※(´・ω・`)あんまり岡山滞在が長いのでカテゴリ細分化検討中。自分の駄文ぶりにボンショーロイ。
栗林公園と屋島とこんぴらさんに行きたいよママン。
お行儀タイム。
栗林公園と屋島とこんぴらさんに行きたいよママン。
お行儀タイム。
*
安住家の奥座敷は不思議なほどに静かであった。
張り替えたばかりの障子からは真夏の朝日が和紙を透かして差し込んでいるが、戸は隙間無くピタリと閉め切られ、室内は機械的なクーラーの優しい冷房と沈黙で満ち満ちていた。
安住家を一介の郷士から名だたる政治家一族になるまでに育て上げたという、曾祖父の筆「一子相伝」の物々しい掛け軸が掛けられた床の間を背に、安住虎太郎は腕組みをしてゆったりと、向かい合う息子の言葉を待っていた。
「ただいま …帰りました」
父、母、そして脇に座して控える兄に向かい、晶が辛うじて絞り出した第一声は畳の目に吸い込まれて消えそうなほどに掠れて小さかった。
平生の不愛想を詫びるかのように正座し畳に額を擦りつける次男坊に、虎太郎は「まあ顔を上げなさいって」とやんわり気遣いを覗かせる。
「何もお前を叱ろうと思って呼びつけた訳じゃあないから。ちょっと、足、崩しなさいな」
「いえ…このままで、結構です」
手にした気に入りの扇子でそれそれと足下を差す父親に、次男は頑なに首を振る。
背筋を伸ばし、きちんと足を揃えて正座し身を硬く膝に手を置いた姿は、みるからに全身へ無駄な力みが感じられる。
その上、死の宣告でも待っているような悲壮な面構えである。
虎太郎はふっと、十年前この部屋で古備前の皿を割ってがたがた震えていた幼少時の晶を思い起こし、笑うでもなく「変わらんねぇ」と呟いた。
「…何、がでしょう」
あんまり身をちぢこませてうなだれる息子の姿に虎太郎は「そういう所よ」と意地悪くそのまま返す。
「律儀で、礼儀正しくて、いつでも良い息子であろうとする。わしはお前のそういう潔癖な所が好きなんだ」
柔和に微笑む父の巧みな能弁にも、息子は変わらず固い表情を崩さない。
「それは、当たり前ですお父さん。この家に迎え入れられて十五年、僕はまだ貴方の息子として未熟きわまりないですけど…」
「まあまあ、他人行儀な挨拶なんかいらんよ。大学から届く成績票を見る限りは学問にも打ち込んでいるみたいだし、身体もきちんと鍛えているようだし。それについて、わしは何ら不満はないよ」
「有り難うございます」
座して一礼する晶の隣で、「ちょっと脇腹ぷよってたけどな」と、黒服の長男が意地悪く舌を覗かせる。
むきぃっ、と余計な事を言うなと歯を見せて無言で威嚇する弟の焦り顔に、兄は声を殺してせせら笑う。
そんな息子達の横顔に目を細める虎太郎の横顔は、まさしく年老いた父親である。
が、「さて」と仕切り直して次に顔を起こした時、そこにあるのは先程とは微妙に異なる、老獪な政治家の真剣な眼差しであった。
「晶」
「…はい」
「お前は二年前に私に言ったな。自分は自分の道を探したい、と」
「………はい」
無意識に、晶は膝上の拳をぎゅっと握り直す。
俯いたまま、こちらを直視する父の視線の重さに、顔を上げられぬまま声を絞り出す。
「高校時代、私や聡文の母校への勧めを蹴って別の高校へ進学した時もそうだった。こうして模索し続けてみてどうだね?」
「………」
「今に今、どうこうしてと具体案を聞きたい訳じゃない。
だが知りたいのだよ。
…お前が進もうとしている道を。
政治への道を断ち、一体どういう形で世界に貢献しようと考えているのか。出来れば正月休みに聞いておきたかったが、お前さんとうとう帰ってこなかったからね」
「申し訳ありま…」
「謝らなくて良い。答えなさい」
ぴしゃり、と言い切られ、晶は言葉を失う。
その場に対面しているのは、あの子煩悩で穏やかな父親のはずなのに。
