みえる男、覚醒。
*
敦が寝入ってから数時間後。
ばち、と瞬間的に覚醒したのを感じて大輔は「丑三つ時か」と寝床の中で悟った。
隣からは夏彦の重低音ないびき。
リラックスしきった寝息から、金縛りにあってないようなのでひとまず安堵する。
大輔は胸元をまさぐると肌身離さず着けているお守り袋を握りしめる。
鹿児島の祖父から譲り受けた大事な護符。
これがあるから、普段あまり「霊的な何か」に困らされる事もなく過ごせている。これさえあれば、憑き物を自力で祓う事も出来る。
「(…やっべ、足下寒い)」
どうやら右足側…丁度仏壇の前から濃い「気配」がする。
気付かれぬように視線だけ動かす。
いる。
真っ黒い煙状の、「何か」。
「(…うわあ。真っ黒かよ…)」
護身術を教えてくれた祖父と伯父曰く、霊にちょっかいを出されたら視認できる色を見ろ、と。
もし、善良な霊なら白く光って見えるし、赤く見えるなら怒っている霊だ、という風に。
その中でも特に注意し、なおかつ出来るならあまり触れるなと言われているのが…黒色に見える霊だった。
「そういうのは、この世に強い未練や情念を残して成仏を拒否してる輩だ。出来れば触らんがよか。分かったな、触らぬ神になんとやら、だ」
そう何度もきつく言われていたし、見かけてもスルーしてれば付いてくることもない。今まではそれで良かったのだが。
「(…これ、ほっといたらまずい感じだな…ちょっと、久しぶりに背筋にきまくってるし…)」
これだけ強烈な寒気は生まれてこのかた感じた事がない。
分かっていながら親切を受けた家に不幸が忍び寄っているのを放置するのは、九州男児としていかがなものかと己の正義漢を奮い立たせる。
気配が足下から遠のく。
ちら、と細目を開いて見ていると、黒い煙はスス、スス、とカベを擦り抜け廊下の方へと出たようだった。
充分気配が遠のくを待って…大輔は音を立てぬように静かに床の上へと身体を起こし、気配の行き先をそっと探る。
「(…二階)」
二階にいるのは…庵、一人だったはずである。
「(…長男狙いか。悪霊が家を潰そうとする場合、一家の跡取りを狙うって、じーちゃん言ってたっけな…)」
ならばなおのこと捨て置けない。
音を立てぬように廊下に出て、足音を殺しながら階段を一段一段確かめるように登る。
二階に上がってすぐ、つぎはぎだらけの庵の自室のドアが、うっすらと開いている。
気配を、ビリビリ全身に寒気として感じる。
「(…いる!絶対中だ、この中に入ってやがる!)」
半袖の下で逆立つ鳥肌をなでつけ、胸元のお守り袋をぎゅっと握り直す。腹の底に力を入れて、そっと、ドアの隙間から中を窺う。
「(…!!)」
いた。
黒い陰が、いた。
眠っている庵の傍らに、それはいた。
うう、うう、と唸る声。
これは多分庵の寝言。うなされている…。
だが、それよりも大輔を驚かせたのは、黒い気配が取っている容姿であった。
庵。
真っ黒い庵。
猫背気味で陰鬱なオーラをまとっている事以外は、普段いつも見ている庵と変わらない、…まるでドッペルゲンガーを見ているような「黒い庵」が喪服姿で、庵の寝床のすぐ脇に微動だにせず立ち尽くして庵を見下ろしている。
やばい。
大輔は久しぶりに霊を見て恐怖を感じていた。
小さい頃、父にお祓いのまじないを教えてもらって以来霊に対してあまり怖れを抱いた事はなかったが、それは己の霊力で祓う事が出来るレベルの相手ばかりだったからだ。
こんなにハッキリと、しかも存在が目に見えるほど濃厚な霊気は遭遇した覚えがない。下手をすれば、命を取られかねない。祖父も、一度や二度そういう相手に遭遇して逃げ出した覚えがあると暗い表情で噛んで含めるように幼い自分へ何度も何度も言い聞かせた。
