東京帰りの看板娘+みそっかす。
*
香川県高松市屋島。
都心部から少し離れた市道沿いの大きな一軒家。
木造の店舗周囲には広々とした駐車スペース…と言っても、今の時間では左右ドアの開閉分くらいしかないほどにみっしり詰まっている。
周囲は住宅街と点在する青々とした田畑、そして四国山地の山々が連なる盆地のふもと。
田んぼを横切る農道そばに「安西製麺所」はあった。
「はーい、玉二杯お待ち~。具はセルフで乗っけていってね。冷や出汁はそこ」
はぁい、と返事しながら冷水で冷やしたてのうどんだまが盛られた丼を持ち上げて、清算カウンターから具材セルフコーナーへ歩いていく日焼けしたカップルの後ろからは、ぞろぞろと老若男女の列が店の外まで連なっている。
炎天下の真昼間であるにもかかわらず、店の外では「あっついですなあ」とのほほんとのたまう爺様の一団に「そうですねえ」と答える見知らぬ婦人グループの姿がある。互いに面識はない。
香川の讃岐うどんはマスメディアを通して全国区に成長したが、その中でも有名店は連日長蛇の盛況ぶりである。
特に都心部から少し離れた人里や山野の隠れ里、製麺所直営の出来立てうどんは早いうまい安いなどの理由から遠方の愛好家たちにも好まれる。
ここ安西製麺所も、今や地元近県ではちょっとした有名店の一つであったのだ。
*
この店の特徴は、口コミで広まった看板娘…なのだが、当の本人は最近上の空で仕事が手についてない様子である。
「のどか~、だしつゆの追加まだかい?」
「……はあ」
「のどかー、お母さんが聞いてるぞー。カツオだし…って沸かしすぎだ!ああもう、何やってるんだ!」
「……はあ、って、あああああああああ!!」
厨房からの黄色い悲鳴に店の中が一瞬騒然となる。
厨房内では、板前姿の父親がひよこエプロンの看板娘兼愛娘の小さくなった姿に「はあもう…」と弱り顔で首を振る。
「あーあ姉ちゃんまたやったー。カツオだしは沸騰させたら台無しなんだろー?」
「うるさい、うるさいよノブ!黙ってテーブル片付けてなよっ!」
「へえーいへいへい、俺はどうせ味噌っかすですよぉーだ」
皿洗いの手伝いをしていた安西製麺所の長男・信夫は、生まれついてからというものの「親のえこひいき」というものを身に染みて体験してきたと自負している。
そのためか、万事口を開けば憎まれ口が突いて出る。
「何よその言い方!ちゃんとやるわよ、やったらいいんでしょ!」
「そーだよ姉ちゃん、ちゃんとしろよなー。今、早明浦ダムの貯水率幾らだと思ってるんだよ。水の無駄遣い~姉ちゃんのせいで取水制限来るかも~」
「わーもうムカツク!ノブ、あんた半年見ない内に物凄く意地悪くなってない?」
「東京で男作って遊んでただけの姉ちゃんと一緒にしないでくれよなー、俺超受験勉強してるしぃー超真面目に手伝いしてるしぃー」
手に持って積めるだけの丼とガラスコップのタワーを両手に、炊事場へ戻ってきた弟の茶化した物言いにのどかは即座に反論する。
「遊びじゃないって言ってるでしょ!!庵君とは、それに、まだ、そういうのじゃあ…」
「ほーらポッポしちゃってさあ。ちんくしゃなイナカッペのくせしてキモイんだよっての」
「ムカツクー!!」
店の中まで聞こえそうな姉弟の口喧嘩に「まあまあ落ち着けって」と大型コンロ前でだしを作り直す父親の静止が入る。
「ノブ、イヤミもいい加減にしろな。それに姉ちゃん、もしかしたらとんでもない良縁ゲットできるかもしれないんだ。家族揃って応援してやるのが一番だろうがよ」
「本当、ずっとファンだったもんねえのどかったら。母さんも有名人の義母なんて素敵じゃない?頑張って東京の大学行かせてやったかいがあるってもんよ」
あからさまな両親の擁護に、洗い場からはガチャガチャと耳障りな金属音が激しくなる。
「良縁って、あの天才だろ?クイズが得意な。顔普通だし、俺頭でっかちな義兄さんいらねえよ。あんだけ勉強できる奴なんて、ウンチクとイヤミの塊なんじゃね?」
「少なくとも、庵君は紳士ですー。あんたみたくイヤミじゃありませんー」
