夜に散歩に行かないか。
*
冬の寒気が、最近骨身に染みる気がして歳を感じる。
着古してくたびれきった真っ黒いコートをワイシャツの上に羽織り、ポケットに忍ばせた愛用の紅いヨーヨーを手に取る。
すっ、と銀糸を繰り、中からむき出しの刃が三つ、手裏剣のようにボディからはみ出てすぐ引っ込んだのを確認すると、俺は狭い自分の書斎からそっと音を立てぬように戸を開く。
台所の食卓で、双葉が家計簿を開いたまま眠っているのを見つけ、そばに落ちていた上着をかけてやると、俺はアパートの外に出た。
もうじき、十二時が来る。
十二時と、一時の狭間、が。
そろそろ、仕事も替え時かと思っていたから、「奴ら」の来訪は丁度良い。
俺は、「俺」の指し示すまま、濁った緑色の月光に向かって、棺桶の転がる坂を駆け下りた。
月が、薄気味悪い緑色のもやに包まれると、辺りの空気は一変する。
鉄っぽい生臭さを含んだ冷たい空気が、つんと鼻を刺し、俺は自覚を促すように棒立ちのまま深呼吸を2・3度繰り返す。
嫌な匂いだが、不思議とこうすれば頭が冴えた。
影時間。
何処にいても、何をしていても、ここから、離れることが出来ない自分。
足下には色濃い影が張り付き、駆ける俺の背後にピタリと張り付いているのを、感じる。
それが貴様の運命だ、とでも言いたげに。
*
「お手紙、拝見していただけたようですね」
指定場所の運動公園に到着すると、中央にある石造りの馬鹿でかい噴水脇に、ひょろ長い男が立っていた。
側のベンチには横倒しの棺桶が一つ。
その上に無造作に腰掛けている。黒い山高帽にトレンチコート。まとっている雰囲気からして、堅気の人間でないのは一目瞭然だった。
「ああ、今時馬鹿丁寧に果たし状を送りつけてくるとはな」
「ええ、そして貴方は馬鹿正直にこちらにお越しになった。手前どもも嬉しい限りです」
周囲に気配が増える。
木陰、噴水脇、背後の物陰…ざっと5・6人はいる。
全員、俺と同じ「能力者」ではないみたいだが…。
「…で?ここまで呼びつけておいて、何の用だい」
「おわかりのはずです。貴方に突きつけられている要求は、ただ一つだけ」
男は立ち上がると、革靴の足音すら立てずこちらに歩み寄る。
「貴方の養子である成瀬双葉…いえ、日向二葉をこちらに引き渡しなさい。
日向双次郎の研究資料が完全に紛失…いえ、あなた方、旧「対シャドウ戦闘員チーム」によってこの世から永久に抹消された今、その内容を知るには彼の少年の存在が必要不可欠なのですよ」
「で、捕まえてどうするってんだ。身体をバラすのか?それとも頭の中を、か?お前さんの雇い主は、いたいけな子供を何十人も犠牲にした研究の何が知りたいってんで?」
周囲の悪意に満ちた視線を無視して、俺は手元のジッポライターを灯し、マルボロで一服する。
最近は、会社でこっそり吸っていても衣服に付いた匂いで双葉に怒られるため、あまり吸わないようにはしていたのだが、今日くらいは大目に見てもらう。
ふうー、と白煙を吐き出すと、山高帽の男はうっすらと笑みを浮かべていた。
