後輩と問答しながら。
*
高校二年の時、アカデミッククイズ記念大会の本戦で早々と勝ち抜けて、京都予選会場から東京行きを決めた僕たち=「トリプルA」…あの頃は阿古屋も含めて三人で仲良くやってたな…っと、えーと、僕たちはで次のクイズ予選までの間フリー行動を楽しんでた。
その間に、他の予選や敗者復活戦してたのは知ってるよね。
「順番に横浜のホテルでチェックポイントを通過して、抜けた順番に余った時間で観光出来るって仕組みでしたよね」
うん、そうそう。
…もっとも、敗者復活戦は勝ち抜け組に電話して相手の地元名産や偉人の問題を答えてもらうクイズだったから、僕らも後ろにカメラ一台ついて回られての観光だったけど。あれはあれで貴重な体験だけどね。
「あれ、答えなくても良かったんですよね。電話無視して」
そうそう(笑)。
リーダーの携帯電話に連絡入るから、それ無視して遊んでてもOK。ただし、後でマイナスペナがモリモリついて涙目なチームがいたっけね。
…庵は相変わらず親切だったし、完璧に答えるからガンガン電話かかって苦笑いしてた。
それでも嫌がらないのがいいとこ。
ただ、遊ぶにはちょっと不自由だったし、庵も気を遣うって言うんで、僕は阿古屋と一緒にお台場の観覧車に乗って、上から下でふてくされてる庵に手を振ったり。
庵も一応誘ったけど、やっぱり観覧車は苦手みたい。
ゆっくり高い所へ連れて行かれるだけで拷問だって。
ジェットコースターより嫌いなんだってさ。
変な話だよね?
でもそれも良い思い出。
友達と一緒にガヤガヤ遊んで、ほんの少し人と違った経験をして、その後みんなで一番になる喜びを体験出来て、高校時代に体験した一番良い時間だった。
あの頃は、まだ阿古屋も良い奴だった。
庵も普通によく笑ってたように思うし。
決勝戦の後に和美までお祝いだって花束持って押しかけてきて。
一緒に決勝戦のあった豪華客船のデッキで写真撮影して。
もう戻らない思い出。
…でも、手放したくなかったんだ。
色々と取り戻しようのないところまでお互い行ってしまったのに。
「…」
僕ね、未だに阿古屋が何を思ってああいう行動に出たのか分からないんだ。
庵といつの間にか決定的に仲が悪くなったのは気付いたけど、何が原因だったのか、未だに腑に落ちないでいる。
周りの同級生は「成績の良い庵を妬んでた」なんて言うけど、それもどこか後付っぽくて気持ち悪くて。
…ごめん、話逸れたね。
そういう訳で、僕にとってお台場って大事な場所だったんだ。
それにあそこ、海も見えるしね。東京湾だけど。
僕にとって海は瀬戸内海で、児島の海岸や船付き場の岸壁は、何も言わないでも、いつまでも受け入れて貰える場所だった。
だから、潮の匂いがする場所も、海の気配がある場所も好きだった。
そこなら居場所があるように思えたから。
まだ春の遠い底冷えの中で、東京湾をじっと見下ろしながら、日が落ちても遠くに冬の海を見続けてた。
腰を下ろして、ぼんやりと海を眺めて、黒い鉛色の海を見ていた。
そこなら、僕も居て良いかなって思いながら。
もう帰れないって思ったから。
帰って合わせる顔が、親に合わせる顔がないって思ったから。
涙が出なくて。本当にただ呆然としてた。
もうあそこに行くしかないなー…って、漠然とその一念だけで海を見てた。
「それって」
うん、多分入水自殺って取られるよね。でも、それしか頭になかった。
まだ寒い時期だったから、入ったら水死前に凍死だったかもなあ。
でも、そうならなかったのは庵が駆けつけてきてくれたからだよ。
「先輩が?…東京におられたんですか?」
いや、急いで岡山から東京に来てくれたんだよ。
着の身着のまま、飛行機で。
…大したことないように思うかもしれないけど、庵は飛行機が大の苦手だからね。本当に嫌がって乗らないんだよ。
あんな鉄の塊が浮くのがキモイってうるさいんだよ、本当に。
なのに、新幹線よりこっちの方が早いって急いでチケット取って僕を捜し回ってくれてたみたいだ。
いつまで待ってもホテルに帰ってこないから連絡なかったかって夕方に兄から電話があって、すぐにまずいって悟ったみたいだ。
庵が僕の所に来たとき、コートも無しでブルゾンにフリースとジャージだったもの。寒かったと思うな…。
「そんなことが」
うん。
その後、僕ら並んで腰掛けて二時間くらいずっと話し込んで。
一年前にここで遊んだこと。半年前の事件のこと。今自分たちに起こっていたこと…。
その時にやっと、庵が今何を思って、何に苦しんでたのかを聞けたんだ…。
【7月31日深夜・続く】
