきりネムは丼の底を見つめたまま黙りこくってしまう。
話は数時間前に遡る。
親戚の家も、唐突に訪問して寝床に着替えと迷惑をかけておきながら、注意一言でその家も飛び出したネムは、昼には暑さと空腹と喉の渇きに耐えかね、財布の中身を睨んでは途方に暮れ、公衆電話の前で自宅に電話しようかどうしようか悩んでいたところをこの青年に声をかけられた。
青年は、ネムを迷子だと思ったらしい。
スーパー前でべそをかいていたからだろう。
ジュースを買ってもらったのをきっかけに、ネムはこれ幸いと人の良い青年にあれこれと自分の相談をもちかけ、不満をぶちまけ、ついでに牛丼をおごられ今に至っている。
青年は、陰善という医大生らしい。
東京から来ているらしい友人を捜すため、バイトを休んでいたのだがネムを放っておけなくなり、今のいままで貴重な休日を潰しているのだが、ネムはそんな自覚もなく、ただむっつりと「家に電話したら?」→「だが断る」→「だったらどうするの」→「それはこれから考える。とりあえず腹へった。のど乾いた」→「おまわりさんの所に行こうか」→「だが断る」→以下ループで、青年を無自覚に振り回していた。
「…一緒に遊んでもらえば良かったのに」
鮭の昼定食を食べながら、青年はにこやかにそう呟く。
「え?」
「お兄さんのお友達と。僕は羨ましいけどな。そういう友達、あんまりいないしね」
「嫌です」
「どうして?」
「だって…」
「お兄さんのお友達は、ワガママを聞いてくれないかも知れないから?」
「…むっ、悪いですか!?だって、兄さんだけなら、何でも僕の言う事聞いてくれるのに…」
「それで、お兄さんは本当に喜んでた?」
「…喜ぶっていうか、僕が…」
「自分一人が楽しいって思えるような遊びは、もうそろそろ卒業しないとね」
「・・・・・」
困惑するネムの横顔に、青年は何も言わずコップに水をくみ直し彼の目の前に差し出す。
「それ飲んだら、一緒に家に行こうか。僕も、一緒に謝ってあげるから」
「僕は悪くない」
「そうだね、君は自分に素直に生きているだけだ。でも、そこにお兄さんへの思いやりはあったかな?」
「………」
「君の話を聞いただけだから何ともだけど、お兄さん、何だかお友達が来て迷惑どころか、本当は楽しそうだったんじゃないのかな」
「………」
「だから、羨ましくってイタズラしたんじゃないかな?君だって、お兄さんに迷惑をかけたと思ってるから、こうして逃げ回ってるんじゃないのかな?」
「………」
「ごめんなさいできたら、もっと大きな世界が見えるよ。ね、だから…」
「…ぅぅ」
「泣かない泣かない。男の子じゃないか。ね?」
カウンターの向こうで、二人以外客もない牛丼の店長も力強く頷く。
「…まあったく、最近のガキはワガママが過ぎるなぁ。俺だったらそんな甘ったれぶっとばしてるよ。ねえインちゃんよぉ」
「そう言わないでよ店長。よければ、この子にアイス出してもらってもいいです?今日はやけにむし暑いし」
「いいよ、お前さんは馴染みだし、おまけしとこうな」
店長が奥へ引っ込むと、ぐずっていたネムが「だって」と涙声で呟く。
「だって…兄ちゃん以外僕、味方も遊んでくれる人もいない…」
「うんうん…」
「だから…だから…」
「…そっか。それは辛かったね。でも、もう君はそれを自分で答えられたじゃないか。もう立派な一人前だ。だから…」
「帰りません」
強情なネムに、流石の青年も冷や汗を浮かべる。
「でも、お金も泊まる当てもないんでしょう?僕もそう余裕は無いし…」
「大丈夫です、切り札がありますから」
「切り札?」
オウム返しに問い返す青年に、ネムは気をよくしたのか自信満々で胸を張る。
