君の元まで。
*
22時を回って、台風は瀬戸内海へ急速に接近。午前0時には香川・丸亀港へと最接近し同時に岡山は暴風域のまっただ中に入る。
丁度満潮時間と重なる丸亀港周辺、とりわけアーケード街では商店街の組合を中心とした緊急対策本部が置かれ、浸水対策に備えて夜通し土嚢を積み込むなどの作業が続いてるとの報道がなされていた。
「のどかさんのお家、大丈夫かなぁ」
「海岸沿いじゃないそうだから大丈夫だとは思うけど…」
茶の間以外の電気を消して、消灯間近の安住家にて晶たちがテレビで台風情報を見ていた頃。
庵は自室に籠もったままぼんやりと窓の外を見つめていた。
電気もつけぬまま、ベッドに寝転がったまま、ただ窓の外を流れていく暗灰色の猛烈な暴風の様相を眺める。
沈黙しきった室内。からっぽの本棚。辞書も英和辞典も論語も置かれてない、古びたシステムデスク。その奥に見える小さなベランダがギシギシ揺れている。
ごうごうと吹き付ける風と雨粒が窓をきしきしと鳴らす。風の姿など視認出来ないが、音だけが生々しく暗闇の室内を揺する。
びゅうびゅうびゅうびゅう。
ざあざあざあざあ。
がんがんっがっがっん。
トタンやサッシを叩く雨粒。バケツが吹き飛ぶ音。暴力的な雨粒の水音。
雨樋が壊れかけてるのか、さっきから壁を叩く音がする。
眠れない。
薬を飲んでないせいかもしれないが、胃がムカムカして飲みたくない。
朝から卵と水だけで、ろくに何も食べてないからかもしれない。
哲平の差し入れてくれた果物も、既に完食して皮だけがゴミ箱送りになってる。
階下に行けば何かあるんだろうけど、どうでもいい。
この家で、何も食べたくない。
何も欲しくない。
欲しがらないと、求めないと、あの日決めた自分への約束事。
それを曲げてしまいたくないだけ。意固地だなと、我ながら思いもするけど。
手の中でずっといじっていたケータイを開いて、とじて、また開いて。
晶から着信記録。話したい気分じゃない。話すための元気が足りない。
眠いのに、眠くない。
元気。
元気の固まりみたいな、あの子。
今どうしてるんだろう。
香川、今暴風のさなかだ。
不安、なのかな。平気なの、かな…。
寝返りを打って。また閉じて、開いて。何十分、これを繰り返してる? …なあ、俺。
…聞きたい。声聞きたい。
*
「蒸し暑~~~い…」
代わって香川県屋島。アン女クイズサークル所属・現在帰省中の女子大生、安西のどかは、台風の影響で普段の数時間も早く就寝の支度を親から言いつけられ、渋々風呂の後さっさと電気を消してタオルケットを被ったところであった。
見たいテレビもしたいゲームも消灯時間と停電の危険性からあっさりお預けである。こういう時に田舎の実家は融通が利かない。
しかもエアコン冷房も節約して除湿で寝ろと言われ、ただでさえ利きの悪いボロエアコンの自室で微妙な蒸し暑さに見舞われ、帰省してしばらくの娘にとっては大いに不満な嵐の夜となっていたのだが。
「これで停電になったらマジで最悪ー…台風って何がイヤって、すっごい部屋の中が蒸すんだよねー…あー汗ベットベトで気持ち悪いし、こっそりタイマーで冷房入れよっかなあ…」
パジャマ姿で壁に向かってぼやいていたその時、卓上で充電器の上に据え付けていたケータイがぶるぶると震えだした。
ぷるるる… ぷるる…
「もしもし?」
『…ののちゃん?』
「庵君!!」
どうしたのっ、と既に消灯した自室のベット上で、のどかはピンクのタオルケットを蹴り上げて起きあがった。
誰に見られているはずもない自分の部屋の中のはずなのだが、のどかは慌てて居住まいを正し布団の上で背筋を伸ばし着座する。
「どうしたの庵君?…声、遠い感じ」
『…ごめん』
「何が?」
『…電話して』
「いいよ別に!そんなのっ!ぜんっぜん!!」
突然の嬉しいサプライズのせいで高揚し過ぎたせいか、それに加えて力一杯言い過ぎただろうか、ケータイの向こうで相手が沈黙する。