「現在、チームに属していた人物で生き残っているのは3人。本社に配属され、影時間対応型機器の製作主任となった男、同じく本社勤務の無気力症治療に当たっている医師、…そして貴方。他の二人は桐条総帥の庇護下に置かれこちらとしても手が出し辛い。…しかし、貴方は違う。チームのリーダーだったはずの貴方が、一番の疫病神を抱え、受けるはずだった恩恵も逃し、こうして私たちと対峙しておられる。誠に不運な話だ」
「別に、本社で昇進だけが幸せとは思わないがねえ。慎ましくも楽しい西日のお部屋、ってのも悪かない」
「欲のないお方だ。無償で、子供一人養い、身体を張って守ろうとするとは」
「馬鹿言えよ、俺は強欲の固まりさ。ついでに言えば俗物だよ」
そう、自分は俗っぽい男。こいつらが口にするような高尚な理由で、双葉を引き取ったとは、言い切れないからだ。
「…本社での地位を確約して下さるそうですよ。何でも、貴方のお気に召す役職で良いそうですが」
「なかなか面白い冗談だな。笑えんが」
「こちらは本気ですが」
「あの男が、寒いジョークでも何でも、笑える事を言った試しはない。そんな約束のために、息子は売れん」
「左様ですか」
根本まで吸えるだけ吸って、タバコを足下に落とし、踏みつぶす。
周囲の気配が、冷えた殺気で満ちる。
「残念です。これまでも説得を試みて思いましたが、やはり、貴方には欲、というものが欠けているようだ」
「そうかい、それはありがとよ。最高の褒め言葉と受け取っておくさ。…今回は、骨のありそうな奴、連れてきたかい?」
「ええ、ご期待に添えるものと、思っておりますよ」
「そいつはいい…丁度薬を切らしててな、ちょいと暴れ足りないと思っていた所だ!」
周囲の気配が一斉に飛びかかってくるのを肌で感じ、俺はポケットの中に収めていた紅い相棒を引き抜き、天に向けてかざす。
俺の頭上をぐるりとヨーヨーが旋回すると、俺のジャブを回避したメンインブラックもどきが姿を現した。
レアメタル製刃を仕込んだ戦闘用ヨーヨー片手に、俺は足を摺り、間合いを詰める。
夜は長い。
たっぷり、こいつらには付き合ってもらおうか。
*
頭の奥に、ずき、と鈍い痛みを感じて、双葉は目を覚ました。
「…いた、い…あれ…?」
家計簿の途中で睡魔に負けたらしい。頬をこすり、今にも落ちそうな重たい瞼もゴシゴシこする。
全身がけだるい。
なんだろう。昔、おとうさんと会ったばかりの頃、こんな空気を何度か感じたような…。
「(やあ。やっと、ぼくの声に気付いてくれたね)」
「!!!!…え、な、誰!?」
どこからともなく聞こえてくる幼い声に、双葉はいつになくびくっ、と身体を震わせ辺りを見回す。
「(フタバ、こわがらないで。ぼく、ずっと待ってたんだ。君が元気になるのを)」
「………え?」
寒気を感じた方を振り向くと、そこには白黒ストライプの上下に身を包んだ、泣きぼくろの少年が立っていた。
恐怖よりも何よりも、双葉は、その少年に奇妙な既視感を感じた。
ぼくは、この子と、会ったことがある…?
双葉の表情から察したのか、少年は嬉しそうににっこり微笑んだ。
「(色々とお話したいけど、今日は日が悪いみたい…せっかくの、満月なのにね…)」
「まん…げつ…」
怖い。何故か分からないけど、怖い。
おとうさんは、どこ。
「(おとうさん、出かけたみたいだよ。だけど大丈夫。ぼくがついてるからね。さあ、フタバ…)」
少年の大きな、黒い瞳。
目を逸らせない。…逸らしたく、ない…?