自分よりも遙かに小柄でひょろりとした、歳より遙かに老け込んだこの小男が発しているとは思えない、場の重苦しさが一斉に自分の背にのしかかった錯覚を覚えて晶は目眩がした。
このしたたかさと、揺るぎない存在。
これこそが、安住虎太郎を一介の政治家と評させぬ「本物」の威圧感であった。
押し切るでもなく、強引でもなく。
だが、向かい合う相手の本質だけを鋭く狙って射抜いてくる。
そして、その先に自分の狙う駒を打って相手が嵌るのを待つのである。
百戦錬磨な話術と人心術の達人を前にして、やはり晶は予想通りにうなだれて首をふった。
「おやまあ」
「申し訳ありません。返す言葉が、今の僕には…」
「ああいいのいいの。お前が新年帰ってこないのも、そう答えるだろうと言うのもお見通しだから。でだな晶」
「はい…」
「私の方も、やはり答えは変わらないのよ。お前には安住の子としての自覚を持ち、ゆくゆくは私の後継者になってほしいのだね」
「そう、ですか…やはり僕はこうけ…」
父の言葉を反芻して、晶は「ん?」と眉をひそめる。
聞き慣れない単語が混じっていたせいである。
後継者?
「お父さん、後継者って何ですか」
平生、幼い頃から父に聞かされていたのは「いつか父さんを支えてほしい」=安住本家の息子として、いつか政治の舞台に立つ父や兄を支える存在になってほしい、という主旨の内容であったはず。自分は次男。しかも後妻の子。親戚縁者全てに白眼視されていた自分。
その僕に、後継者になってほしいと、父は今言ったのか。
「ああそうだよ晶。私の後釜はお前だと、ずっと昔から思っていた。そのために、本家へと呼び寄せたのだしね」
にこりともせずに、父ははっきりと断言した。
晶の全身から、血の気が一気に引く。
冷房のせいでもなく、露出した肌にざわっ、と鳥肌が立って撫でつける。その、撫でる掌が震えていた。
「…ご冗談でしょ?」
おそるおそる聞き返すも、父は黙って頭を振った。
「いや、本気よ私。聡文もそのつもりで、ずっと私の下で勉強しとるよ」
なあ、と父に問われて兄もええ、と何のてらいもなく答える。
「晶、お前ずっと俺の下で働くもんだと思いこんでただろ?
違うぞ、お前が俺の前に立つの。
後十年もしたら、お前は父の基盤継いで立候補してもらう事になるんだぞ。今から腰抜かしててどうする?しっかりしろよ」
聡文の悪びれない追い打ちに、晶は我知らず「どうしてそうなるんだよっ!」と叫んでいた。
「意味分からないよ父さんも兄さんも!…僕次男だよ?しかも、これだけ優秀な兄さん差し置いて僕に後継げとか、父さんどうしちゃったの?!人選ミスどころの話じゃない、今まで支援してくれてた親戚連中や支援者を又敵に回してもいいの?あいつら絶対納得しないよっ!」
家柄の格、容姿知性弁舌、そして経歴。
何一つとして兄に勝ったもののない次男としてみれば、この指名は暴挙もしくは混乱以外の何者でもなかった。
「じゃあお前が納得させればいいさ。奴らは信用に足るかどうか値踏みしてるに過ぎん。聡文の方が確実に票が稼げると踏んでるんだろうが、私はそう思わん。そもそも、聡文は政治家に向いてないとさえ思うしの」
「それに関しては、俺も心底そう思う。俺はせいぜい優秀だってだけの器だ。それで政治家成り立つなら、永田町はご立派な肩書きで入園出来る三流大以下の低レベルな遊園地に成り下がるだろうね。でも、俺も父もそうしたくないのさ」
俺達のように、真に国民の平和を考える奴が指揮取らないとね、と大それた呟きを口端に浮かべて、聡文は困惑する晶を眺める。
「僕こそ政治家に向いてません」
晶がやっとのことで辛うじて絞り出した言葉に、父も兄も「またか」と言いたげに頭を振った。
「お前なあ、まだ大学受験ひきずってんの?拘りすぎなんだよ」
