男達、股旅へ。
*
「そいじゃあ、足が付く前に行ってきます」
「はーい、気をつけてね♪」
正午過ぎのマンション駐車場。昼食時真っ最中の時間であるのに加えて、炎天下の屋外駐車場には他に誰もいない。
無論、それを計算して移動の段取りを組んだのである。
朝食時に顔を合わせて全員で話し、庵以下四名は夏彦の運転で新神戸駅まで送ってもらう事になった。
典生も今日は久方ぶりの休日のはずだったが、急遽午後から出社しなければならないため夏彦が運転席に乗ることになったのだ。
あまり長居していれば、いずれ庵にテレビ局の足がつきかねないからである。
ならば、安藤宅からは出て早めに香川へ行った方が無難だろうという話になった。
途中、敦のために岡山をぶらりと見学してテレビ局の眼を撒いた後、速やかに四国上陸する予定だ。
まだ前日の疲れが抜けきってないものの、そこは麻美と典子姉妹のてきぱきとした動きが効果的なサポートを担った。
疲労回復はたっぷりの睡眠と食事、そして極力無駄な動きに労力を費やさない事。
前日の寝床に続き、朝起きたらすぐに栄養たっぷりかつジューシーな分厚いベーコンエッグと野菜炒め、トーストとオレンジジュースが卓上に出され、それが見る間に片付き四国へ出かける算段が整うと、すぐに麻美が四人分の着替えや洗濯物をまとめて大きな布カバンに畳んで詰め込み、「あんまりもてなしも出来なかったし」とおやつを詰めた特製袋まで即席で作って隅に入れておいてくれた。
「麻美さん、仕事早すぎ」
謝辞を述べる前に庵が照れくさそうにそう呟くと、麻美は一瞬首をすくめて見せた。
「そう?予想出来る事をちゃっちゃと済ませただけだよ。普通普通」
「ありがと」
他の三人や夏彦たちが部屋にいないのを確認して、麻美はそっと庵に「電話した?」と囁く。
「した。あと二・三日で着くよって」
「上出来ね。待たされてる女の子はちゃんと数字が分からないと安心出来ないの。もうすぐ、とかしばらく、とかって響きは苦手なのよ。不安になるから」
「へえ、そんなもんなんだ」
「そうよ。浮気や二股してるんじゃないかって勘ぐられるんだから。遊ばれてるかもとか」
「ええっ!」
「だから、注意しなさいってこと。君が幾ら天才だからって、女の子には君たちの知らない秘密や落とし穴がいっぱいなんだから。ちゃーんと、大事にしてあげるんだよ、人気者」
「は、はいっ」
「はいよろし☆」
背筋をただした庵に、麻美がゆったりと微笑む。そこには、普段通りの大人びた女性の笑顔があった。
*
「それじゃ、これ車のカギ。先月五年ローンで買った新車なんだから大事に乗れよ」
そう言う典生の視線は、大学生四人の傍らに停車してある黒のミニバンを愛でるような眼差しで見つめている。
車は男のステータス、と言われていた時代は既に遠いかもしれないが、やはり男はこういう形あるスタンダードに惚れるものだ。普段から新車の売り込みに飛び回って性能を知り尽くした典生にとっての、自身へのご褒美とも言える一台だった。
「大袈裟だな兄貴、昨日も俺が運転して帰ったくせに」
助手席で高いびきだったじゃねえのよ、と苦笑いを浮かべてマスコット付きのキーを受け取る夏彦に、典生は「ほれ」ともう一つ手荷物を手渡す。
普段夏彦が使っている黒のナイロンバッグだが、やけに重みを感じる。
「?」と思いジッパーを開くと、「ぬぉ?」と夏彦は頓狂な声をもらした。
「何で俺の普段着と下着が入ってんだ?」
「何でって、お前も込みで貸し出すから」
「はあぁっ!?」
夏彦同様に、全く聞いていなかった&予想していなかった展開に、典生はしてやったりな大笑を見せた。
「ちょっと待て兄貴!俺は今研究レポとプレゼン資料の真っ最中で…!」
「えー、でもここ半月ずっと同じ事言ってなかったかお前?あれから進歩してんの?ん?」