「そうです!きっと、…いや多分ですけど、トレカみたく高額で引き取ってもらえそうなカード持ってますから。それを売ってお金にして、ホテル泊まります」
「何だいそのカードって?レアなポケモンカードとか?」
「いいえっ、これですぅ!!」
高らかに、ネムがカードを突き出すと同時に店長が「ほいこれ」とガラス皿に盛ったバニラと苺のアイスをカウンターに差し出した。
「で、親に謝る気にはなったかボウズ?」
「べっつにい」
ふん、と鼻を鳴らしアイスを頬張るネムと対照的に、カードを受け取った青年の表情は見る間に険しさを増していく。
「…ねえボク」
「なにー?」
「これ、君のじゃないでしょう」
「・・・!」
もがげっっふん、とむせそうになったネムの隣で、青年は心底怒りを腹に据えかねた様子でネムを静かに見下ろす。
「呆れたな。拾ったのか盗んだのか知らないけど、他人様のものを売り払おうとするなんて」
「ちっ、ちがっ!盗んでない、それはウチの庭に落ちてたんだ!」
「おいおい、落とし物は警察へ持ってくのが筋だろ?勝手に自分の持ち物にしたら、お巡りさんに牢屋へ放り込まれるんだぞ?」
店長にまで脅かされ、ネムはむうう、と唇を震わせる。
「そうか…でもそれで分かった。君の家には、是が非でも僕は行かないとならないな」
「ええっ!何でっ!それは僕が拾ったんだ!僕のだ!」
慌ててカードを取り返そうと手を伸ばしたネムの掌を、青年はぴしゃりと叩いてはねつける。
「違う。これは、トレカショップに行っても二束三文にもならないが、ある人にとっては寝食を費やしてやっと達成した、かけがえのない大切な証なんだ。彼…僕の、大切な友達のものを勝手に持ち出すなんて、僕は見過ごせないし許せないかな」
「何で、それがお兄さんの友達のだって分かるのさ!」
「これ」
そういうと、青年はカードの裏面=アンサーアンサーのICカード裏に書かれていた「封」の字をこれ見よがしに指差す。
「この字は、見忘れるはずがない。…彼の字だ。間違いない」
「そ…それは…」
「さあて、連れて行ってもらおうかな。僕も…君の家に来ているお客さんに、謝らなければならないことがあるしね」
「ま、まだだ!そっ、それが本当に、お兄さんの友達のか、確かめてからだっ!」
苦し紛れに騒ぐネムに、青年は「いいよ」とこともなげにさらりと答え、カウンターに代金を添えて立ち上がった。
*
午後19時前、ゲームセンター【シガユニバース新潟】。
ほんの数時間前、ここに彼らの関係者が来ていたことを、二人とも知るよしもなく。
ゲーセンは日が落ちると未成年は補導対象になるため、辛うじて日差しが残っている間に急ぎ足でアンアンの筐体のある二階ビデオゲームコーナーへと向かう。
アンアンの筐体前では、四×四台の内、向かって手前側の四台は一番奥の席に一人リーマンが着席しているのみ。
夕飯時のためか、三台空きの状態である。
奥から一台空けて二番目の席に座ろうと、二人が二人掛けの座席を引き摺って動かすと、音で気付いたのかリーマンが画面から顔を上げ二人に「おや」と声をかけてきた。
「陰善君じゃないか」
「あれ、お久しぶりです」
リーマンに見覚えがあるらしく、青年=陰善はにこやかに頭を何度も下げる。
リーマンも、自分たちと同じく線のような細目だが、やや吊り気味で丸顔な男である。
ただ、それ以外はこれといって特徴もない顔立ちだ。スーツを脱いだら、まるで印象が残らない、彫りの浅い顔に、中肉中背なごく普通な出で立ちなのだが、にしてはやけに陰善は丁重に挨拶を交わしている。
