頭の中の天使と悪魔。
*
俺は今眠っている。
これは夢の中。それが分かる。
薄暗い治療室の中。神妙な雰囲気を全身に漂わせる医者が向かいに座っている。
顔はのっぺらぼうだけど、何だか違和感がない。
俺は質素なパジャマ姿のまま、貌の無い医者に問いかける。
…先生。俺の脳みそどうなってるんですか。
…そうだね。まずは落ち着いて聞いてくれるかな。
君は優秀な存在だ。
おそらく、IQの高さでギネスに掲載されるよ。半世紀は安泰だろう。
再三の知能テストの結果でもそれは明らかだしね。嘘発見器も君に偽りがないことを示した。
しかしながら、私は医者として研究者として君に警告をしなければならない。
…何をですか。
…君の知性の、源流。
何故、君が驚異的な記憶力を有し、あらゆる数字の神秘と友好的な関係でいられるようになったかを、だ。
………それが、このCTスキャンに映ってる…。
…そうだ。流石に分かるか。
そうだよ。君の脳と普通の一般人の脳と明らかに違う箇所。
そここそが、君に知性を…知恵の実を授けた賢人の姿でもあり…。
…悪魔の姿でもある、と。
…悪魔かどうかは、調べないとなんともだが…。
…では、これは何なんですか。俺はそれが知りたくて、この施設で一週間以上検査を受けてる。
教えてください。これなんですか。これは一体…。
『知らなくていい』
ああ、またあの声で暗い闇が始まる。
遠い日の情景。
二年前の病院でのやり取り。調子が悪いとき、いつも夢に見る。
悪夢。
ムンクの叫びみたく、いびつに歪んだ俺の脳みそのCTスキャン画像を見て、医者は俺を実験動物を眺めるまなざしで見つめる。貴重な動植物の解剖許可を待つ医者の目。
素材をばらしたくてたまらないのを堪える、暗い好奇心に満ちた目。
逃げる気も、怒りも起きない。だって、俺の脳みそがおかしいんだ。
あれ。でもこれは俺の夢の中だよな。確か、本当はもっとマシな形だったはず。
だけど何でだろう。本当の形が、どうしても思い出せない…。
無貌だった医者の顔が、いつしか死んだ父の侮蔑に満ちた表情に変わっている。
「おかしいんだ。お前がおかしいんだ。お前がおかしいんだ。俺の子なのに」
死んだ父さんの声。
そうだね父さん。俺がおかしいんだ。
スポーツが得意な父さんの子なのに、俺は運痴で、小柄で、筋肉もつかなくて。
なのに、頭ばっかり育って、すっかり父さんの嫌いな学問の申し子になりました。
だから、父さんが俺のこと嫌っててもおかしくないんです。
それを俺は知っています。
なのに俺は。俺は俺は俺は。
…助けて。
誰か気づいて。
「誰も寝てはならぬ」
「誰にも知られてはならぬ」
「誰にも気づかれてはならぬ」
…苦しい。
…苦しいんだよ。
「俺はいつでも楽しいんだ」
「俺は明るいだろ?それは地が馬鹿だからさ」
…本当にそう思ってなんかないくせに。
…だから。だけど。
「彼女に知られたくない」
「彼女にだけ?」
「いやほかに」「もっと」「一番知られたくない相手がいる」
「それは」
…言うな。
…言うな言うな言うな言うな!
「言えばいいのに」
「お前は・・・・の・・・だって。そうすればみんな・・・んでくれるさ」
…うるさい。
…うるさい、うるさい、うるさい、黙れよ耳ざわりなんだよ!