「あっ…」
やっちゃったかなあ…と、べとつく汗の上に冷や汗をかきそうになっていると、ふふふ、と微かにくすぐったそうに息が抜ける音が聞こえた。
『…ありがと』
「えっ、そんな…ううん!全然!…それより、その、私こそ」
『?』
「ありがとう。晶君から熱出したって聞いて、ずっと気になってたんだ。でも病気で寝てるのに電話したら良くないなって思ってガマンしてたんだけど…声、聞けて良かった。ほっとしたよ。今身体、大丈夫?」
『熱はほとんど。食欲もそれなり。今日一晩寝たら治る、と思う』
「そっか、良かった!」
『ごめんな。準備してくれてたんだろうに、俺のせいで遅くなって。俺しかもいきなり行くとかなんとか言って押しかけるようになっちまって』
「そんなの、気にしなくていいよ。約束、まさか本当に来てくれるとは思ってなかったから、私も、それとお父さんたちもビックリしてた!本当に有名人が来るのかー、って。いつでもいいから待ってるよって伝えておいてくれって」
『もう有名人じゃないよ俺(笑)でも、お父さん達優しいな。ありがとののちゃん』
「そ、そんなのいいよっ!私、庵君のこと待ってる。フェリー乗る前に電話してね。それに合わせて高松へお迎えに行くから」
『ん、分かった。絶対かける。フェリー明日動くかなあー…とっとと台風抜ければいけるのかな?今晶たち、晶の実家に移動してるから相談も出来ないや。今、俺は自分の実家に一人でいるんだ。風強いお』
「こっちもひどいよー。弟なんか、ダムに水溜まるかなあ、なんて呑気なこと言ってたけど!ところで晶君たちだけ移動してるの?それって台風のせい?」
『だな。あいつんちでっかいから、ヒゲ先輩の車置けるし、みんなが安全に寝泊まり出来るスペースあるし。…と、後は晶のブラコン兄貴のせいかな。あいつの兄ちゃん、晶ファンクラブの会員ナンバーゼロ号だから、俺が晶独占してると思っててガキの時分はありとあらゆる嫌がらせを受けたもんだったね(苦笑)』
「えー?!何それー(笑)」
『…また晶がいない時に教えたげるよ。先に、あいつの兄ちゃんがどんだけイケメンか教えておかないと面白み半減だかんね。ギャップ酷すぎて笑える。つうか、思うに晶は本当に愛されてるなーと、俺は思うんだ』
「庵君もだよ」
『…?』
「庵君だって、みんなに愛されてるよ。大学や、サークル内の人気者じゃない!うらやましいもん」
『………俺が?そんなことないよ』
「あるよ!だって、みんな庵君のこと気に掛けてるし、気がついたら注目の的だし。麻美先輩も、茜先輩も、何でかアイちゃんもメールや電話で庵君の話してた。みんな庵君の事格好いいって。いったいどんな事したのかなー?って思ってたんだけど?」
『ええっマジで?照れるな』
「あ、今鼻の下伸ばしてる」
『してないよ。全然してないって!』
「ホントかなあ~…」
ぷう、と見えないと思って電話の向こうでむくれていると、庵の押し殺したような笑い声の後、互いに沈黙が流れる。
また一瞬の間をおいて、庵がくすりと笑うのが聞こえた。
『………ありがと』
大人びた声。
「どうしてー?そんなの、本当のことだし!庵君、もっと自分がアイドルなのに気付いた方がいいよ」
『えー?俺アイアイみたくブリブリフリルのスカートで踊ったりしないお』
「えっ、それはちょっと、もうっ!想像しちゃったじゃないのっ!」
『あはは、ごめん。で…』
外の暴力的な音が薄れていく。
しばらくの間、たわいない会話だけが海を越えてあの人の元へ届いている。
その事実。それだけが、ただ嬉しい。
だから。
言ってもいいのかな、と脳裏でうっすらとかすめる思い。
このまま友達でも、いいのかもしれない。言わずにおけば、多分このまま。
だけど。
だから。
嵐が過ぎ去ったら、きちんとけじめ、つけないといけないかな。
この思いに。
複雑な思考の袋小路に迷う思い。
だけど、今だけは。
今だけは、これでいいよね。間違ってないよね?