「っせえな姉貴!二十歳になっていきなり盛ってんじゃねえっつの。それにアンサー庵って岡山の人間だろ?何でわざわざ東京でラブストーリーなんかしてるんだよ。意味わかんねえし。姉貴が地元の短大蹴るもんだから、俺は国公立しか受けられなくなったんだっつの!女が四大なんか行くなよ!」
「まだ言うの!?ノブの方が私より頭いいんだから、国立大行けばいいじゃない!私大で遊ぶ気満々だったんでしょーどうせー」
「そうだぞノブー、お前ちょっと目を離したらすぐ手抜きすっからなぁ」
「そうよ、あんた男なんだから国立一本でいいじゃない。お姉ちゃんは天下のアナマリアよ?私大はそりゃあお金かかるけど、就職するにしても婚活にしてもこれなら困りゃあしないよ。…はい大盛り三つお待ち」
「そうやってすぐ姉ちゃんばっか!そのくせ俺ばっかりこき使いやがってさ。これだから高校の寮から帰ってくるのやだったんだ…」
ブーブー文句を垂れる弟に倍言い返そうかと目を吊り上げたのどかであったが、ふいにびくっ、と全身を一瞬硬直させた後、エプロンのポケットに手を差し入れつつそそくさと勝手口から裏庭へと出て行ってしまった。
「んだよ男から電話かよ、今仕事中だっつの」
「まあそう言わないのよノブ。庵くん、もうすぐ香川来るってさ。あんた、もし良ければ勉強見てもらいなさいよ。相手はIQ200以上だって噂だよ」
母親の慰めも、イライラしっぱなしの長男にはむかっ腹しか立たないらしい。
口をへの字に曲げて、洗い終わった丼をむっつりしたまま食器乾燥機の中へ放り込む。
「嫌だ。ぜってー嫌だね。早明浦の貯水率が200%になっても断る」
「おやまあ」
いまだにお姉ちゃんっ子が抜けないねえ、と母親はレジ打ちしながら思春期の長男のしかめっ面を可愛く思っていた。
【7月29日昼・今日も店内は盛況・おすすめは釜揚げ・その頃庵たちは】
香川県高松市屋島。
都心部から少し離れた市道沿いの大きな一軒家。
木造の店舗周囲には広々とした駐車スペース…と言っても、今の時間では左右ドアの開閉分くらいしかないほどにみっしり詰まっている。
周囲は住宅街と点在する青々とした田畑、そして四国山地の山々が連なる盆地のふもと。
田んぼを横切る農道そばに「安西製麺所」はあった。
「はーい、玉二杯お待ち~。具はセルフで乗っけていってね。冷や出汁はそこ」
はぁい、と返事しながら冷水で冷やしたてのうどんだまが盛られた丼を持ち上げて、清算カウンターから具材セルフコーナーへ歩いていく日焼けしたカップルの後ろからは、ぞろぞろと老若男女の列が店の外まで連なっている。
炎天下の真昼間であるにもかかわらず、店の外では「あっついですなあ」とのほほんとのたまう爺様の一団に「そうですねえ」と答える見知らぬ婦人グループの姿がある。互いに面識はない。
香川の讃岐うどんはマスメディアを通して全国区に成長したが、その中でも有名店は連日長蛇の盛況ぶりである。
特に都心部から少し離れた人里や山野の隠れ里、製麺所直営の出来立てうどんは早いうまい安いなどの理由から遠方の愛好家たちにも好まれる。
ここ安西製麺所も、今や地元近県ではちょっとした有名店の一つであったのだ。
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この店の特徴は、口コミで広まった看板娘…なのだが、当の本人は最近上の空で仕事が手についてない様子である。
「のどか~、だしつゆの追加まだかい?」
「……はあ」
「のどかー、お母さんが聞いてるぞー。カツオだし…って沸かしすぎだ!ああもう、何やってるんだ!」
「……はあ、って、あああああああああ!!」
厨房からの黄色い悲鳴に店の中が一瞬騒然となる。
厨房内では、板前姿の父親がひよこエプロンの看板娘兼愛娘の小さくなった姿に「はあもう…」と弱り顔で首を振る。
「あーあ姉ちゃんまたやったー。カツオだしは沸騰させたら台無しなんだろー?」
「うるさい、うるさいよノブ!黙ってテーブル片付けてなよっ!」
