イベント会場、午後の部直前。
*
「あれだな」
有名デパートの広大な駐車場の片隅から典生の指差す先を見やると、出入り口付近に見慣れぬ特設会場があるのが遠目からも視認出来た。
大型トラック二台分のスペースに壇が組まれ、イベント用の白いパーテーションにパステルカラーストライプのバック。同柄の壁面中央には大型液晶ビジョンが「A」と「Q」マークを絶えず反転させながらくるくると回っていた。
一見すると、テレビでよく見るようなアイドルや戦隊ショーの舞台装置だが、舞台中央には「アンサーアンサー」の筐体四つが据えてあるのが分かる。
「…なんか、人少なめ?」
「だあな」
そろりと近付いて、大型ワゴンの影からイベント会場を覗く。駐車場脇なので、平地で遮るものもないため会場の周囲は一目瞭然だった。
人垣、と呼べそうな頭数は見えるものの、大半はいかにも「ゲーム好き」そうな風貌の若い学生や男性の姿で、百貨店に用のありそうな主婦層はイベント会場をちらりと横目で眺めた後、そそくさと軽自動車に積荷を満載したワゴンを押していくのが見えた。
「会場でアイドルと握手会!先着五十名様に特製エコバッグプレゼント!」と描かれた金赤のゴシック体看板が、どこか虚しい。
壇上脇に据え置かれた白い屋根付きの即売会スペースでは、卓上に満載されたゲーム関連のグッズと見た目にもけばけばしいアイアイのCDパッケージが異彩を放っている。四月に半ば押しつけられる形でアイアイの毒々しいデザイン色紙を渡された庵は、相変わらずなアイアイの極彩色センスに閉口しつつも、品物を前に座るイベントスタッフの表情が随分と暗いのが気にかかった。
「会場は…もうすぐ午後の部開始か。お前さん、どうする?」
看板を眺めて、典生は自分の背後に隠れるようにしている庵に訊ねる。
先日、夏彦に聞いた噂が気になっていた庵だが、イベントの現状が厳しいのは間違いなさそうであった。
…まあ、元々マイナーにもほどがあるゲームだし、幾らテレビがクイズブームだからといって、イベント一つ打って爆発的にヒットするなら苦労はしない。
察するに、イベント会社か企画そのものの見通しが甘かったのではなかろうか。
それならそれで、自分は関わり合いを持たない方が良さそうだと庵は判じ、遠目からの観戦も避ける事に決めた。
せっかく平穏に過ごしているのに、テレビカメラに見つけられてはたまったものではない。
もっとも、スタッフの不況顔を見てアイアイが気がかりではあったが、自分がしゃしゃり出る空気でもなかろうしそもそも芸能界はもうこりごりである。
心くすぐられるような猛者が居れば気も変わったかもしれないが、そうした出会いも期待出来そうにない雰囲気なら、用はない。
「ねえおじさん、知ってる人いそう?おじさんアンアンじゃあ有名人なんだし、強そうなアンサーの知り合いとか」
「地元の知り合いか?…いや、いなさそうだな。二・三人知ってるから、いたら声かけるが」
「そっか…なら俺はいいです。これで充分わかったような気がします。ビール、本当に頼んでるなら貰って積んでおきますよ」
「いや、頼んでないない(笑)お前さん、顔割れるとまずいんだっけ?なら、車でちょいと昼寝でもしてな。カギ渡しておくから、クーラーつけていいぞ。何かあったらケータイに電話くれ」
「了解です」
ちゃりん、と受け取ったカギには何故か可愛らしい魔法少女の人形ストラップがぶら下がっていた。
「カミさんがこないだキャッチャーで取ったんだ」
庵の表情に疑問符が浮かんでいたのが見て取れたのだろう。付け加えて、娘に似てるだろ?と典生は照れくさそうにはにかんだ。
*
助手席のシートを倒してクーラーを付けた車内に横たわると、ふいに目の前が揺れる感覚を味わって「あれ?」と庵は思った。