どこか遠くで、俺をせせら笑う「俺」の笑い声がした。
全てが溶けていく。黒く。黒く。黒く。
一寸先も見えない闇。暗闇。懐かしさと、郷愁と、根源的な恐怖の色。
誰もいない。いや、目の前にいる。
浮かび上がる虚像。
俺がいる。真っ黒い俺。
俺を笑う、俺がいる。
「寂しがりで」「嘘つきで」「誰よりも愚かなお前」
「ちゃんとあの子に見せる笑顔の準備は出来たかい?」
「道化らしく、せいぜいふられるその日まで」
「幸福が悲しみに染まったとき、自虐のタネに困らないように」
「今から幸福をたくさん抱え込んでおくといい」
「ほら笑顔をくれてやろうな。お友だちの笑顔は楽しいね。俺も仲間に入れてくれよ」
黙れ。なんで薄ら笑い浮かべてるんだよ、キモイんだよ。
「あはははははははは」
笑うな。笑うな。俺を笑うな。
俺が笑っている。
口の端だけ曲げて、虚ろな穴が開いた目でこちらを胡乱と眺めて笑う。
笑い声だけが空間内をカラカラと揺する。不快な振動。
足下から存在を否定する響き。
「ふふふふふ。くすくすくす。ふふっ…あははははははははは!!」
「バカが。バカが。お前は知っているだけだ。何も学ばない」
「一度学習したじゃないか」
「形ばかりの繋がりなど何の保障にもならないと」
「同じ家に暮らしても、過ごしたときはまじわらないと」
「親は子供を平等に愛しはしないことを」
「他者の愛情などあてにならないことを」
「なのにお前は理解しながら同じ過ちをおかすか。バカめ。バカめ。バカめ」
「俺」の声が空間内を湾曲する。
これはどこから聞こえてくる。「俺」は何人いる。ここはどこだ、どこだ…。
「どうせ人は変わる。いつもいつもコロコロと評価を変える」
「絶対などないさ。いつか一人になるなら、今から孤独を愛せばいいのに」
「そうできない子供のお前」
「俺はお前に哀れを感じる。人はお前を羨むのに、お前は他者ばかりを望む」
…黙れ。黙れ。
「黙ってほしいのか?そうかい。ならば静かにしてやろう」
「沈黙が怖いくせに」
「遠くから聞こえるテレビの音に、何度泣いた?」
「ひそひそ台所から声が聞こえる度に、何度殴りかかろうと思った?」
「でも何も音も声も聞こえない場所で」「ひっそり」「死にたくない」
「忘れられたくない」「知って欲しかっただけだった」
「だって俺たちは」
うるせえうるせえうるせえうるっせえええええ!!
お前なんか、お前なんか、お前なんか俺じゃない!俺じゃない!
俺じゃないいい!!
自分の叫び声で我に帰る。
暗闇に一人。首筋に、ぼたぼたと滴る汗の感触。気持ち悪い…。
…
声が静まる。
ホッとした瞬間。
耳元で囁く声が聞こえた。
「本当は知って欲しいくせに」
己の声はそこで途切れた。
【7月29日昼?・庵の悪夢・夢から覚めたらそこは・続く】
俺は今眠っている。
これは夢の中。それが分かる。
薄暗い治療室の中。神妙な雰囲気を全身に漂わせる医者が向かいに座っている。
顔はのっぺらぼうだけど、何だか違和感がない。
俺は質素なパジャマ姿のまま、貌の無い医者に問いかける。
…先生。俺の脳みそどうなってるんですか。
…そうだね。まずは落ち着いて聞いてくれるかな。
君は優秀な存在だ。
おそらく、IQの高さでギネスに掲載されるよ。半世紀は安泰だろう。
再三の知能テストの結果でもそれは明らかだしね。嘘発見器も君に偽りがないことを示した。
しかしながら、私は医者として研究者として君に警告をしなければならない。
…何をですか。
…君の知性の、源流。
何故、君が驚異的な記憶力を有し、あらゆる数字の神秘と友好的な関係でいられるようになったかを、だ。
………それが、このCTスキャンに映ってる…。
…そうだ。流石に分かるか。
そうだよ。君の脳と普通の一般人の脳と明らかに違う箇所。
そここそが、君に知性を…知恵の実を授けた賢人の姿でもあり…。
…悪魔の姿でもある、と。
…悪魔かどうかは、調べないとなんともだが…。
…では、これは何なんですか。俺はそれが知りたくて、この施設で一週間以上検査を受けてる。
教えてください。これなんですか。これは一体…。
『知らなくていい』
ああ、またあの声で暗い闇が始まる。
遠い日の情景。
二年前の病院でのやり取り。調子が悪いとき、いつも夢に見る。
悪夢。
ムンクの叫びみたく、いびつに歪んだ俺の脳みそのCTスキャン画像を見て、医者は俺を実験動物を眺めるまなざしで見つめる。貴重な動植物の解剖許可を待つ医者の目。
素材をばらしたくてたまらないのを堪える、暗い好奇心に満ちた目。
逃げる気も、怒りも起きない。だって、俺の脳みそがおかしいんだ。
あれ。でもこれは俺の夢の中だよな。確か、本当はもっとマシな形だったはず。
だけど何でだろう。本当の形が、どうしても思い出せない…。
無貌だった医者の顔が、いつしか死んだ父の侮蔑に満ちた表情に変わっている。
「おかしいんだ。お前がおかしいんだ。お前がおかしいんだ。俺の子なのに」
死んだ父さんの声。
そうだね父さん。俺がおかしいんだ。
スポーツが得意な父さんの子なのに、俺は運痴で、小柄で、筋肉もつかなくて。
なのに、頭ばっかり育って、すっかり父さんの嫌いな学問の申し子になりました。
だから、父さんが俺のこと嫌っててもおかしくないんです。
それを俺は知っています。
なのに俺は。俺は俺は俺は。
…助けて。
誰か気づいて。
「誰も寝てはならぬ」
「誰にも知られてはならぬ」
「誰にも気づかれてはならぬ」
…苦しい。
…苦しいんだよ。
「俺はいつでも楽しいんだ」
「俺は明るいだろ?それは地が馬鹿だからさ」
…本当にそう思ってなんかないくせに。
…だから。だけど。
「彼女に知られたくない」
「彼女にだけ?」
「いやほかに」「もっと」「一番知られたくない相手がいる」
「それは」
…言うな。
…言うな言うな言うな言うな!
