余裕のない二人。
*
邸内の茶室で銘菓栗まんとお茶のセットで一服いただく。
庭へと開かれた座敷の縁側で、二人並んでぼんやりとしばしくつろぐ。
二人きりの座敷。
静寂と安心感の同居する縁側。池から流れ込む涼風。
ずっとこうしていたい、静かさ。
「庵君、ちょっと」
「ん?ああ、待ってるから。ゆっくりでいいよ」
気持ちを落ち着けようと、のどかは席を一旦立ち化粧室の方へと足早に出て行く。
屋敷の脇にある化粧室前まで来て、のどかは遅れてきた緊張で顔が紅潮するのが分かった。
多分、何か重要な話だと思うのだ。だが、その内容が気になって緊張して。
自分が願っているような展開だったら嬉しい。
むしろ、それを望んでここへ来た気さえする。
だけど。
彼は元とはいえ有名人だ。
しかも、偶然出会ったのは数年前に一回きり。
それから杏奈や先輩達を交えての懇親会や買い物やらで親睦を深めてきはしたが、庵と自分がそうした仲になれるのかどうか未だに確信が持てなかった。
だって、自分には何もない。
庵のように天才ではまずないし、杏奈のように美人でもない。
麻美先輩のように才色兼備でもなければ、茜先輩のように攻めの姿勢にもなれない。
中途半端なのである。
そう言うとき、一番に「羨ましい」と思うのは同期生の杏奈だ。
彼女は佐世保でも有名な西洋アンティークの骨董品を扱う古美術商の一人娘で、実家が裕福なだけでなく代々男も女も問わず知識と教養を兼ね備えるべく英才教育を施されてきた筋金入りのエリートかつお嬢様なのである。
あの全身から滲み出る気品と匂い立つような爽やかな香気は、同期の誰にも真似できない遺伝子と生まれつきの素養としか言いようがない。
しかも、その当人はそれを鼻にかける事は一切無く、また努めて慎ましく謙虚で穏やかな淑女であり、身なり着こなしマナーにエチケット全てにおいて落ち度がなく、歩いているだけで人目を惹き付ける魅力さえ溢れんばかりである。
完璧である。
そんな彼女を見ていると、否が応でも比べてしまう。
いや、比べる事自体が甚だしくおこがましいのだが、大学で出来た一番の友人なのもまた彼女。
うどん屋の田舎っぺな娘が、都会において異国情緒をまとう美しい友人に一瞬でも成り代わりたいと願うのもやむなしではないだろうか。
「はうう…もし、もし庵君に恋愛相談とかされたらどうしよう…俺杏奈ちゃん好きなんだよねー♪とか言われたら、しばらく立ち直れないよう…」
藍子ちゃんみたいに空気詠み人知らずにもなれない自分である。
自分から切りだ…そうとして、何回も失敗している我が身を思い、どうしようもない焦りで苛立ってくる。
こんな時まで友達に頼ってしまいたくなる自分が嫌ではあるが、ケータイを取り出し麻美にアドバイスのメールを…と、思った所でポーチの中身に気付いて絶句する。
「(!!!…ケータイ忘れてるっ!!)」
一瞬で血の気が足下へさあっ、と引いていく。
日曜日にバイトを頼まれているので、いつ連絡が入ってもいいようにとあれだけ注意されていたのに!