「へえーいへいへい、俺はどうせ味噌っかすですよぉーだ」
皿洗いの手伝いをしていた安西製麺所の長男・信夫は、生まれついてからというものの「親のえこひいき」というものを身に染みて体験してきたと自負している。
そのためか、万事口を開けば憎まれ口が突いて出る。
「何よその言い方!ちゃんとやるわよ、やったらいいんでしょ!」
「そーだよ姉ちゃん、ちゃんとしろよなー。今、早明浦ダムの貯水率幾らだと思ってるんだよ。水の無駄遣い~姉ちゃんのせいで取水制限来るかも~」
「わーもうムカツク!ノブ、あんた半年見ない内に物凄く意地悪くなってない?」
「東京で男作って遊んでただけの姉ちゃんと一緒にしないでくれよなー、俺超受験勉強してるしぃー超真面目に手伝いしてるしぃー」
手に持って積めるだけの丼とガラスコップのタワーを両手に、炊事場へ戻ってきた弟の茶化した物言いにのどかは即座に反論する。
「遊びじゃないって言ってるでしょ!!庵君とは、それに、まだ、そういうのじゃあ…」
「ほーらポッポしちゃってさあ。ちんくしゃなイナカッペのくせしてキモイんだよっての」
「ムカツクー!!」
店の中まで聞こえそうな姉弟の口喧嘩に「まあまあ落ち着けって」と大型コンロ前でだしを作り直す父親の静止が入る。
「ノブ、イヤミもいい加減にしろな。それに姉ちゃん、もしかしたらとんでもない良縁ゲットできるかもしれないんだ。家族揃って応援してやるのが一番だろうがよ」
「本当、ずっとファンだったもんねえのどかったら。母さんも有名人の義母なんて素敵じゃない?頑張って東京の大学行かせてやったかいがあるってもんよ」
あからさまな両親の擁護に、洗い場からはガチャガチャと耳障りな金属音が激しくなる。
「良縁って、あの天才だろ?クイズが得意な。顔普通だし、俺頭でっかちな義兄さんいらねえよ。あんだけ勉強できる奴なんて、ウンチクとイヤミの塊なんじゃね?」
「少なくとも、庵君は紳士ですー。あんたみたくイヤミじゃありませんー」
「っせえな姉貴!二十歳になっていきなり盛ってんじゃねえっつの。それにアンサー庵って岡山の人間だろ?何でわざわざ東京でラブストーリーなんかしてるんだよ。意味わかんねえし。姉貴が地元の短大蹴るもんだから、俺は国公立しか受けられなくなったんだっつの!女が四大なんか行くなよ!」
「まだ言うの!?ノブの方が私より頭いいんだから、国立大行けばいいじゃない!私大で遊ぶ気満々だったんでしょーどうせー」
「そうだぞノブー、お前ちょっと目を離したらすぐ手抜きすっからなぁ」
「そうよ、あんた男なんだから国立一本でいいじゃない。お姉ちゃんは天下のアナマリアよ?私大はそりゃあお金かかるけど、就職するにしても婚活にしてもこれなら困りゃあしないよ。…はい大盛り三つお待ち」
「そうやってすぐ姉ちゃんばっか!そのくせ俺ばっかりこき使いやがってさ。これだから高校の寮から帰ってくるのやだったんだ…」
ブーブー文句を垂れる弟に倍言い返そうかと目を吊り上げたのどかであったが、ふいにびくっ、と全身を一瞬硬直させた後、エプロンのポケットに手を差し入れつつそそくさと勝手口から裏庭へと出て行ってしまった。
「んだよ男から電話かよ、今仕事中だっつの」
「まあそう言わないのよノブ。庵くん、もうすぐ香川来るってさ。あんた、もし良ければ勉強見てもらいなさいよ。相手はIQ200以上だって噂だよ」
母親の慰めも、イライラしっぱなしの長男にはむかっ腹しか立たないらしい。
口をへの字に曲げて、洗い終わった丼をむっつりしたまま食器乾燥機の中へ放り込む。
「嫌だ。ぜってー嫌だね。早明浦の貯水率が200%になっても断る」
「おやまあ」
いまだにお姉ちゃんっ子が抜けないねえ、と母親はレジ打ちしながら思春期の長男のしかめっ面を可愛く思っていた。
【7月29日昼・今日も店内は盛況・おすすめは釜揚げ・その頃庵たちは】
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