じっと、彼が、僕を、見て、い、ル………。
意識が遠のくのを感じるのに、双葉は自分の身体一つ支えられず、食卓からずり落ち、冷たいフローリングの床に身体を投げ出す。瞼が重い。身体が重い。頭の奥が、いた、い…。
「(…おやすみ、フタバ。今度会ったときは、また、あそぼうね…)」
少年は横たわる双葉の髪をなでると、静かに微笑み、立ち上がる。
台所の窓から、もやがかった影時間の濁った月明かりが差し込む。
泣きぼくろの少年から伸びていた淡い影が、静かに変容していく様を、満ち足りた緑色の満月だけが見ていた。
冬の寒気が、最近骨身に染みる気がして歳を感じる。
着古してくたびれきった真っ黒いコートをワイシャツの上に羽織り、ポケットに忍ばせた愛用の紅いヨーヨーを手に取る。
すっ、と銀糸を繰り、中からむき出しの刃が三つ、手裏剣のようにボディからはみ出てすぐ引っ込んだのを確認すると、俺は狭い自分の書斎からそっと音を立てぬように戸を開く。
台所の食卓で、双葉が家計簿を開いたまま眠っているのを見つけ、そばに落ちていた上着をかけてやると、俺はアパートの外に出た。
もうじき、十二時が来る。
十二時と、一時の狭間、が。
そろそろ、仕事も替え時かと思っていたから、「奴ら」の来訪は丁度良い。
俺は、「俺」の指し示すまま、濁った緑色の月光に向かって、棺桶の転がる坂を駆け下りた。
月が、薄気味悪い緑色のもやに包まれると、辺りの空気は一変する。
鉄っぽい生臭さを含んだ冷たい空気が、つんと鼻を刺し、俺は自覚を促すように棒立ちのまま深呼吸を2・3度繰り返す。
嫌な匂いだが、不思議とこうすれば頭が冴えた。
影時間。
何処にいても、何をしていても、ここから、離れることが出来ない自分。
足下には色濃い影が張り付き、駆ける俺の背後にピタリと張り付いているのを、感じる。
それが貴様の運命だ、とでも言いたげに。
*
「お手紙、拝見していただけたようですね」
指定場所の運動公園に到着すると、中央にある石造りの馬鹿でかい噴水脇に、ひょろ長い男が立っていた。
側のベンチには横倒しの棺桶が一つ。
その上に無造作に腰掛けている。黒い山高帽にトレンチコート。まとっている雰囲気からして、堅気の人間でないのは一目瞭然だった。
「ああ、今時馬鹿丁寧に果たし状を送りつけてくるとはな」
「ええ、そして貴方は馬鹿正直にこちらにお越しになった。手前どもも嬉しい限りです」
周囲に気配が増える。
木陰、噴水脇、背後の物陰…ざっと5・6人はいる。
全員、俺と同じ「能力者」ではないみたいだが…。
「…で?ここまで呼びつけておいて、何の用だい」
「おわかりのはずです。貴方に突きつけられている要求は、ただ一つだけ」
男は立ち上がると、革靴の足音すら立てずこちらに歩み寄る。
「貴方の養子である成瀬双葉…いえ、日向二葉をこちらに引き渡しなさい。
日向双次郎の研究資料が完全に紛失…いえ、あなた方、旧「対シャドウ戦闘員チーム」によってこの世から永久に抹消された今、その内容を知るには彼の少年の存在が必要不可欠なのですよ」
「で、捕まえてどうするってんだ。身体をバラすのか?それとも頭の中を、か?お前さんの雇い主は、いたいけな子供を何十人も犠牲にした研究の何が知りたいってんで?」
周囲の悪意に満ちた視線を無視して、俺は手元のジッポライターを灯し、マルボロで一服する。
最近は、会社でこっそり吸っていても衣服に付いた匂いで双葉に怒られるため、あまり吸わないようにはしていたのだが、今日くらいは大目に見てもらう。
ふうー、と白煙を吐き出すと、山高帽の男はうっすらと笑みを浮かべていた。
「現在、チームに属していた人物で生き残っているのは3人。本社に配属され、影時間対応型機器の製作主任となった男、同じく本社勤務の無気力症治療に当たっている医師、…そして貴方。他の二人は桐条総帥の庇護下に置かれこちらとしても手が出し辛い。…しかし、貴方は違う。チームのリーダーだったはずの貴方が、一番の疫病神を抱え、受けるはずだった恩恵も逃し、こうして私たちと対峙しておられる。誠に不運な話だ」