「だって…」
それだけじゃない、幼稚園も、小学校も、中学校受験も全部だよと言いかけて言葉を飲み込む。
唯一志望校へ入学できた高校受験でさえ、親友がマンツーマンで指導かつ精神ケアしてくれてやっとの合格だった。
ここ一番の大勝負にめっぽう弱い自分が、選挙戦へ立候補とか考えるだけで既に惨敗する哀れな様が脳裏でリアルに想像出来て目の前がグラグラと揺れる。
支援者に罵倒されてる自分。有名な父のネームバリューと比較されて散々に叩かれる自分。マスコミに格好の餌食にされてお気の毒インタビュー受ける自分…。
「あんなに長男は優秀なのに」「やっぱり生まれが生まれだから」
「顔は似ててもやっぱり出来が悪いわ」「肝心な時にいつもああなんだ」
「これだから愛人の子は」
自分が罵られるのがイヤなんじゃない。
大好きな家族が、自分を通して間接的に罵られる。
自分がいるから、これ幸いと叩かれる。
自分がいるから。
いなくていい自分がいるから。
いるはずのない、不要な存在の僕がいるから、立派で非の打ち所のない父が、兄が、優しい母が、家族が傷つく。
いやだ、いやだ、いやだ…。
「晶?」
「…はっ、はい」
心配そうな父の声で、現実へと引き戻される。
少しぼんやりしてたらしい。
ごまかすように額を拭うと、手の甲には驚くほどの汗粒がべっとりとついた。
「まあ、そういう訳だから晶。今から心づもりだけしておきなさい」
「そんな父さん、僕は…」
突然の後継者指名やら何やらで言葉が続かない息子に、虎太郎はようやく父としての優しい笑顔を見せる。
「晶、お前ももう二十歳か。大きくなったな。この家に最初に来た時は、わしの腰周りくらいしか背丈がなかったのに」
「お父さん…」
「成人おめでとう。本当は地元の成人式に出るもんだと思ってたから、帰省ついでで今年の新年に言いたかったが…まあ、正式に二十歳迎えた今が丁度良かったのかもしれんね。そいでもってまあ…その時に言おうと思っていたことだ。後継ぎになってもらう事は、聡文とも、勿論母さんとも、長年ずっと話して決めていた事だ。だから」
とん、と畳んだ扇子の先で、虎太郎は不安げな晶の胸元を軽く叩く。
「もしイヤだと言うなら…それ以上の、私や聡文、母さんを納得させられるような、大きな夢を語ってご覧。
…さて、時間だ。そろそろ支度を」
虎太郎の言葉に合わせ、聡文が一礼すると虎太郎はさっと立ち上がり着流しの帯を掴んで直す。
「まあ、寂しい事…すぐ支度始めますね」と、側で控えていた母もそそくさと立ち上がり奥へと引っ込むと、晶は聡文と二人部屋に残された。
「さて、今晩は俺も実家で待機だ。台風の日に母さんひとりぼっちじゃあ怖いだろうってさ。もっとも、あれだけお前の友人来ると思ってなかったらしいが」
そう言うなり、聡文は立ち上がると勢いよく障子を開け、床の間にあった大理石製のでかい灰皿を持ち出して縁側にどかっと座り、一服の支度をする。
「兄さん…いつから知って」
「ん?さあてな。ともかく晶、俺はお前のために頑張って政治家秘書になるぜ。有難く厚く御礼申し上げてこの胸に飛び込んでくるがいい」
「それはお断りします。でも」
「でも?」
「…僕やっぱり兄さんの方がいい気がします」
「俺はそう思わないよ。理由は何となく分かってるだろ?」
「………」
「そういう事だ。俺は未だにお前以外の他人はどうでもいいからな。知識と理性だけで政治しようなんて無理だと、この仕事始めて痛いほど分かった。駆け引きには自信があるが、相手はヒヒじじいどもばかりじゃない…有権者は一般の国民様方だ。けど、その他人様が痛かろうが死んでようが、俺は「ああそう」で済んじまう。
金が無い?ああそう。
仕事がない?ああそう。
保障充実させてくれ?…ああそうああそう。
だから何だ?