そういう相手には勝とうと思うな。まずかったら逃げろ。
…地獄へ引きずり込まれるからな。
死んだらお仕舞いだ、ミイラ取りがミイラなんぞ笑えんと、それこそニコリともせずに。
「(…これ、本気でも勝てる気がしねえよ…。どうする、俺?)」
一瞬、胸元のお守り袋に意識を逸らした次の瞬間、顔を起こすと…「黒い庵」が、部屋の中から消え失せていた。
「(!?)」
しまった、と思った瞬間、背中が総毛立つほどの気配がぴたり、と己の背後にまとわりつくのを感じ、中腰のまま大輔は金縛りに襲われた。
声も出せないほどの圧迫感で息が詰まりかけたその時、耳元で囁く声がした。
「見なかったことにしろ」
庵の声。庵の声のはずだ。
…歪んだいびつなノイズを含んでいるように聞こえたけれど。
…そこで意識は途切れ、次に目を覚ましたのは抜け出したはずの仏間の寝床の上であった。
「おっす、やっと起きたか」
随分うなされてたぞー、と布団を畳んでしまおうとしていた夏彦の姿があった。
室内は既に明るい。夏の朝がやってきていた。
「あ…はい。すんません」
汗まみれになった顔を掌で拭いのっそりと重い身体を起こすと、夏彦の視線が大輔のとある箇所を見とがめ、「おい」と立ち上がろうした大輔を引き留める。
「どうしたっすか」
「首、どうしたんだそれ?どっかで打ったか」
「…え?」
慌てて首筋を撫でつけると、右側の耳の裏あたりがズキリ、と痛んだ。
「…」
そっと、仏間にあった全身鏡に首筋を映す。
そこには人の掌の形をした青アザが、くっきりと残されていた。
【7月30日朝・薄曇りで風が徐々に強まってきます・モヒ戦慄・続く】
敦が寝入ってから数時間後。
ばち、と瞬間的に覚醒したのを感じて大輔は「丑三つ時か」と寝床の中で悟った。
隣からは夏彦の重低音ないびき。
リラックスしきった寝息から、金縛りにあってないようなのでひとまず安堵する。
大輔は胸元をまさぐると肌身離さず着けているお守り袋を握りしめる。
鹿児島の祖父から譲り受けた大事な護符。
これがあるから、普段あまり「霊的な何か」に困らされる事もなく過ごせている。これさえあれば、憑き物を自力で祓う事も出来る。
「(…やっべ、足下寒い)」
どうやら右足側…丁度仏壇の前から濃い「気配」がする。
気付かれぬように視線だけ動かす。
いる。
真っ黒い煙状の、「何か」。
「(…うわあ。真っ黒かよ…)」
護身術を教えてくれた祖父と伯父曰く、霊にちょっかいを出されたら視認できる色を見ろ、と。
もし、善良な霊なら白く光って見えるし、赤く見えるなら怒っている霊だ、という風に。
その中でも特に注意し、なおかつ出来るならあまり触れるなと言われているのが…黒色に見える霊だった。
「そういうのは、この世に強い未練や情念を残して成仏を拒否してる輩だ。出来れば触らんがよか。分かったな、触らぬ神になんとやら、だ」
そう何度もきつく言われていたし、見かけてもスルーしてれば付いてくることもない。今まではそれで良かったのだが。
「(…これ、ほっといたらまずい感じだな…ちょっと、久しぶりに背筋にきまくってるし…)」
これだけ強烈な寒気は生まれてこのかた感じた事がない。
分かっていながら親切を受けた家に不幸が忍び寄っているのを放置するのは、九州男児としていかがなものかと己の正義漢を奮い立たせる。
気配が足下から遠のく。
ちら、と細目を開いて見ていると、黒い煙はスス、スス、とカベを擦り抜け廊下の方へと出たようだった。