「言えばいいのに」
「お前は・・・・の・・・だって。そうすればみんな・・・んでくれるさ」
…うるさい。
…うるさい、うるさい、うるさい、黙れよ耳ざわりなんだよ!
どこか遠くで、俺をせせら笑う「俺」の笑い声がした。
全てが溶けていく。黒く。黒く。黒く。
一寸先も見えない闇。暗闇。懐かしさと、郷愁と、根源的な恐怖の色。
誰もいない。いや、目の前にいる。
浮かび上がる虚像。
俺がいる。真っ黒い俺。
俺を笑う、俺がいる。
「寂しがりで」「嘘つきで」「誰よりも愚かなお前」
「ちゃんとあの子に見せる笑顔の準備は出来たかい?」
「道化らしく、せいぜいふられるその日まで」
「幸福が悲しみに染まったとき、自虐のタネに困らないように」
「今から幸福をたくさん抱え込んでおくといい」
「ほら笑顔をくれてやろうな。お友だちの笑顔は楽しいね。俺も仲間に入れてくれよ」
黙れ。なんで薄ら笑い浮かべてるんだよ、キモイんだよ。
「あはははははははは」
笑うな。笑うな。俺を笑うな。
俺が笑っている。
口の端だけ曲げて、虚ろな穴が開いた目でこちらを胡乱と眺めて笑う。
笑い声だけが空間内をカラカラと揺する。不快な振動。
足下から存在を否定する響き。
「ふふふふふ。くすくすくす。ふふっ…あははははははははは!!」
「バカが。バカが。お前は知っているだけだ。何も学ばない」
「一度学習したじゃないか」
「形ばかりの繋がりなど何の保障にもならないと」
「同じ家に暮らしても、過ごしたときはまじわらないと」
「親は子供を平等に愛しはしないことを」
「他者の愛情などあてにならないことを」
「なのにお前は理解しながら同じ過ちをおかすか。バカめ。バカめ。バカめ」
「俺」の声が空間内を湾曲する。
これはどこから聞こえてくる。「俺」は何人いる。ここはどこだ、どこだ…。
「どうせ人は変わる。いつもいつもコロコロと評価を変える」
「絶対などないさ。いつか一人になるなら、今から孤独を愛せばいいのに」
「そうできない子供のお前」
「俺はお前に哀れを感じる。人はお前を羨むのに、お前は他者ばかりを望む」
…黙れ。黙れ。
「黙ってほしいのか?そうかい。ならば静かにしてやろう」
「沈黙が怖いくせに」
「遠くから聞こえるテレビの音に、何度泣いた?」
「ひそひそ台所から声が聞こえる度に、何度殴りかかろうと思った?」
「でも何も音も声も聞こえない場所で」「ひっそり」「死にたくない」
「忘れられたくない」「知って欲しかっただけだった」
「だって俺たちは」
うるせえうるせえうるせえうるっせえええええ!!
お前なんか、お前なんか、お前なんか俺じゃない!俺じゃない!
俺じゃないいい!!
自分の叫び声で我に帰る。
暗闇に一人。首筋に、ぼたぼたと滴る汗の感触。気持ち悪い…。
…
声が静まる。
ホッとした瞬間。
耳元で囁く声が聞こえた。
「本当は知って欲しいくせに」
己の声はそこで途切れた。
【7月29日昼?・庵の悪夢・夢から覚めたらそこは・続く】
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