何も学ばないで、全部政治家に押しやっておいて、少しも個人に益が無ければ叩いて小銭を寄越せと擦り寄ってくる。無能だ。そして無知蒙昧の烏合の衆だ。まだ自分でエサを漁るだけ烏の方が賢い。自分の国の政治経済一つ、マスコミの垂れ流す情報だけでしか判断出来ん息を吐くだけのゴミどもめ。いいように毒されて扇動されてるとも気付かない。その上何でも不満を言えば済むと思ってやがる…!」
「にっ、兄さん…」
珍しく苛立っている自分に気付いたのか、聡文は気分転換に洋物の細い紙煙草を口にくわえる。
「済まない。こないだ有権者との会合があって色々言われてさ…そうした理由もあって、俺は世間様の為に表立って働きたくないんだよ。ここだけの話だが。多分、今日本が戦場になって、どれだけ痛ましい死体が転がってようと俺には瓦礫やガラス片と同じ、いやそれ以上に生臭くてイヤなゴミにしか見えんな。今夏場だろ?絶対匂うよなあ。ああでも勘違いするなよ。お前に万一の事があったら確実に後追いして地獄の果てまでついてってやるから安心しろ」
「兄さん誇張し過ぎだよ。それに僕長生きする予定なんだから、想像したくない上に物騒な事言わないでくださいよ」
えー、と不遜で物騒な兄はあからさまに不満げに唇を尖らせた。
「…それと、想像の話といっても戦争なんか持ち出さないでください。僕、万一そんな事になって、誰か少しでも知ってる人が目の前で動かなくなってたら…」
「ほれな」
「?」
「お前はいつでもそうやって他人の痛みを考える。今だってそうさ。お前、俺に気遣ってるだろ」
「…それは」
「だろ?」
紫煙を細く吐く聡文の横顔が、妙に自信ありげだったため晶は図星ながら少しカチンともきた。
そういうそぶり一つ、崩れた印象を与えない。悔しいが完敗。
「…それがお前の、いいところ。お前みたいに、血の通った【感情】を持った人間が人の上に立つのがいいと、俺は思うんだよ」
「兄さん…」
何故だか、その時だけ、晶は兄の横顔に切ない悲しみを読み取った気がした。
【7月30日・聡文兄さんはスモーカー・台風北上中・続く】
安住家の奥座敷は不思議なほどに静かであった。
張り替えたばかりの障子からは真夏の朝日が和紙を透かして差し込んでいるが、戸は隙間無くピタリと閉め切られ、室内は機械的なクーラーの優しい冷房と沈黙で満ち満ちていた。
安住家を一介の郷士から名だたる政治家一族になるまでに育て上げたという、曾祖父の筆「一子相伝」の物々しい掛け軸が掛けられた床の間を背に、安住虎太郎は腕組みをしてゆったりと、向かい合う息子の言葉を待っていた。
「ただいま …帰りました」
父、母、そして脇に座して控える兄に向かい、晶が辛うじて絞り出した第一声は畳の目に吸い込まれて消えそうなほどに掠れて小さかった。
平生の不愛想を詫びるかのように正座し畳に額を擦りつける次男坊に、虎太郎は「まあ顔を上げなさいって」とやんわり気遣いを覗かせる。
「何もお前を叱ろうと思って呼びつけた訳じゃあないから。ちょっと、足、崩しなさいな」
「いえ…このままで、結構です」
手にした気に入りの扇子でそれそれと足下を差す父親に、次男は頑なに首を振る。
背筋を伸ばし、きちんと足を揃えて正座し身を硬く膝に手を置いた姿は、みるからに全身へ無駄な力みが感じられる。
その上、死の宣告でも待っているような悲壮な面構えである。
虎太郎はふっと、十年前この部屋で古備前の皿を割ってがたがた震えていた幼少時の晶を思い起こし、笑うでもなく「変わらんねぇ」と呟いた。
「…何、がでしょう」
あんまり身をちぢこませてうなだれる息子の姿に虎太郎は「そういう所よ」と意地悪くそのまま返す。
「律儀で、礼儀正しくて、いつでも良い息子であろうとする。わしはお前のそういう潔癖な所が好きなんだ」
柔和に微笑む父の巧みな能弁にも、息子は変わらず固い表情を崩さない。