高校二年の時、アカデミッククイズ記念大会の本戦で早々と勝ち抜けて、京都予選会場から東京行きを決めた僕たち=「トリプルA」…あの頃は阿古屋も含めて三人で仲良くやってたな…っと、えーと、僕たちはで次のクイズ予選までの間フリー行動を楽しんでた。
その間に、他の予選や敗者復活戦してたのは知ってるよね。
「順番に横浜のホテルでチェックポイントを通過して、抜けた順番に余った時間で観光出来るって仕組みでしたよね」
うん、そうそう。
…もっとも、敗者復活戦は勝ち抜け組に電話して相手の地元名産や偉人の問題を答えてもらうクイズだったから、僕らも後ろにカメラ一台ついて回られての観光だったけど。あれはあれで貴重な体験だけどね。
「あれ、答えなくても良かったんですよね。電話無視して」
そうそう(笑)。
リーダーの携帯電話に連絡入るから、それ無視して遊んでてもOK。ただし、後でマイナスペナがモリモリついて涙目なチームがいたっけね。
…庵は相変わらず親切だったし、完璧に答えるからガンガン電話かかって苦笑いしてた。
それでも嫌がらないのがいいとこ。
ただ、遊ぶにはちょっと不自由だったし、庵も気を遣うって言うんで、僕は阿古屋と一緒にお台場の観覧車に乗って、上から下でふてくされてる庵に手を振ったり。
庵も一応誘ったけど、やっぱり観覧車は苦手みたい。
ゆっくり高い所へ連れて行かれるだけで拷問だって。
ジェットコースターより嫌いなんだってさ。
変な話だよね?
でもそれも良い思い出。
友達と一緒にガヤガヤ遊んで、ほんの少し人と違った経験をして、その後みんなで一番になる喜びを体験出来て、高校時代に体験した一番良い時間だった。
あの頃は、まだ阿古屋も良い奴だった。
庵も普通によく笑ってたように思うし。
決勝戦の後に和美までお祝いだって花束持って押しかけてきて。
一緒に決勝戦のあった豪華客船のデッキで写真撮影して。
もう戻らない思い出。
…でも、手放したくなかったんだ。
色々と取り戻しようのないところまでお互い行ってしまったのに。
「…」
僕ね、未だに阿古屋が何を思ってああいう行動に出たのか分からないんだ。
庵といつの間にか決定的に仲が悪くなったのは気付いたけど、何が原因だったのか、未だに腑に落ちないでいる。
周りの同級生は「成績の良い庵を妬んでた」なんて言うけど、それもどこか後付っぽくて気持ち悪くて。
…ごめん、話逸れたね。
そういう訳で、僕にとってお台場って大事な場所だったんだ。
それにあそこ、海も見えるしね。東京湾だけど。
僕にとって海は瀬戸内海で、児島の海岸や船付き場の岸壁は、何も言わないでも、いつまでも受け入れて貰える場所だった。
だから、潮の匂いがする場所も、海の気配がある場所も好きだった。
そこなら居場所があるように思えたから。
まだ春の遠い底冷えの中で、東京湾をじっと見下ろしながら、日が落ちても遠くに冬の海を見続けてた。
腰を下ろして、ぼんやりと海を眺めて、黒い鉛色の海を見ていた。
そこなら、僕も居て良いかなって思いながら。
もう帰れないって思ったから。
帰って合わせる顔が、親に合わせる顔がないって思ったから。
涙が出なくて。本当にただ呆然としてた。
もうあそこに行くしかないなー…って、漠然とその一念だけで海を見てた。
「それって」
うん、多分入水自殺って取られるよね。でも、それしか頭になかった。
まだ寒い時期だったから、入ったら水死前に凍死だったかもなあ。
でも、そうならなかったのは庵が駆けつけてきてくれたからだよ。
「先輩が?…東京におられたんですか?」
いや、急いで岡山から東京に来てくれたんだよ。
着の身着のまま、飛行機で。
…大したことないように思うかもしれないけど、庵は飛行機が大の苦手だからね。本当に嫌がって乗らないんだよ。
あんな鉄の塊が浮くのがキモイってうるさいんだよ、本当に。
なのに、新幹線よりこっちの方が早いって急いでチケット取って僕を捜し回ってくれてたみたいだ。
いつまで待ってもホテルに帰ってこないから連絡なかったかって夕方に兄から電話があって、すぐにまずいって悟ったみたいだ。
庵が僕の所に来たとき、コートも無しでブルゾンにフリースとジャージだったもの。寒かったと思うな…。
「そんなことが」
うん。
その後、僕ら並んで腰掛けて二時間くらいずっと話し込んで。
一年前にここで遊んだこと。半年前の事件のこと。今自分たちに起こっていたこと…。
その時にやっと、庵が今何を思って、何に苦しんでたのかを聞けたんだ…。
【7月31日深夜・続く】
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