「別に、本社で昇進だけが幸せとは思わないがねえ。慎ましくも楽しい西日のお部屋、ってのも悪かない」
「欲のないお方だ。無償で、子供一人養い、身体を張って守ろうとするとは」
「馬鹿言えよ、俺は強欲の固まりさ。ついでに言えば俗物だよ」
そう、自分は俗っぽい男。こいつらが口にするような高尚な理由で、双葉を引き取ったとは、言い切れないからだ。
「…本社での地位を確約して下さるそうですよ。何でも、貴方のお気に召す役職で良いそうですが」
「なかなか面白い冗談だな。笑えんが」
「こちらは本気ですが」
「あの男が、寒いジョークでも何でも、笑える事を言った試しはない。そんな約束のために、息子は売れん」
「左様ですか」
根本まで吸えるだけ吸って、タバコを足下に落とし、踏みつぶす。
周囲の気配が、冷えた殺気で満ちる。
「残念です。これまでも説得を試みて思いましたが、やはり、貴方には欲、というものが欠けているようだ」
「そうかい、それはありがとよ。最高の褒め言葉と受け取っておくさ。…今回は、骨のありそうな奴、連れてきたかい?」
「ええ、ご期待に添えるものと、思っておりますよ」
「そいつはいい…丁度薬を切らしててな、ちょいと暴れ足りないと思っていた所だ!」
周囲の気配が一斉に飛びかかってくるのを肌で感じ、俺はポケットの中に収めていた紅い相棒を引き抜き、天に向けてかざす。
俺の頭上をぐるりとヨーヨーが旋回すると、俺のジャブを回避したメンインブラックもどきが姿を現した。
レアメタル製刃を仕込んだ戦闘用ヨーヨー片手に、俺は足を摺り、間合いを詰める。
夜は長い。
たっぷり、こいつらには付き合ってもらおうか。
*
頭の奥に、ずき、と鈍い痛みを感じて、双葉は目を覚ました。
「…いた、い…あれ…?」
家計簿の途中で睡魔に負けたらしい。頬をこすり、今にも落ちそうな重たい瞼もゴシゴシこする。
全身がけだるい。
なんだろう。昔、おとうさんと会ったばかりの頃、こんな空気を何度か感じたような…。
「(やあ。やっと、ぼくの声に気付いてくれたね)」
「!!!!…え、な、誰!?」
どこからともなく聞こえてくる幼い声に、双葉はいつになくびくっ、と身体を震わせ辺りを見回す。
「(フタバ、こわがらないで。ぼく、ずっと待ってたんだ。君が元気になるのを)」
「………え?」
寒気を感じた方を振り向くと、そこには白黒ストライプの上下に身を包んだ、泣きぼくろの少年が立っていた。
恐怖よりも何よりも、双葉は、その少年に奇妙な既視感を感じた。
ぼくは、この子と、会ったことがある…?
双葉の表情から察したのか、少年は嬉しそうににっこり微笑んだ。
「(色々とお話したいけど、今日は日が悪いみたい…せっかくの、満月なのにね…)」
「まん…げつ…」
怖い。何故か分からないけど、怖い。
おとうさんは、どこ。
「(おとうさん、出かけたみたいだよ。だけど大丈夫。ぼくがついてるからね。さあ、フタバ…)」
少年の大きな、黒い瞳。
目を逸らせない。…逸らしたく、ない…?
じっと、彼が、僕を、見て、い、ル………。
意識が遠のくのを感じるのに、双葉は自分の身体一つ支えられず、食卓からずり落ち、冷たいフローリングの床に身体を投げ出す。瞼が重い。身体が重い。頭の奥が、いた、い…。
「(…おやすみ、フタバ。今度会ったときは、また、あそぼうね…)」
少年は横たわる双葉の髪をなでると、静かに微笑み、立ち上がる。
台所の窓から、もやがかった影時間の濁った月明かりが差し込む。
泣きぼくろの少年から伸びていた淡い影が、静かに変容していく様を、満ち足りた緑色の満月だけが見ていた。
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