ネムが陰善青年を挟んでけげんそうにしていると、リーマンはICカードを抜いて財布に丁寧にしまい、そのまま席を詰め隣に寄ってきた。
「彼が来るかと思って帰りの便は明日の昼にしたんだけど、ビンゴだったのかな」
「いえいえ、待ち合わせじゃあないんです。残念ですけど」
「ありゃ、そうなのかい?たまたまか」
残念無念、とリーマンはつるっとした額にさも悲しげな皺を寄せてみせる。
「たまたま、と言いますか、これから会いに行こうかと思ってるとこです。まず、道案内の彼…この子なんですが、彼を説得しようかと」
「そうなの?なら一緒に行こうかな~♪酒屋さんに今押しかけてるらしいし、一杯呑んで、ついでに課長に一本土産買って帰ってもいいかもしんない。彼に会うって事は、二人とも復活フラグかな?それなら呑んでお祝いしないとね~」
「またそうやって呑兵衛なことを」
「いいじゃないか。マイル大名のリーマンなんて、呑むか押すかしか楽しみないんだからさ」
「またまたそんな~」
「あのう、ちょっと」
大人の話についていけないネムが不満そうに唇を尖らせると、「ああ、確認するんだったね」と慌てて陰善はカードを取り出す。
「それ」
リーマンも一瞥して分かったのか、陰善の持つICカードを指差して「どうしたのこれ」と目を丸くする。
「この子が持ってたものです。家で拾ったそうで。…本当、彼とことんツイテないですね」
「…あー…全くだな。今ケータイ登録してるのってサブの方だろ?というよりも、不用心すぎやしないか?今度休み明けに大学帰ってきたら説教だなこれは」
「クオさんに説教されたら、彼絶対涙目ですって」
「僕の説教長いからねえ~。自覚しちゃあいるんだが、いきつけの店でやるもんだから終いには絶対アルコール入るし(笑)」
あはは、と顔を見合わせて笑う大人二人の端で、「誰?」と不審げな視線を覗かせるネムに「九尾さん」と陰善が答える。
「…九尾の狐って知ってる?
あの字を書いてクオさん。前は結構お世話になってた人なんだ」
「どうも、お父さんによろしくね~」
そう言うと、すかさずリーマン=九尾はスーツの内ポケットから名刺を取り出しネムに握らせる。
そこには(ネムは知らないのだが)某有名企業の名前と、営業部長の肩書き、そして男の名前が印されている。
普段触っているバトルカードと違って味気ない白黒名刺に、ネムは「ふうん」と鼻を鳴らしただけであった。
「じゃあ、約束だよ。僕が言った通りの名前のキャラが出てきたら、君の家に連れていってくれるね」
「ちぇっ、分かったよ」
「よしよし」
ぶーたれ顔のネムをよそに、陰善はカードを筐体に差し込む。
ポップなBGMと共に、カードが認識され画面下にカード情報が表示される。
【CN/サツマハヤト リーグ:SS パワー:1億4940万パワー 残数:3】
それを見て、最初にネムが「うっそ!」と驚きの声を上げた。
「嘘じゃない、やっぱりそうだった」
「えっえっ、でも何で分かったの?!」
「だって有名人だしねえ、彼」
「ねえ?」
互いに顔を見合わせて、にやりとチェシャスマイルを浮かべる大人二人に、「まずい」と腰を浮かせたネムだったが、すかさず二の腕を陰善に掴まれ「あわわ」と唇を震わせる。
「さあ約束だ。一緒に行こうね」
カードを手早く引き抜いて筐体の上に置くと、陰善はすっくと立ち上がりネムを見下ろす。
「うわーん!やだっ!ゆうかいはんだって、騒いでやるから!」
「潔くないちびっこだなあ。男に二言は無し!そんな事するなら、僕が陰善君に代わってお尻引っぱたくよ!」
「うわわーん!!!やだやだやだやだああ!!」
大人二人に説教され、ネムがイヤイヤと身をよじっていたその時。