「うぐっ…」
「ほーれな?菓子買いに出る以外、日陰にこもりっきりだから脳みそがカビてんだよ。くまちゃんの中で充分汗かいたんだし、次は黒くなるまでしっかり日光浴してこいよ。ビタミンDをせっせと体内精製してドライブでリフレッシュってな」
「いやちょっ…んな、唐突に話勝手に進めるな!第一、安佐達の同意が…」
「あ、俺は別にいいですよ?」
特に止める理由もないため、庵がつるっとそう答えると他の三人も「僕も」「同意です」「俺も別に」と即座に全会一致を示した。
「どうせバカな集まりなんで、真面目にやってる先輩を誘うのは止めておいた方がいいかなとは思ったんですけど」
「全員集合出来たらいいな、とは四人で話はしてたんです。実は」
「えっと、でも足まで借りていいんですか?お兄さん。出勤…」
「ああいいぞ。しばらくカミさんに送ってもらう事にした。そうでもしないと一緒にイチャイチャも出来ん。朝は、娘の送迎ついでにな」
率直な言葉を返す後輩たちに、夏彦は苦虫噛み潰したような困り顔でカバンの取手を握ったまま棒立ちになってしまった。
そっと背後を振り返ると、後輩達は夏彦の心情を察してかニヤニヤと彼が同意の一言を発するのを待っている。
余計に言いだし辛えなオイ、と夏彦が口元をモゴモゴさせていると、「いじいじしないの」と典生の背後から声がかかった。
「夏彦さん、行けばいいのに」
「麻美さん」
ついでに出かけると言って白のノースリーブシャツに着替えてきた麻美が、困惑したまま固まっている夏彦に微笑みかける。
「幾ら勉強が大事だって言っても、ずっとお楽しみもなく続けられないと思うんだよね。来年はリクルート一色になるだろうし、こんな風に遊べるの、きっと今年が最後だと思うよ」
「ま、まあそれはそうですが」
「だったら、最後に思い出作ったらいいんじゃないかな?やっと出来た後輩で、やっと作ったサークルでしょ?部長の肩書きだけもらったって、何も共有する思い出が残せなかったら夏彦さん自身がきっと寂しくなると思うの。大学時代は全部研究室だけで締めくくるつもり?」
「うむぅ…」
「ま、要は最後くらいどーんと遊んでらっしゃいって事!これで潰れるような夢じゃないでしょ?夏彦さんの四年半」
「そ、それは勿論です!」
煮え切らない態度から一変、ハッキリと断言した夏彦の力強い声色に麻美はニッコリ笑って「だったら平気だよ」とこともなげに答える。
「ガマンしないで行ってきて。そういうの、見え見えなんだもの」
はいこれ、と、麻美はこっそり持ってきた夏彦愛用のノートパソコンを専用バッグごと手渡す。
「バッテリーと充電器もポケットに入れておいたわ。庵君たちの口ぶりなら半月くらいだから、休み終わる前までバカンス出来るわよ」
「…本当に、何から何まですんません。いつもいつも世話になってばかりで」
「いいの、そうしたいんだもの」
「え?」
「何でもないよ。でもお土産だけ、忘れずにね☆」
麻美の魅惑的な優しい微笑みのせいか、真夏の熱気のせいか、一瞬夏彦は目眩がしたような気がした。
だが、その熱気がこれほど心地よいと思ったのは、初めての事だった。
*
数分後。
セブンシートのゆったりした車内にそそくさと乗り込み、四人が後部座席に座ったのを確認すると夏彦はエンジンをかけた。
レベル2固定の冷房から勢いよく温い温風が一瞬吹き出し、すぐに冷流へと切り替わる。
とはいえ、蒸し風呂のような車内を冷え切るまで閉め切るのは厳しい。すぐに全員パワーウィンドウを全開にすると、「10分立ったら閉めろよ」と、運転席脇に立つ典生の有難い訓辞が飛んだ。
「駅に行くようにとは言ってたが、典子さんの予想じゃあ駅は誰か見張りに来てる可能性が高いとよ。バスもダメだ。公共機関で移動すると踏んでるだろうから、逆に国道通って瀬戸大橋目指せ。海見て良い発想が出るよう祈っててやるよ」