「やばい、頭使い過ぎたかも」
寝不足な上に、昨日から仕事でオツムをフル稼働し続けてたせいかもしれない。
軽い目眩がした。
以前から、「ライブラリ」を多用し過ぎると気が抜けた瞬間に目眩や立ちくらみをもよおして、酷い時には知恵熱で動けなくなる事もあった。
小学校時代にテレビに出たくなくなった理由の一つもそれだ。
怒濤のような仕事量に押し潰されて高熱に倒れるまで休みなくスケジュールを詰め込まれ続け、それでも庵は黙々とテレビ出演し続けた。
何よりも取り戻したものがあったから。
欲しい欲しいと思ったモノが、そこにあると思っていたから。
しかし、賞賛や名声を得ても、それでも手に入らないものがあると悟った後、教育機関を名乗る怪しい勧誘訪問に危機を感じた親の忠告を「素直な良い子として」聞き入れる形でテレビに出るのをやめた。
「だからやめろと言ったんだ。
いずれ無理が来ると分かっていたんだ。
いや、ボロを出す前に済んで良かっただろうが」
遠い日の、分かったような口を聞く父親の顔が脳裏に浮かぶ。
明瞭に瞼の裏に浮かぶ口元の皺。
セブンスターの煙が混じった口臭。
鼻先で自分を笑う時に微かに抜ける息の音。
嫌々に重苦しく動く薄い唇。
組んだままの筋肉逞しい浅黒い腕…何故だろう、父の口元から上の表情は、いつも像がピンぼけてくっきりと浮かんでこない。
頭が重くなると、その頃の陰鬱な気持ちばかりがありありと思い出されて、嫌になる。
久しくなかった感覚だったが、ここ数日で疲労が溜まっているのかも知れない。
屋外からイベント会場のささやかな歓声が遠く聞こえて、庵は効き始めたクーラーの心地よさにうとうととまどろんだ。
【7月27日午後・庵は昼寝・奥様は裏でスタンバイ中・夫は観客側】
「あれだな」
有名デパートの広大な駐車場の片隅から典生の指差す先を見やると、出入り口付近に見慣れぬ特設会場があるのが遠目からも視認出来た。
大型トラック二台分のスペースに壇が組まれ、イベント用の白いパーテーションにパステルカラーストライプのバック。同柄の壁面中央には大型液晶ビジョンが「A」と「Q」マークを絶えず反転させながらくるくると回っていた。
一見すると、テレビでよく見るようなアイドルや戦隊ショーの舞台装置だが、舞台中央には「アンサーアンサー」の筐体四つが据えてあるのが分かる。
「…なんか、人少なめ?」
「だあな」
そろりと近付いて、大型ワゴンの影からイベント会場を覗く。駐車場脇なので、平地で遮るものもないため会場の周囲は一目瞭然だった。
人垣、と呼べそうな頭数は見えるものの、大半はいかにも「ゲーム好き」そうな風貌の若い学生や男性の姿で、百貨店に用のありそうな主婦層はイベント会場をちらりと横目で眺めた後、そそくさと軽自動車に積荷を満載したワゴンを押していくのが見えた。
「会場でアイドルと握手会!先着五十名様に特製エコバッグプレゼント!」と描かれた金赤のゴシック体看板が、どこか虚しい。
壇上脇に据え置かれた白い屋根付きの即売会スペースでは、卓上に満載されたゲーム関連のグッズと見た目にもけばけばしいアイアイのCDパッケージが異彩を放っている。四月に半ば押しつけられる形でアイアイの毒々しいデザイン色紙を渡された庵は、相変わらずなアイアイの極彩色センスに閉口しつつも、品物を前に座るイベントスタッフの表情が随分と暗いのが気にかかった。
「会場は…もうすぐ午後の部開始か。お前さん、どうする?」
看板を眺めて、典生は自分の背後に隠れるようにしている庵に訊ねる。
先日、夏彦に聞いた噂が気になっていた庵だが、イベントの現状が厳しいのは間違いなさそうであった。