「ちょっと待ったあ!!」
突然の背後からの大声に陰善が身をすくませた隙に、ネムは力任せに陰善の腕を振り払い、駆け出そうとするも座椅子に足を引っかけて派手に転倒し、その場でふるふると「いたい…」と硬直し痛みを堪える。
呆れて溜息をつく陰善の前に現れたのは、揃いの黒袢纏を着た男たちの集団だった。
「おめ…おめ、なんてカードもってるか!それ売ってくれい!頼む!」
リーダーらしき、浅黒い肌をした山のような巨漢は、いきなり陰善と九尾の前でがばりと土下座し唐突な申し出を言い出した。
「ええっ…?」
「誰ですか、一体」
「知りません。…それに、僕も見た覚えの無い人たちですし…」
「お、俺に、俺にその一億越えのカード、どうか売ってくれ!それさえあれば、きっとお嬢も俺に惚れ直してくれるだ!」
「惚れ」「直す」
何事かと、詳しく問い正そうと口を開きかけたところで、足の痛みから立ち直ったネムが「それ僕の」とぼそりと呟く。
「なっ、なんとおおお!マジか、よし俺が何でも好きなもん食わせてやるだ!その代わり、あれ俺にくれねえか?」
「いいよ。それと、どこか泊まる所も欲しいな」
「いよっし!」
小学生と突然降って湧いた奇妙な男達の集団の勝手なやり取りに、慌てて陰善が「待った!」と止めに入る。
「ちょっと、ちょっと待って!これは僕の友人のカードだ!それをこの子が拾ってただけです!だから、これは差し上げられませんし、売るなんてとんでもないっ!」
「その通り。しかも、億のパワーカードを高額で買ったところで、実力がないならあっという間に消費し尽くしてしまうだけだ。知識の証を金で買おうなんて、なんとけしからん連中だ!」
大人二人に牽制され、ネムはますます不機嫌な面持ちでブスッと頬を膨らませ「僕が拾ったんだから、僕のだ」とあさっての方向にぼそりと吐き捨てる。
「だな!だな!拾ったモノは俺のモノ、俺のモノは俺のモノ、だ!」
「ジャイアニズムでごまかさないで下さい!窃盗で捕まりますよ?!」
「うるせえだ!俺はお嬢をゲット出来ればなんでもええだ!それとも何か?お前、そこのクイズは自信ありってか?」
背後の「アンサー×アンサー」筐体を指差す巨漢の男に、陰善も九尾も「まあ」「それなりに」と曖昧に言葉尻を濁す。
「ほほう…なら、おめえさんたちの実力が本物なら、頼みたい事があるだ。どっちでもええ、俺の頼み聞いてくれるなら、今買ったカード、後で報酬代わりにやってもええだよ」
「なんつー」「えげつない商売…」
二人があからさまに顔をしかめたのを見て、男も「文句あるだか」と嫌そうに眉をひそめる。
「嫌ならええだよ別に?」
「そうだよ。僕はゲームで億だろうが何だろうがお金になれば関係ないし。兄ちゃんが悪いんだからさ」
俺様ジャイアン男にワガママ放題な小学生を前に、理性的に生きる男二人はううん、と顔を見合わせ唸る他なかった。
【7月22日夜・その頃敦たちは自宅で夕飯】
敦がコンビニでぼんやりと己の思いを自覚していた頃。
県内某所の牛丼チェーン店、人もまばらなカウンター席。
「…と、いう訳なんです」
「ふうん、なるほどねえ」
生玉入り牛丼をむしゃむしゃがっつきながら、たどたどしく身の上を語る小学生=敦の弟のネムに、耳を傾ける青年の姿があった。
細面で、肉付きの薄いひょろ長い体格。うなじで一括りにした長髪。半袖のサテンシャツにジーンズ姿と一見ひ弱な学生に見えるのだが、不思議と人を安心させる穏和さを漂わせている。細い目と知的に見える顔元で、ネムの荒々しい食事姿にも、米粒をポロポロこぼしても柔和な笑みを絶やさないのもその一因かも知れない。