「兄貴、何だか悪いよやっぱり。義姉さんが持ってる軽四くらいでいいんじゃないか?」
「ばーか、軽四は四人乗りだぞ?一人あぶれるだろうがっての。まあ、そう思うならキズ付けずに乗って帰れよな。後、洗車と車内清掃、クーラー交換、ガソリンハイオク満タンにしておいてくれたら、とっても嬉しいかな!」
「今ガソリン幾らだと思ってるんだよ!!(2008年7月当時のガソリンハイオク単価:リッター184円)…っち、やっておくよ。そんくらい新車買うのと比べたら安いもんだからな」
ちら、と典生の背後を窺う視線に、皆誰が言うまでもなく「ワリカン」の文字が全員の頭をよぎって「確定事項」の四文字熟語へと変わった。
「まあまあそんな怒るなって。あと、夜中にプレイするときは電話一本寄越しな。遠隔対戦というのを一度やってみたいんでな。ほれ、軍資金」
「ん?バイトの給料は打ち上げ前にもらったはずじゃあ…」
窓から差し入れられた茶封筒の中身を透かし、夏彦が口元を曲げて「五万円!?」と叫ぶと全員が前列へと前のめりになる。
「今回の急募に来てくれた礼だ。薄給だから、一人一枚で勘弁な」
「あーもう、そういうことすっから兄貴は…」
「いいのいいの、キチンと勉強もバイトもする奴にはご褒美がいるもんさ!…あ、お前のは土産代含まれてるから。ちゃんとメモ入れてるから、後で買って送るように。つまみになりそうなものを足しておいてくれると兄は喜ぶぞ~」
「分かったよ、考えておく。…麻美さんのはチョコ味のお菓子でいいです?」
典生の背後に立っていた麻美は、ふいに話を振られて「私?」と一瞬きょとんと目を丸くする。
「いや、別に何味でもいいわよ。何でチョコ味?」
「え、いやその…」
一瞬むぐむぐと口ごもった後、夏彦は言い出しにくそうに「好きかなと」とそっぽを向いたまま答える。
「うーん、確かにチョコ好きだけど、別に拘りはないよ」
「あれ、そうだったんですか…俺はてっきりチョコが一番好きなのかと」
「そうなの?」
「あ、いや、その…気のせいだと思うんですけど…いつも、ファミレスでもカフェでも、チョコケーキやチョコパフェや、カフェモカ頼まれてたかなと思ってたので…何でしたっけ、ガトーショコラとかもお好きだって言われてたような…」
「……!」
身に覚えがあったのか、麻美の顔が瞬く間に赤く染まる。
そっぽを向いたままの夏彦も。
運転席の車内外で、夏彦と麻美の間に微妙な沈黙が流れ、何故か夏彦は「すんません」とぼそりと呟く。
「えと、何か美味そうなもん見繕って送りますんで。んじゃ、そろそろ行きますね」
「お、おう。気をつけてな」
敬語な弟に戸惑う兄の背後で、「待って!」と麻美が慌てて閉まるパワーウィンドウ越しに夏彦へ声を掛ける。
「九州行くなら広島通るかな?私、チョコ味のモミジ饅頭大好きなの!」
「それですね!分かりました、買って送ります!うまそうなチョコあったら、一緒に送ります!」
「ありがと!たくさんじゃなくっていいから、待ってるね!」
「はい!」
にかっ、と歯を見せて笑った夏彦に、麻美も笑顔で手を振って見送る。
車影が駐車場から出て行った後、駐車場には「あいつらしいねえ」と苦笑いな典生と、清々しい微笑みをたたえた麻美の姿があった。
「今頃、車内は大騒ぎだな」
「どうしてです?お義兄さん」
「分かってるくせに、とぼけるね」
「さあて、何のことでしょう~?じゃあお兄さん、ついでに送っていきますから一緒に乗ってって下さいね。帰りはケータイで連絡」
「はーいよ」
さあさあお買い物、と典生のキーとお揃いのマスコットがついたキーを指先で弄びながら、麻美は軽やかに姉の軽四の方へと歩き出していった。
【→次回チェックポイント 香川】
「そいじゃあ、足が付く前に行ってきます」