ただ嵐の音を遠ざけるように、諾々と続くケータイ越しの声。
意味がない話でも、それだけでもいい。
今はもう少し、このままで。
それが互いの心境だったと二人が知るのは、もう少し、先の話。
【7月30日・台風上陸中・外は暴風・室内はほっこり・続く】
22時を回って、台風は瀬戸内海へ急速に接近。午前0時には香川・丸亀港へと最接近し同時に岡山は暴風域のまっただ中に入る。
丁度満潮時間と重なる丸亀港周辺、とりわけアーケード街では商店街の組合を中心とした緊急対策本部が置かれ、浸水対策に備えて夜通し土嚢を積み込むなどの作業が続いてるとの報道がなされていた。
「のどかさんのお家、大丈夫かなぁ」
「海岸沿いじゃないそうだから大丈夫だとは思うけど…」
茶の間以外の電気を消して、消灯間近の安住家にて晶たちがテレビで台風情報を見ていた頃。
庵は自室に籠もったままぼんやりと窓の外を見つめていた。
電気もつけぬまま、ベッドに寝転がったまま、ただ窓の外を流れていく暗灰色の猛烈な暴風の様相を眺める。
沈黙しきった室内。からっぽの本棚。辞書も英和辞典も論語も置かれてない、古びたシステムデスク。その奥に見える小さなベランダがギシギシ揺れている。
ごうごうと吹き付ける風と雨粒が窓をきしきしと鳴らす。風の姿など視認出来ないが、音だけが生々しく暗闇の室内を揺する。
びゅうびゅうびゅうびゅう。
ざあざあざあざあ。
がんがんっがっがっん。
トタンやサッシを叩く雨粒。バケツが吹き飛ぶ音。暴力的な雨粒の水音。
雨樋が壊れかけてるのか、さっきから壁を叩く音がする。
眠れない。
薬を飲んでないせいかもしれないが、胃がムカムカして飲みたくない。
朝から卵と水だけで、ろくに何も食べてないからかもしれない。
哲平の差し入れてくれた果物も、既に完食して皮だけがゴミ箱送りになってる。
階下に行けば何かあるんだろうけど、どうでもいい。
この家で、何も食べたくない。
何も欲しくない。
欲しがらないと、求めないと、あの日決めた自分への約束事。
それを曲げてしまいたくないだけ。意固地だなと、我ながら思いもするけど。
手の中でずっといじっていたケータイを開いて、とじて、また開いて。
晶から着信記録。話したい気分じゃない。話すための元気が足りない。
眠いのに、眠くない。
元気。
元気の固まりみたいな、あの子。
今どうしてるんだろう。
香川、今暴風のさなかだ。
不安、なのかな。平気なの、かな…。
寝返りを打って。また閉じて、開いて。何十分、これを繰り返してる? …なあ、俺。
…聞きたい。声聞きたい。
*
「蒸し暑~~~い…」
代わって香川県屋島。アン女クイズサークル所属・現在帰省中の女子大生、安西のどかは、台風の影響で普段の数時間も早く就寝の支度を親から言いつけられ、渋々風呂の後さっさと電気を消してタオルケットを被ったところであった。
見たいテレビもしたいゲームも消灯時間と停電の危険性からあっさりお預けである。こういう時に田舎の実家は融通が利かない。
しかもエアコン冷房も節約して除湿で寝ろと言われ、ただでさえ利きの悪いボロエアコンの自室で微妙な蒸し暑さに見舞われ、帰省してしばらくの娘にとっては大いに不満な嵐の夜となっていたのだが。
「これで停電になったらマジで最悪ー…台風って何がイヤって、すっごい部屋の中が蒸すんだよねー…あー汗ベットベトで気持ち悪いし、こっそりタイマーで冷房入れよっかなあ…」
パジャマ姿で壁に向かってぼやいていたその時、卓上で充電器の上に据え付けていたケータイがぶるぶると震えだした。
ぷるるる… ぷるる…
「もしもし?」
『…ののちゃん?』
「庵君!!」
どうしたのっ、と既に消灯した自室のベット上で、のどかはピンクのタオルケットを蹴り上げて起きあがった。
誰に見られているはずもない自分の部屋の中のはずなのだが、のどかは慌てて居住まいを正し布団の上で背筋を伸ばし着座する。
「どうしたの庵君?…声、遠い感じ」
『…ごめん』
「何が?」
『…電話して』
「いいよ別に!そんなのっ!ぜんっぜん!!」
突然の嬉しいサプライズのせいで高揚し過ぎたせいか、それに加えて力一杯言い過ぎただろうか、ケータイの向こうで相手が沈黙する。
「あっ…」