細い黒縁の眼鏡のつるをいじりながら、青年は「うーん」と短く唸ると「やっぱり親御さんの所に帰った方がいいよ」と諭すように答えた。
「駄目だよぅ!だってこれは戦争なんだ、ボクの夏休みと楽しみを奪ったあいつらになんとしてもホーフクをっ…!」
「で、それを考えるために親戚の家に行ったのに、そこでも叱られて飛び出してきたんでしょう?計画性がないと思うな僕は」
「むっ…むう」
言葉に窮し、牛肉の最後のひとかけを箸でつまんで口に入れると、それっきりネムは丼の底を見つめたまま黙りこくってしまう。
話は数時間前に遡る。
親戚の家も、唐突に訪問して寝床に着替えと迷惑をかけておきながら、注意一言でその家も飛び出したネムは、昼には暑さと空腹と喉の渇きに耐えかね、財布の中身を睨んでは途方に暮れ、公衆電話の前で自宅に電話しようかどうしようか悩んでいたところをこの青年に声をかけられた。
青年は、ネムを迷子だと思ったらしい。
スーパー前でべそをかいていたからだろう。
ジュースを買ってもらったのをきっかけに、ネムはこれ幸いと人の良い青年にあれこれと自分の相談をもちかけ、不満をぶちまけ、ついでに牛丼をおごられ今に至っている。
青年は、陰善という医大生らしい。
東京から来ているらしい友人を捜すため、バイトを休んでいたのだがネムを放っておけなくなり、今のいままで貴重な休日を潰しているのだが、ネムはそんな自覚もなく、ただむっつりと「家に電話したら?」→「だが断る」→「だったらどうするの」→「それはこれから考える。とりあえず腹へった。のど乾いた」→「おまわりさんの所に行こうか」→「だが断る」→以下ループで、青年を無自覚に振り回していた。
「…一緒に遊んでもらえば良かったのに」
鮭の昼定食を食べながら、青年はにこやかにそう呟く。
「え?」
「お兄さんのお友達と。僕は羨ましいけどな。そういう友達、あんまりいないしね」
「嫌です」
「どうして?」
「だって…」
「お兄さんのお友達は、ワガママを聞いてくれないかも知れないから?」
「…むっ、悪いですか!?だって、兄さんだけなら、何でも僕の言う事聞いてくれるのに…」
「それで、お兄さんは本当に喜んでた?」
「…喜ぶっていうか、僕が…」
「自分一人が楽しいって思えるような遊びは、もうそろそろ卒業しないとね」
「・・・・・」
困惑するネムの横顔に、青年は何も言わずコップに水をくみ直し彼の目の前に差し出す。
「それ飲んだら、一緒に家に行こうか。僕も、一緒に謝ってあげるから」
「僕は悪くない」
「そうだね、君は自分に素直に生きているだけだ。でも、そこにお兄さんへの思いやりはあったかな?」
「………」
「君の話を聞いただけだから何ともだけど、お兄さん、何だかお友達が来て迷惑どころか、本当は楽しそうだったんじゃないのかな」
「………」
「だから、羨ましくってイタズラしたんじゃないかな?君だって、お兄さんに迷惑をかけたと思ってるから、こうして逃げ回ってるんじゃないのかな?」
「………」
「ごめんなさいできたら、もっと大きな世界が見えるよ。ね、だから…」
「…ぅぅ」
「泣かない泣かない。男の子じゃないか。ね?」
カウンターの向こうで、二人以外客もない牛丼の店長も力強く頷く。
「…まあったく、最近のガキはワガママが過ぎるなぁ。俺だったらそんな甘ったれぶっとばしてるよ。ねえインちゃんよぉ」
「そう言わないでよ店長。よければ、この子にアイス出してもらってもいいです?今日はやけにむし暑いし」
「いいよ、お前さんは馴染みだし、おまけしとこうな」
店長が奥へ引っ込むと、ぐずっていたネムが「だって」と涙声で呟く。