充分気配が遠のくを待って…大輔は音を立てぬように静かに床の上へと身体を起こし、気配の行き先をそっと探る。
「(…二階)」
二階にいるのは…庵、一人だったはずである。
「(…長男狙いか。悪霊が家を潰そうとする場合、一家の跡取りを狙うって、じーちゃん言ってたっけな…)」
ならばなおのこと捨て置けない。
音を立てぬように廊下に出て、足音を殺しながら階段を一段一段確かめるように登る。
二階に上がってすぐ、つぎはぎだらけの庵の自室のドアが、うっすらと開いている。
気配を、ビリビリ全身に寒気として感じる。
「(…いる!絶対中だ、この中に入ってやがる!)」
半袖の下で逆立つ鳥肌をなでつけ、胸元のお守り袋をぎゅっと握り直す。腹の底に力を入れて、そっと、ドアの隙間から中を窺う。
「(…!!)」
いた。
黒い陰が、いた。
眠っている庵の傍らに、それはいた。
うう、うう、と唸る声。
これは多分庵の寝言。うなされている…。
だが、それよりも大輔を驚かせたのは、黒い気配が取っている容姿であった。
庵。
真っ黒い庵。
猫背気味で陰鬱なオーラをまとっている事以外は、普段いつも見ている庵と変わらない、…まるでドッペルゲンガーを見ているような「黒い庵」が喪服姿で、庵の寝床のすぐ脇に微動だにせず立ち尽くして庵を見下ろしている。
やばい。
大輔は久しぶりに霊を見て恐怖を感じていた。
小さい頃、父にお祓いのまじないを教えてもらって以来霊に対してあまり怖れを抱いた事はなかったが、それは己の霊力で祓う事が出来るレベルの相手ばかりだったからだ。
こんなにハッキリと、しかも存在が目に見えるほど濃厚な霊気は遭遇した覚えがない。下手をすれば、命を取られかねない。祖父も、一度や二度そういう相手に遭遇して逃げ出した覚えがあると暗い表情で噛んで含めるように幼い自分へ何度も何度も言い聞かせた。
そういう相手には勝とうと思うな。まずかったら逃げろ。
…地獄へ引きずり込まれるからな。
死んだらお仕舞いだ、ミイラ取りがミイラなんぞ笑えんと、それこそニコリともせずに。
「(…これ、本気でも勝てる気がしねえよ…。どうする、俺?)」
一瞬、胸元のお守り袋に意識を逸らした次の瞬間、顔を起こすと…「黒い庵」が、部屋の中から消え失せていた。
「(!?)」
しまった、と思った瞬間、背中が総毛立つほどの気配がぴたり、と己の背後にまとわりつくのを感じ、中腰のまま大輔は金縛りに襲われた。
声も出せないほどの圧迫感で息が詰まりかけたその時、耳元で囁く声がした。
「見なかったことにしろ」
庵の声。庵の声のはずだ。
…歪んだいびつなノイズを含んでいるように聞こえたけれど。
…そこで意識は途切れ、次に目を覚ましたのは抜け出したはずの仏間の寝床の上であった。
「おっす、やっと起きたか」
随分うなされてたぞー、と布団を畳んでしまおうとしていた夏彦の姿があった。
室内は既に明るい。夏の朝がやってきていた。
「あ…はい。すんません」
汗まみれになった顔を掌で拭いのっそりと重い身体を起こすと、夏彦の視線が大輔のとある箇所を見とがめ、「おい」と立ち上がろうした大輔を引き留める。
「どうしたっすか」
「首、どうしたんだそれ?どっかで打ったか」
「…え?」
慌てて首筋を撫でつけると、右側の耳の裏あたりがズキリ、と痛んだ。
「…」
そっと、仏間にあった全身鏡に首筋を映す。
そこには人の掌の形をした青アザが、くっきりと残されていた。
【7月30日朝・薄曇りで風が徐々に強まってきます・モヒ戦慄・続く】
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