やっちゃったかなあ…と、べとつく汗の上に冷や汗をかきそうになっていると、ふふふ、と微かにくすぐったそうに息が抜ける音が聞こえた。
『…ありがと』
「えっ、そんな…ううん!全然!…それより、その、私こそ」
『?』
「ありがとう。晶君から熱出したって聞いて、ずっと気になってたんだ。でも病気で寝てるのに電話したら良くないなって思ってガマンしてたんだけど…声、聞けて良かった。ほっとしたよ。今身体、大丈夫?」
『熱はほとんど。食欲もそれなり。今日一晩寝たら治る、と思う』
「そっか、良かった!」
『ごめんな。準備してくれてたんだろうに、俺のせいで遅くなって。俺しかもいきなり行くとかなんとか言って押しかけるようになっちまって』
「そんなの、気にしなくていいよ。約束、まさか本当に来てくれるとは思ってなかったから、私も、それとお父さんたちもビックリしてた!本当に有名人が来るのかー、って。いつでもいいから待ってるよって伝えておいてくれって」
『もう有名人じゃないよ俺(笑)でも、お父さん達優しいな。ありがとののちゃん』
「そ、そんなのいいよっ!私、庵君のこと待ってる。フェリー乗る前に電話してね。それに合わせて高松へお迎えに行くから」
『ん、分かった。絶対かける。フェリー明日動くかなあー…とっとと台風抜ければいけるのかな?今晶たち、晶の実家に移動してるから相談も出来ないや。今、俺は自分の実家に一人でいるんだ。風強いお』
「こっちもひどいよー。弟なんか、ダムに水溜まるかなあ、なんて呑気なこと言ってたけど!ところで晶君たちだけ移動してるの?それって台風のせい?」
『だな。あいつんちでっかいから、ヒゲ先輩の車置けるし、みんなが安全に寝泊まり出来るスペースあるし。…と、後は晶のブラコン兄貴のせいかな。あいつの兄ちゃん、晶ファンクラブの会員ナンバーゼロ号だから、俺が晶独占してると思っててガキの時分はありとあらゆる嫌がらせを受けたもんだったね(苦笑)』
「えー?!何それー(笑)」
『…また晶がいない時に教えたげるよ。先に、あいつの兄ちゃんがどんだけイケメンか教えておかないと面白み半減だかんね。ギャップ酷すぎて笑える。つうか、思うに晶は本当に愛されてるなーと、俺は思うんだ』
「庵君もだよ」
『…?』
「庵君だって、みんなに愛されてるよ。大学や、サークル内の人気者じゃない!うらやましいもん」
『………俺が?そんなことないよ』
「あるよ!だって、みんな庵君のこと気に掛けてるし、気がついたら注目の的だし。麻美先輩も、茜先輩も、何でかアイちゃんもメールや電話で庵君の話してた。みんな庵君の事格好いいって。いったいどんな事したのかなー?って思ってたんだけど?」
『ええっマジで?照れるな』
「あ、今鼻の下伸ばしてる」
『してないよ。全然してないって!』
「ホントかなあ~…」
ぷう、と見えないと思って電話の向こうでむくれていると、庵の押し殺したような笑い声の後、互いに沈黙が流れる。
また一瞬の間をおいて、庵がくすりと笑うのが聞こえた。
『………ありがと』
大人びた声。
「どうしてー?そんなの、本当のことだし!庵君、もっと自分がアイドルなのに気付いた方がいいよ」
『えー?俺アイアイみたくブリブリフリルのスカートで踊ったりしないお』
「えっ、それはちょっと、もうっ!想像しちゃったじゃないのっ!」
『あはは、ごめん。で…』
外の暴力的な音が薄れていく。
しばらくの間、たわいない会話だけが海を越えてあの人の元へ届いている。
その事実。それだけが、ただ嬉しい。
だから。
言ってもいいのかな、と脳裏でうっすらとかすめる思い。
このまま友達でも、いいのかもしれない。言わずにおけば、多分このまま。
だけど。
だから。
嵐が過ぎ去ったら、きちんとけじめ、つけないといけないかな。
この思いに。
複雑な思考の袋小路に迷う思い。
だけど、今だけは。
今だけは、これでいいよね。間違ってないよね?
ただ嵐の音を遠ざけるように、諾々と続くケータイ越しの声。
意味がない話でも、それだけでもいい。
今はもう少し、このままで。
それが互いの心境だったと二人が知るのは、もう少し、先の話。
【7月30日・台風上陸中・外は暴風・室内はほっこり・続く】
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