「だって…兄ちゃん以外僕、味方も遊んでくれる人もいない…」
「うんうん…」
「だから…だから…」
「…そっか。それは辛かったね。でも、もう君はそれを自分で答えられたじゃないか。もう立派な一人前だ。だから…」
「帰りません」
強情なネムに、流石の青年も冷や汗を浮かべる。
「でも、お金も泊まる当てもないんでしょう?僕もそう余裕は無いし…」
「大丈夫です、切り札がありますから」
「切り札?」
オウム返しに問い返す青年に、ネムは気をよくしたのか自信満々で胸を張る。
「そうです!きっと、…いや多分ですけど、トレカみたく高額で引き取ってもらえそうなカード持ってますから。それを売ってお金にして、ホテル泊まります」
「何だいそのカードって?レアなポケモンカードとか?」
「いいえっ、これですぅ!!」
高らかに、ネムがカードを突き出すと同時に店長が「ほいこれ」とガラス皿に盛ったバニラと苺のアイスをカウンターに差し出した。
「で、親に謝る気にはなったかボウズ?」
「べっつにい」
ふん、と鼻を鳴らしアイスを頬張るネムと対照的に、カードを受け取った青年の表情は見る間に険しさを増していく。
「…ねえボク」
「なにー?」
「これ、君のじゃないでしょう」
「・・・!」
もがげっっふん、とむせそうになったネムの隣で、青年は心底怒りを腹に据えかねた様子でネムを静かに見下ろす。
「呆れたな。拾ったのか盗んだのか知らないけど、他人様のものを売り払おうとするなんて」
「ちっ、ちがっ!盗んでない、それはウチの庭に落ちてたんだ!」
「おいおい、落とし物は警察へ持ってくのが筋だろ?勝手に自分の持ち物にしたら、お巡りさんに牢屋へ放り込まれるんだぞ?」
店長にまで脅かされ、ネムはむうう、と唇を震わせる。
「そうか…でもそれで分かった。君の家には、是が非でも僕は行かないとならないな」
「ええっ!何でっ!それは僕が拾ったんだ!僕のだ!」
慌ててカードを取り返そうと手を伸ばしたネムの掌を、青年はぴしゃりと叩いてはねつける。
「違う。これは、トレカショップに行っても二束三文にもならないが、ある人にとっては寝食を費やしてやっと達成した、かけがえのない大切な証なんだ。彼…僕の、大切な友達のものを勝手に持ち出すなんて、僕は見過ごせないし許せないかな」
「何で、それがお兄さんの友達のだって分かるのさ!」
「これ」
そういうと、青年はカードの裏面=アンサーアンサーのICカード裏に書かれていた「封」の字をこれ見よがしに指差す。
「この字は、見忘れるはずがない。…彼の字だ。間違いない」
「そ…それは…」
「さあて、連れて行ってもらおうかな。僕も…君の家に来ているお客さんに、謝らなければならないことがあるしね」
「ま、まだだ!そっ、それが本当に、お兄さんの友達のか、確かめてからだっ!」
苦し紛れに騒ぐネムに、青年は「いいよ」とこともなげにさらりと答え、カウンターに代金を添えて立ち上がった。
*
午後19時前、ゲームセンター【シガユニバース新潟】。
ほんの数時間前、ここに彼らの関係者が来ていたことを、二人とも知るよしもなく。
ゲーセンは日が落ちると未成年は補導対象になるため、辛うじて日差しが残っている間に急ぎ足でアンアンの筐体のある二階ビデオゲームコーナーへと向かう。
アンアンの筐体前では、四×四台の内、向かって手前側の四台は一番奥の席に一人リーマンが着席しているのみ。
夕飯時のためか、三台空きの状態である。
奥から一台空けて二番目の席に座ろうと、二人が二人掛けの座席を引き摺って動かすと、音で気付いたのかリーマンが画面から顔を上げ二人に「おや」と声をかけてきた。