「はーい、気をつけてね♪」
正午過ぎのマンション駐車場。昼食時真っ最中の時間であるのに加えて、炎天下の屋外駐車場には他に誰もいない。
無論、それを計算して移動の段取りを組んだのである。
朝食時に顔を合わせて全員で話し、庵以下四名は夏彦の運転で新神戸駅まで送ってもらう事になった。
典生も今日は久方ぶりの休日のはずだったが、急遽午後から出社しなければならないため夏彦が運転席に乗ることになったのだ。
あまり長居していれば、いずれ庵にテレビ局の足がつきかねないからである。
ならば、安藤宅からは出て早めに香川へ行った方が無難だろうという話になった。
途中、敦のために岡山をぶらりと見学してテレビ局の眼を撒いた後、速やかに四国上陸する予定だ。
まだ前日の疲れが抜けきってないものの、そこは麻美と典子姉妹のてきぱきとした動きが効果的なサポートを担った。
疲労回復はたっぷりの睡眠と食事、そして極力無駄な動きに労力を費やさない事。
前日の寝床に続き、朝起きたらすぐに栄養たっぷりかつジューシーな分厚いベーコンエッグと野菜炒め、トーストとオレンジジュースが卓上に出され、それが見る間に片付き四国へ出かける算段が整うと、すぐに麻美が四人分の着替えや洗濯物をまとめて大きな布カバンに畳んで詰め込み、「あんまりもてなしも出来なかったし」とおやつを詰めた特製袋まで即席で作って隅に入れておいてくれた。
「麻美さん、仕事早すぎ」
謝辞を述べる前に庵が照れくさそうにそう呟くと、麻美は一瞬首をすくめて見せた。
「そう?予想出来る事をちゃっちゃと済ませただけだよ。普通普通」
「ありがと」
他の三人や夏彦たちが部屋にいないのを確認して、麻美はそっと庵に「電話した?」と囁く。
「した。あと二・三日で着くよって」
「上出来ね。待たされてる女の子はちゃんと数字が分からないと安心出来ないの。もうすぐ、とかしばらく、とかって響きは苦手なのよ。不安になるから」
「へえ、そんなもんなんだ」
「そうよ。浮気や二股してるんじゃないかって勘ぐられるんだから。遊ばれてるかもとか」
「ええっ!」
「だから、注意しなさいってこと。君が幾ら天才だからって、女の子には君たちの知らない秘密や落とし穴がいっぱいなんだから。ちゃーんと、大事にしてあげるんだよ、人気者」
「は、はいっ」
「はいよろし☆」
背筋をただした庵に、麻美がゆったりと微笑む。そこには、普段通りの大人びた女性の笑顔があった。
*
「それじゃ、これ車のカギ。先月五年ローンで買った新車なんだから大事に乗れよ」
そう言う典生の視線は、大学生四人の傍らに停車してある黒のミニバンを愛でるような眼差しで見つめている。
車は男のステータス、と言われていた時代は既に遠いかもしれないが、やはり男はこういう形あるスタンダードに惚れるものだ。普段から新車の売り込みに飛び回って性能を知り尽くした典生にとっての、自身へのご褒美とも言える一台だった。
「大袈裟だな兄貴、昨日も俺が運転して帰ったくせに」
助手席で高いびきだったじゃねえのよ、と苦笑いを浮かべてマスコット付きのキーを受け取る夏彦に、典生は「ほれ」ともう一つ手荷物を手渡す。
普段夏彦が使っている黒のナイロンバッグだが、やけに重みを感じる。
「?」と思いジッパーを開くと、「ぬぉ?」と夏彦は頓狂な声をもらした。
「何で俺の普段着と下着が入ってんだ?」
「何でって、お前も込みで貸し出すから」
「はあぁっ!?」
夏彦同様に、全く聞いていなかった&予想していなかった展開に、典生はしてやったりな大笑を見せた。
「ちょっと待て兄貴!俺は今研究レポとプレゼン資料の真っ最中で…!」
「えー、でもここ半月ずっと同じ事言ってなかったかお前?あれから進歩してんの?ん?」
「うぐっ…」