「それは、当たり前ですお父さん。この家に迎え入れられて十五年、僕はまだ貴方の息子として未熟きわまりないですけど…」
「まあまあ、他人行儀な挨拶なんかいらんよ。大学から届く成績票を見る限りは学問にも打ち込んでいるみたいだし、身体もきちんと鍛えているようだし。それについて、わしは何ら不満はないよ」
「有り難うございます」
座して一礼する晶の隣で、「ちょっと脇腹ぷよってたけどな」と、黒服の長男が意地悪く舌を覗かせる。
むきぃっ、と余計な事を言うなと歯を見せて無言で威嚇する弟の焦り顔に、兄は声を殺してせせら笑う。
そんな息子達の横顔に目を細める虎太郎の横顔は、まさしく年老いた父親である。
が、「さて」と仕切り直して次に顔を起こした時、そこにあるのは先程とは微妙に異なる、老獪な政治家の真剣な眼差しであった。
「晶」
「…はい」
「お前は二年前に私に言ったな。自分は自分の道を探したい、と」
「………はい」
無意識に、晶は膝上の拳をぎゅっと握り直す。
俯いたまま、こちらを直視する父の視線の重さに、顔を上げられぬまま声を絞り出す。
「高校時代、私や聡文の母校への勧めを蹴って別の高校へ進学した時もそうだった。こうして模索し続けてみてどうだね?」
「………」
「今に今、どうこうしてと具体案を聞きたい訳じゃない。
だが知りたいのだよ。
…お前が進もうとしている道を。
政治への道を断ち、一体どういう形で世界に貢献しようと考えているのか。出来れば正月休みに聞いておきたかったが、お前さんとうとう帰ってこなかったからね」
「申し訳ありま…」
「謝らなくて良い。答えなさい」
ぴしゃり、と言い切られ、晶は言葉を失う。
その場に対面しているのは、あの子煩悩で穏やかな父親のはずなのに。
自分よりも遙かに小柄でひょろりとした、歳より遙かに老け込んだこの小男が発しているとは思えない、場の重苦しさが一斉に自分の背にのしかかった錯覚を覚えて晶は目眩がした。
このしたたかさと、揺るぎない存在。
これこそが、安住虎太郎を一介の政治家と評させぬ「本物」の威圧感であった。
押し切るでもなく、強引でもなく。
だが、向かい合う相手の本質だけを鋭く狙って射抜いてくる。
そして、その先に自分の狙う駒を打って相手が嵌るのを待つのである。
百戦錬磨な話術と人心術の達人を前にして、やはり晶は予想通りにうなだれて首をふった。
「おやまあ」
「申し訳ありません。返す言葉が、今の僕には…」
「ああいいのいいの。お前が新年帰ってこないのも、そう答えるだろうと言うのもお見通しだから。でだな晶」
「はい…」
「私の方も、やはり答えは変わらないのよ。お前には安住の子としての自覚を持ち、ゆくゆくは私の後継者になってほしいのだね」
「そう、ですか…やはり僕はこうけ…」
父の言葉を反芻して、晶は「ん?」と眉をひそめる。
聞き慣れない単語が混じっていたせいである。
後継者?
「お父さん、後継者って何ですか」
平生、幼い頃から父に聞かされていたのは「いつか父さんを支えてほしい」=安住本家の息子として、いつか政治の舞台に立つ父や兄を支える存在になってほしい、という主旨の内容であったはず。自分は次男。しかも後妻の子。親戚縁者全てに白眼視されていた自分。
その僕に、後継者になってほしいと、父は今言ったのか。
「ああそうだよ晶。私の後釜はお前だと、ずっと昔から思っていた。そのために、本家へと呼び寄せたのだしね」
にこりともせずに、父ははっきりと断言した。
晶の全身から、血の気が一気に引く。
冷房のせいでもなく、露出した肌にざわっ、と鳥肌が立って撫でつける。その、撫でる掌が震えていた。
「…ご冗談でしょ?」
おそるおそる聞き返すも、父は黙って頭を振った。
「いや、本気よ私。聡文もそのつもりで、ずっと私の下で勉強しとるよ」
なあ、と父に問われて兄もええ、と何のてらいもなく答える。
「晶、お前ずっと俺の下で働くもんだと思いこんでただろ?