…まあ、元々マイナーにもほどがあるゲームだし、幾らテレビがクイズブームだからといって、イベント一つ打って爆発的にヒットするなら苦労はしない。
察するに、イベント会社か企画そのものの見通しが甘かったのではなかろうか。
それならそれで、自分は関わり合いを持たない方が良さそうだと庵は判じ、遠目からの観戦も避ける事に決めた。
せっかく平穏に過ごしているのに、テレビカメラに見つけられてはたまったものではない。
もっとも、スタッフの不況顔を見てアイアイが気がかりではあったが、自分がしゃしゃり出る空気でもなかろうしそもそも芸能界はもうこりごりである。
心くすぐられるような猛者が居れば気も変わったかもしれないが、そうした出会いも期待出来そうにない雰囲気なら、用はない。
「ねえおじさん、知ってる人いそう?おじさんアンアンじゃあ有名人なんだし、強そうなアンサーの知り合いとか」
「地元の知り合いか?…いや、いなさそうだな。二・三人知ってるから、いたら声かけるが」
「そっか…なら俺はいいです。これで充分わかったような気がします。ビール、本当に頼んでるなら貰って積んでおきますよ」
「いや、頼んでないない(笑)お前さん、顔割れるとまずいんだっけ?なら、車でちょいと昼寝でもしてな。カギ渡しておくから、クーラーつけていいぞ。何かあったらケータイに電話くれ」
「了解です」
ちゃりん、と受け取ったカギには何故か可愛らしい魔法少女の人形ストラップがぶら下がっていた。
「カミさんがこないだキャッチャーで取ったんだ」
庵の表情に疑問符が浮かんでいたのが見て取れたのだろう。付け加えて、娘に似てるだろ?と典生は照れくさそうにはにかんだ。
*
助手席のシートを倒してクーラーを付けた車内に横たわると、ふいに目の前が揺れる感覚を味わって「あれ?」と庵は思った。
「やばい、頭使い過ぎたかも」
寝不足な上に、昨日から仕事でオツムをフル稼働し続けてたせいかもしれない。
軽い目眩がした。
以前から、「ライブラリ」を多用し過ぎると気が抜けた瞬間に目眩や立ちくらみをもよおして、酷い時には知恵熱で動けなくなる事もあった。
小学校時代にテレビに出たくなくなった理由の一つもそれだ。
怒濤のような仕事量に押し潰されて高熱に倒れるまで休みなくスケジュールを詰め込まれ続け、それでも庵は黙々とテレビ出演し続けた。
何よりも取り戻したものがあったから。
欲しい欲しいと思ったモノが、そこにあると思っていたから。
しかし、賞賛や名声を得ても、それでも手に入らないものがあると悟った後、教育機関を名乗る怪しい勧誘訪問に危機を感じた親の忠告を「素直な良い子として」聞き入れる形でテレビに出るのをやめた。
「だからやめろと言ったんだ。
いずれ無理が来ると分かっていたんだ。
いや、ボロを出す前に済んで良かっただろうが」
遠い日の、分かったような口を聞く父親の顔が脳裏に浮かぶ。
明瞭に瞼の裏に浮かぶ口元の皺。
セブンスターの煙が混じった口臭。
鼻先で自分を笑う時に微かに抜ける息の音。
嫌々に重苦しく動く薄い唇。
組んだままの筋肉逞しい浅黒い腕…何故だろう、父の口元から上の表情は、いつも像がピンぼけてくっきりと浮かんでこない。
頭が重くなると、その頃の陰鬱な気持ちばかりがありありと思い出されて、嫌になる。
久しくなかった感覚だったが、ここ数日で疲労が溜まっているのかも知れない。
屋外からイベント会場のささやかな歓声が遠く聞こえて、庵は効き始めたクーラーの心地よさにうとうととまどろんだ。
【7月27日午後・庵は昼寝・奥様は裏でスタンバイ中・夫は観客側】
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