「ほーれな?菓子買いに出る以外、日陰にこもりっきりだから脳みそがカビてんだよ。くまちゃんの中で充分汗かいたんだし、次は黒くなるまでしっかり日光浴してこいよ。ビタミンDをせっせと体内精製してドライブでリフレッシュってな」
「いやちょっ…んな、唐突に話勝手に進めるな!第一、安佐達の同意が…」
「あ、俺は別にいいですよ?」
特に止める理由もないため、庵がつるっとそう答えると他の三人も「僕も」「同意です」「俺も別に」と即座に全会一致を示した。
「どうせバカな集まりなんで、真面目にやってる先輩を誘うのは止めておいた方がいいかなとは思ったんですけど」
「全員集合出来たらいいな、とは四人で話はしてたんです。実は」
「えっと、でも足まで借りていいんですか?お兄さん。出勤…」
「ああいいぞ。しばらくカミさんに送ってもらう事にした。そうでもしないと一緒にイチャイチャも出来ん。朝は、娘の送迎ついでにな」
率直な言葉を返す後輩たちに、夏彦は苦虫噛み潰したような困り顔でカバンの取手を握ったまま棒立ちになってしまった。
そっと背後を振り返ると、後輩達は夏彦の心情を察してかニヤニヤと彼が同意の一言を発するのを待っている。
余計に言いだし辛えなオイ、と夏彦が口元をモゴモゴさせていると、「いじいじしないの」と典生の背後から声がかかった。
「夏彦さん、行けばいいのに」
「麻美さん」
ついでに出かけると言って白のノースリーブシャツに着替えてきた麻美が、困惑したまま固まっている夏彦に微笑みかける。
「幾ら勉強が大事だって言っても、ずっとお楽しみもなく続けられないと思うんだよね。来年はリクルート一色になるだろうし、こんな風に遊べるの、きっと今年が最後だと思うよ」
「ま、まあそれはそうですが」
「だったら、最後に思い出作ったらいいんじゃないかな?やっと出来た後輩で、やっと作ったサークルでしょ?部長の肩書きだけもらったって、何も共有する思い出が残せなかったら夏彦さん自身がきっと寂しくなると思うの。大学時代は全部研究室だけで締めくくるつもり?」
「うむぅ…」
「ま、要は最後くらいどーんと遊んでらっしゃいって事!これで潰れるような夢じゃないでしょ?夏彦さんの四年半」
「そ、それは勿論です!」
煮え切らない態度から一変、ハッキリと断言した夏彦の力強い声色に麻美はニッコリ笑って「だったら平気だよ」とこともなげに答える。
「ガマンしないで行ってきて。そういうの、見え見えなんだもの」
はいこれ、と、麻美はこっそり持ってきた夏彦愛用のノートパソコンを専用バッグごと手渡す。
「バッテリーと充電器もポケットに入れておいたわ。庵君たちの口ぶりなら半月くらいだから、休み終わる前までバカンス出来るわよ」
「…本当に、何から何まですんません。いつもいつも世話になってばかりで」
「いいの、そうしたいんだもの」
「え?」
「何でもないよ。でもお土産だけ、忘れずにね☆」
麻美の魅惑的な優しい微笑みのせいか、真夏の熱気のせいか、一瞬夏彦は目眩がしたような気がした。
だが、その熱気がこれほど心地よいと思ったのは、初めての事だった。
*
数分後。
セブンシートのゆったりした車内にそそくさと乗り込み、四人が後部座席に座ったのを確認すると夏彦はエンジンをかけた。
レベル2固定の冷房から勢いよく温い温風が一瞬吹き出し、すぐに冷流へと切り替わる。
とはいえ、蒸し風呂のような車内を冷え切るまで閉め切るのは厳しい。すぐに全員パワーウィンドウを全開にすると、「10分立ったら閉めろよ」と、運転席脇に立つ典生の有難い訓辞が飛んだ。
「駅に行くようにとは言ってたが、典子さんの予想じゃあ駅は誰か見張りに来てる可能性が高いとよ。バスもダメだ。公共機関で移動すると踏んでるだろうから、逆に国道通って瀬戸大橋目指せ。海見て良い発想が出るよう祈っててやるよ」