違うぞ、お前が俺の前に立つの。
後十年もしたら、お前は父の基盤継いで立候補してもらう事になるんだぞ。今から腰抜かしててどうする?しっかりしろよ」
聡文の悪びれない追い打ちに、晶は我知らず「どうしてそうなるんだよっ!」と叫んでいた。
「意味分からないよ父さんも兄さんも!…僕次男だよ?しかも、これだけ優秀な兄さん差し置いて僕に後継げとか、父さんどうしちゃったの?!人選ミスどころの話じゃない、今まで支援してくれてた親戚連中や支援者を又敵に回してもいいの?あいつら絶対納得しないよっ!」
家柄の格、容姿知性弁舌、そして経歴。
何一つとして兄に勝ったもののない次男としてみれば、この指名は暴挙もしくは混乱以外の何者でもなかった。
「じゃあお前が納得させればいいさ。奴らは信用に足るかどうか値踏みしてるに過ぎん。聡文の方が確実に票が稼げると踏んでるんだろうが、私はそう思わん。そもそも、聡文は政治家に向いてないとさえ思うしの」
「それに関しては、俺も心底そう思う。俺はせいぜい優秀だってだけの器だ。それで政治家成り立つなら、永田町はご立派な肩書きで入園出来る三流大以下の低レベルな遊園地に成り下がるだろうね。でも、俺も父もそうしたくないのさ」
俺達のように、真に国民の平和を考える奴が指揮取らないとね、と大それた呟きを口端に浮かべて、聡文は困惑する晶を眺める。
「僕こそ政治家に向いてません」
晶がやっとのことで辛うじて絞り出した言葉に、父も兄も「またか」と言いたげに頭を振った。
「お前なあ、まだ大学受験ひきずってんの?拘りすぎなんだよ」
「だって…」
それだけじゃない、幼稚園も、小学校も、中学校受験も全部だよと言いかけて言葉を飲み込む。
唯一志望校へ入学できた高校受験でさえ、親友がマンツーマンで指導かつ精神ケアしてくれてやっとの合格だった。
ここ一番の大勝負にめっぽう弱い自分が、選挙戦へ立候補とか考えるだけで既に惨敗する哀れな様が脳裏でリアルに想像出来て目の前がグラグラと揺れる。
支援者に罵倒されてる自分。有名な父のネームバリューと比較されて散々に叩かれる自分。マスコミに格好の餌食にされてお気の毒インタビュー受ける自分…。
「あんなに長男は優秀なのに」「やっぱり生まれが生まれだから」
「顔は似ててもやっぱり出来が悪いわ」「肝心な時にいつもああなんだ」
「これだから愛人の子は」
自分が罵られるのがイヤなんじゃない。
大好きな家族が、自分を通して間接的に罵られる。
自分がいるから、これ幸いと叩かれる。
自分がいるから。
いなくていい自分がいるから。
いるはずのない、不要な存在の僕がいるから、立派で非の打ち所のない父が、兄が、優しい母が、家族が傷つく。
いやだ、いやだ、いやだ…。
「晶?」
「…はっ、はい」
心配そうな父の声で、現実へと引き戻される。
少しぼんやりしてたらしい。
ごまかすように額を拭うと、手の甲には驚くほどの汗粒がべっとりとついた。
「まあ、そういう訳だから晶。今から心づもりだけしておきなさい」
「そんな父さん、僕は…」
突然の後継者指名やら何やらで言葉が続かない息子に、虎太郎はようやく父としての優しい笑顔を見せる。
「晶、お前ももう二十歳か。大きくなったな。この家に最初に来た時は、わしの腰周りくらいしか背丈がなかったのに」
「お父さん…」
「成人おめでとう。本当は地元の成人式に出るもんだと思ってたから、帰省ついでで今年の新年に言いたかったが…まあ、正式に二十歳迎えた今が丁度良かったのかもしれんね。そいでもってまあ…その時に言おうと思っていたことだ。後継ぎになってもらう事は、聡文とも、勿論母さんとも、長年ずっと話して決めていた事だ。だから」
とん、と畳んだ扇子の先で、虎太郎は不安げな晶の胸元を軽く叩く。