「陰善君じゃないか」
「あれ、お久しぶりです」
リーマンに見覚えがあるらしく、青年=陰善はにこやかに頭を何度も下げる。
リーマンも、自分たちと同じく線のような細目だが、やや吊り気味で丸顔な男である。
ただ、それ以外はこれといって特徴もない顔立ちだ。スーツを脱いだら、まるで印象が残らない、彫りの浅い顔に、中肉中背なごく普通な出で立ちなのだが、にしてはやけに陰善は丁重に挨拶を交わしている。
ネムが陰善青年を挟んでけげんそうにしていると、リーマンはICカードを抜いて財布に丁寧にしまい、そのまま席を詰め隣に寄ってきた。
「彼が来るかと思って帰りの便は明日の昼にしたんだけど、ビンゴだったのかな」
「いえいえ、待ち合わせじゃあないんです。残念ですけど」
「ありゃ、そうなのかい?たまたまか」
残念無念、とリーマンはつるっとした額にさも悲しげな皺を寄せてみせる。
「たまたま、と言いますか、これから会いに行こうかと思ってるとこです。まず、道案内の彼…この子なんですが、彼を説得しようかと」
「そうなの?なら一緒に行こうかな~♪酒屋さんに今押しかけてるらしいし、一杯呑んで、ついでに課長に一本土産買って帰ってもいいかもしんない。彼に会うって事は、二人とも復活フラグかな?それなら呑んでお祝いしないとね~」
「またそうやって呑兵衛なことを」
「いいじゃないか。マイル大名のリーマンなんて、呑むか押すかしか楽しみないんだからさ」
「またまたそんな~」
「あのう、ちょっと」
大人の話についていけないネムが不満そうに唇を尖らせると、「ああ、確認するんだったね」と慌てて陰善はカードを取り出す。
「それ」
リーマンも一瞥して分かったのか、陰善の持つICカードを指差して「どうしたのこれ」と目を丸くする。
「この子が持ってたものです。家で拾ったそうで。…本当、彼とことんツイテないですね」
「…あー…全くだな。今ケータイ登録してるのってサブの方だろ?というよりも、不用心すぎやしないか?今度休み明けに大学帰ってきたら説教だなこれは」
「クオさんに説教されたら、彼絶対涙目ですって」
「僕の説教長いからねえ~。自覚しちゃあいるんだが、いきつけの店でやるもんだから終いには絶対アルコール入るし(笑)」
あはは、と顔を見合わせて笑う大人二人の端で、「誰?」と不審げな視線を覗かせるネムに「九尾さん」と陰善が答える。
「…九尾の狐って知ってる?
あの字を書いてクオさん。前は結構お世話になってた人なんだ」
「どうも、お父さんによろしくね~」
そう言うと、すかさずリーマン=九尾はスーツの内ポケットから名刺を取り出しネムに握らせる。
そこには(ネムは知らないのだが)某有名企業の名前と、営業部長の肩書き、そして男の名前が印されている。
普段触っているバトルカードと違って味気ない白黒名刺に、ネムは「ふうん」と鼻を鳴らしただけであった。
「じゃあ、約束だよ。僕が言った通りの名前のキャラが出てきたら、君の家に連れていってくれるね」
「ちぇっ、分かったよ」
「よしよし」
ぶーたれ顔のネムをよそに、陰善はカードを筐体に差し込む。
ポップなBGMと共に、カードが認識され画面下にカード情報が表示される。
【CN/サツマハヤト リーグ:SS パワー:1億4940万パワー 残数:3】
それを見て、最初にネムが「うっそ!」と驚きの声を上げた。
「嘘じゃない、やっぱりそうだった」
「えっえっ、でも何で分かったの?!」
「だって有名人だしねえ、彼」
「ねえ?」