「兄貴、何だか悪いよやっぱり。義姉さんが持ってる軽四くらいでいいんじゃないか?」
「ばーか、軽四は四人乗りだぞ?一人あぶれるだろうがっての。まあ、そう思うならキズ付けずに乗って帰れよな。後、洗車と車内清掃、クーラー交換、ガソリンハイオク満タンにしておいてくれたら、とっても嬉しいかな!」
「今ガソリン幾らだと思ってるんだよ!!(2008年7月当時のガソリンハイオク単価:リッター184円)…っち、やっておくよ。そんくらい新車買うのと比べたら安いもんだからな」
ちら、と典生の背後を窺う視線に、皆誰が言うまでもなく「ワリカン」の文字が全員の頭をよぎって「確定事項」の四文字熟語へと変わった。
「まあまあそんな怒るなって。あと、夜中にプレイするときは電話一本寄越しな。遠隔対戦というのを一度やってみたいんでな。ほれ、軍資金」
「ん?バイトの給料は打ち上げ前にもらったはずじゃあ…」
窓から差し入れられた茶封筒の中身を透かし、夏彦が口元を曲げて「五万円!?」と叫ぶと全員が前列へと前のめりになる。
「今回の急募に来てくれた礼だ。薄給だから、一人一枚で勘弁な」
「あーもう、そういうことすっから兄貴は…」
「いいのいいの、キチンと勉強もバイトもする奴にはご褒美がいるもんさ!…あ、お前のは土産代含まれてるから。ちゃんとメモ入れてるから、後で買って送るように。つまみになりそうなものを足しておいてくれると兄は喜ぶぞ~」
「分かったよ、考えておく。…麻美さんのはチョコ味のお菓子でいいです?」
典生の背後に立っていた麻美は、ふいに話を振られて「私?」と一瞬きょとんと目を丸くする。
「いや、別に何味でもいいわよ。何でチョコ味?」
「え、いやその…」
一瞬むぐむぐと口ごもった後、夏彦は言い出しにくそうに「好きかなと」とそっぽを向いたまま答える。
「うーん、確かにチョコ好きだけど、別に拘りはないよ」
「あれ、そうだったんですか…俺はてっきりチョコが一番好きなのかと」
「そうなの?」
「あ、いや、その…気のせいだと思うんですけど…いつも、ファミレスでもカフェでも、チョコケーキやチョコパフェや、カフェモカ頼まれてたかなと思ってたので…何でしたっけ、ガトーショコラとかもお好きだって言われてたような…」
「……!」
身に覚えがあったのか、麻美の顔が瞬く間に赤く染まる。
そっぽを向いたままの夏彦も。
運転席の車内外で、夏彦と麻美の間に微妙な沈黙が流れ、何故か夏彦は「すんません」とぼそりと呟く。
「えと、何か美味そうなもん見繕って送りますんで。んじゃ、そろそろ行きますね」
「お、おう。気をつけてな」
敬語な弟に戸惑う兄の背後で、「待って!」と麻美が慌てて閉まるパワーウィンドウ越しに夏彦へ声を掛ける。
「九州行くなら広島通るかな?私、チョコ味のモミジ饅頭大好きなの!」
「それですね!分かりました、買って送ります!うまそうなチョコあったら、一緒に送ります!」
「ありがと!たくさんじゃなくっていいから、待ってるね!」
「はい!」
にかっ、と歯を見せて笑った夏彦に、麻美も笑顔で手を振って見送る。
車影が駐車場から出て行った後、駐車場には「あいつらしいねえ」と苦笑いな典生と、清々しい微笑みをたたえた麻美の姿があった。
「今頃、車内は大騒ぎだな」
「どうしてです?お義兄さん」
「分かってるくせに、とぼけるね」
「さあて、何のことでしょう~?じゃあお兄さん、ついでに送っていきますから一緒に乗ってって下さいね。帰りはケータイで連絡」
「はーいよ」
さあさあお買い物、と典生のキーとお揃いのマスコットがついたキーを指先で弄びながら、麻美は軽やかに姉の軽四の方へと歩き出していった。
【→次回チェックポイント 香川】
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