「もしイヤだと言うなら…それ以上の、私や聡文、母さんを納得させられるような、大きな夢を語ってご覧。
…さて、時間だ。そろそろ支度を」
虎太郎の言葉に合わせ、聡文が一礼すると虎太郎はさっと立ち上がり着流しの帯を掴んで直す。
「まあ、寂しい事…すぐ支度始めますね」と、側で控えていた母もそそくさと立ち上がり奥へと引っ込むと、晶は聡文と二人部屋に残された。
「さて、今晩は俺も実家で待機だ。台風の日に母さんひとりぼっちじゃあ怖いだろうってさ。もっとも、あれだけお前の友人来ると思ってなかったらしいが」
そう言うなり、聡文は立ち上がると勢いよく障子を開け、床の間にあった大理石製のでかい灰皿を持ち出して縁側にどかっと座り、一服の支度をする。
「兄さん…いつから知って」
「ん?さあてな。ともかく晶、俺はお前のために頑張って政治家秘書になるぜ。有難く厚く御礼申し上げてこの胸に飛び込んでくるがいい」
「それはお断りします。でも」
「でも?」
「…僕やっぱり兄さんの方がいい気がします」
「俺はそう思わないよ。理由は何となく分かってるだろ?」
「………」
「そういう事だ。俺は未だにお前以外の他人はどうでもいいからな。知識と理性だけで政治しようなんて無理だと、この仕事始めて痛いほど分かった。駆け引きには自信があるが、相手はヒヒじじいどもばかりじゃない…有権者は一般の国民様方だ。けど、その他人様が痛かろうが死んでようが、俺は「ああそう」で済んじまう。
金が無い?ああそう。
仕事がない?ああそう。
保障充実させてくれ?…ああそうああそう。
だから何だ?
何も学ばないで、全部政治家に押しやっておいて、少しも個人に益が無ければ叩いて小銭を寄越せと擦り寄ってくる。無能だ。そして無知蒙昧の烏合の衆だ。まだ自分でエサを漁るだけ烏の方が賢い。自分の国の政治経済一つ、マスコミの垂れ流す情報だけでしか判断出来ん息を吐くだけのゴミどもめ。いいように毒されて扇動されてるとも気付かない。その上何でも不満を言えば済むと思ってやがる…!」
「にっ、兄さん…」
珍しく苛立っている自分に気付いたのか、聡文は気分転換に洋物の細い紙煙草を口にくわえる。
「済まない。こないだ有権者との会合があって色々言われてさ…そうした理由もあって、俺は世間様の為に表立って働きたくないんだよ。ここだけの話だが。多分、今日本が戦場になって、どれだけ痛ましい死体が転がってようと俺には瓦礫やガラス片と同じ、いやそれ以上に生臭くてイヤなゴミにしか見えんな。今夏場だろ?絶対匂うよなあ。ああでも勘違いするなよ。お前に万一の事があったら確実に後追いして地獄の果てまでついてってやるから安心しろ」
「兄さん誇張し過ぎだよ。それに僕長生きする予定なんだから、想像したくない上に物騒な事言わないでくださいよ」
えー、と不遜で物騒な兄はあからさまに不満げに唇を尖らせた。
「…それと、想像の話といっても戦争なんか持ち出さないでください。僕、万一そんな事になって、誰か少しでも知ってる人が目の前で動かなくなってたら…」
「ほれな」
「?」
「お前はいつでもそうやって他人の痛みを考える。今だってそうさ。お前、俺に気遣ってるだろ」
「…それは」
「だろ?」
紫煙を細く吐く聡文の横顔が、妙に自信ありげだったため晶は図星ながら少しカチンともきた。
そういうそぶり一つ、崩れた印象を与えない。悔しいが完敗。
「…それがお前の、いいところ。お前みたいに、血の通った【感情】を持った人間が人の上に立つのがいいと、俺は思うんだよ」
「兄さん…」
何故だか、その時だけ、晶は兄の横顔に切ない悲しみを読み取った気がした。
【7月30日・聡文兄さんはスモーカー・台風北上中・続く】
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