互いに顔を見合わせて、にやりとチェシャスマイルを浮かべる大人二人に、「まずい」と腰を浮かせたネムだったが、すかさず二の腕を陰善に掴まれ「あわわ」と唇を震わせる。
「さあ約束だ。一緒に行こうね」
カードを手早く引き抜いて筐体の上に置くと、陰善はすっくと立ち上がりネムを見下ろす。
「うわーん!やだっ!ゆうかいはんだって、騒いでやるから!」
「潔くないちびっこだなあ。男に二言は無し!そんな事するなら、僕が陰善君に代わってお尻引っぱたくよ!」
「うわわーん!!!やだやだやだやだああ!!」
大人二人に説教され、ネムがイヤイヤと身をよじっていたその時。
「ちょっと待ったあ!!」
突然の背後からの大声に陰善が身をすくませた隙に、ネムは力任せに陰善の腕を振り払い、駆け出そうとするも座椅子に足を引っかけて派手に転倒し、その場でふるふると「いたい…」と硬直し痛みを堪える。
呆れて溜息をつく陰善の前に現れたのは、揃いの黒袢纏を着た男たちの集団だった。
「おめ…おめ、なんてカードもってるか!それ売ってくれい!頼む!」
リーダーらしき、浅黒い肌をした山のような巨漢は、いきなり陰善と九尾の前でがばりと土下座し唐突な申し出を言い出した。
「ええっ…?」
「誰ですか、一体」
「知りません。…それに、僕も見た覚えの無い人たちですし…」
「お、俺に、俺にその一億越えのカード、どうか売ってくれ!それさえあれば、きっとお嬢も俺に惚れ直してくれるだ!」
「惚れ」「直す」
何事かと、詳しく問い正そうと口を開きかけたところで、足の痛みから立ち直ったネムが「それ僕の」とぼそりと呟く。
「なっ、なんとおおお!マジか、よし俺が何でも好きなもん食わせてやるだ!その代わり、あれ俺にくれねえか?」
「いいよ。それと、どこか泊まる所も欲しいな」
「いよっし!」
小学生と突然降って湧いた奇妙な男達の集団の勝手なやり取りに、慌てて陰善が「待った!」と止めに入る。
「ちょっと、ちょっと待って!これは僕の友人のカードだ!それをこの子が拾ってただけです!だから、これは差し上げられませんし、売るなんてとんでもないっ!」
「その通り。しかも、億のパワーカードを高額で買ったところで、実力がないならあっという間に消費し尽くしてしまうだけだ。知識の証を金で買おうなんて、なんとけしからん連中だ!」
大人二人に牽制され、ネムはますます不機嫌な面持ちでブスッと頬を膨らませ「僕が拾ったんだから、僕のだ」とあさっての方向にぼそりと吐き捨てる。
「だな!だな!拾ったモノは俺のモノ、俺のモノは俺のモノ、だ!」
「ジャイアニズムでごまかさないで下さい!窃盗で捕まりますよ?!」
「うるせえだ!俺はお嬢をゲット出来ればなんでもええだ!それとも何か?お前、そこのクイズは自信ありってか?」
背後の「アンサー×アンサー」筐体を指差す巨漢の男に、陰善も九尾も「まあ」「それなりに」と曖昧に言葉尻を濁す。
「ほほう…なら、おめえさんたちの実力が本物なら、頼みたい事があるだ。どっちでもええ、俺の頼み聞いてくれるなら、今買ったカード、後で報酬代わりにやってもええだよ」
「なんつー」「えげつない商売…」
二人があからさまに顔をしかめたのを見て、男も「文句あるだか」と嫌そうに眉をひそめる。
「嫌ならええだよ別に?」
「そうだよ。僕はゲームで億だろうが何だろうがお金になれば関係ないし。兄ちゃんが悪いんだからさ」
俺様ジャイアン男にワガママ放題な小学生を前に、理性的に生きる男二人はううん、と顔を見合わせ唸る他なかった。
【7月22日夜・その頃敦たちは自宅で夕飯】
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