「どっどどどどうしよう!!…庵君に言うの悪いし、麻美先輩から庵君の事はお忍びだから藍ちゃんには黙ってなさい!って口止めされてるし…あうう、どーしよう!頭が回らないよっ!!」
パニックであうあうと、声にならない悲鳴をもらすのどかの耳に座敷の方から今度は庵の「うわあああ!」という声が聞こえ、はたと我に帰る。
すぐさまとって返したのどかの目に飛び込んできたのは、スニーカーのかかとを踏みつけ慌てた様子で脇を駆け逃げていく庵の必死の形相。
「いっ、庵君!?」
「ごめんののちゃん、こっち!」
すれ違いざま腕を掴まれ、そのまま力任せに引っ張られ駆け出す。玉砂利の道から丸石を敷き詰めた歩きにくい坂道をどうにか駆け上がりながら、のどかは「どうしたの!?」と庵の背中に疑問をぶつけた。
「見つかる!」
「見つかる?」
「テレビの関係者!アイアイのマネージャー!俺を追ってる!」
「ええっ!?」
「さっき縁側の俺指差して捕まえられそうになった!あの顔はやばいよ、俺に何かさせようとしてるっ!」
「あっ、でもそれってもしかして私のせいかも…!」
「えっ?」と怪訝な表情で庵は立ち止まると、そそくさと道横の岩陰に二人して身を隠すと不安げなのどかの顔を食い入るように見つめる。
「それってどういうこと?」
押し殺した声で問いかける庵に、のどかはおそるおそる事情を話す。
「今日、言おうと思ってたの。庵君が岡山に着いた頃くらいに藍ちゃんから電話があって、今週末にレオナワールドでアルバイト頼まれたんだよ」
「アルバイト?」
「うん、イベントのアシスタント。神戸で麻美先輩が歴史系のキャビンアテンダントの衣装着て大成功したから、イベントのスポンサーから地元の子で良い子がいるなら考えてもいいよって言われて、私しかいないからってどうしてもって頼みこまれて。だから、もし週末に到着予定だったら困るなと思ってあの時電話したんだけど…」
「あっ…」
庵は思い出して息を呑む。丁度岡山で偏頭痛に倒れた時、のどかからの電話の最中だった。
あんまり耳鳴りと頭痛が酷くて、何か言いかけてた事くらいしか記憶出来ていなかったが…。
「で、でも麻美先輩から庵君はプライベートだって聞いてたから、藍ちゃんには何も言ってないよ!それに、私だって、邪魔されたくないし…」
のどかがほんのり頬を染めて俯く姿を見て、庵も胸をどきりとさせながら、一層身体を縮こませて俯く。
「そ、そっか。信じるよ俺。…で、それどうなったの、ののちゃん」
「今日か明日スポンサーの人ともう一度打ち合わせして、それでイベントの規模が決定するから連絡取れるように予定空けてケータイの連絡待っててって言われてた。もし園内の小スペースでささやかに開くようなものだったら、アシスタント雇うと赤字になっちゃうんだって。なのに私ったらケータイ家に忘れてきたみたいで…きっと、庵君じゃなくって私の事探してたんだよ」
ごめんなさいっ、と平身低頭で詫びるのどかに、庵は沈思黙考し「いや、違う気がする」と答えた。
「えっ?」
「ののちゃんが何も言ってなかったとしても…実は俺、神戸で一回アイアイに顔見られてるんだ。だから、知り合いのところ…アイアイにしてみればののちゃんちに来てるかも、って推測は多分容易に出来たはず。とすれば…先回りされてた可能性もあるよな…ののちゃん、バイトの事は家族みんな知ってること?」
「う、うん。そりゃ小さくてもマスコミのお仕事だもん。顔出るとなったらお母さんが黙ってないだろうし、先に言っておいた。庵君のことはお客さんにも内緒よって、口酸っぱくして言っておいたけど」
「そっか、ありがと………ただ、ケータイをだしに話を振られた可能性はあるとして…いや、やっぱり偶然なのかな?でも、どうもここ数日ネットの動きが怪しいんだよな…」
「ネット?」
「そこまでです」
頭上から振ってきた甲高い男の声に、庵とのどかは声を揃えて「ひっ」と短い悲鳴を上げる。
おそるおそる顔を起こすと、そこには汗だくで鬼の形相になってヒイヒイと口の端で荒くなった息を漏らすアイアイのマネージャーの姿があった。
「ハア…ハア…さ、探しましたよ安佐庵…」
「やっぱり俺が目的か」
険しい表情で見据える庵に、マネージャーは顔を引きつらせつつも一歩も退かない気概を見せる。
「いえ、両方ともです。この場合、のどかさんに、声を、掛けておいて、本当に良かったと思い…ましたよ…ハア…ハアハア…」
ハアアアアアア…と一旦深々と深呼吸をし、マネージャーは汗まみれの顔に仕事人の引き締まった表情を作り、庵とのどかを岩陰から見下ろした。
「九死に一生とは正にこのこと。のどかさんを追っていたらお母様から偶然情報が入ったんで超スピードの達急動でお二人を追って参りました。
…お願いです安佐庵さん。
…いいえアンサー庵君。アイアイのピンチを救ってくださいまし」
「ピンチ?アイアイが?」
「そうです。このままでは、アイアイはアイドルとして八方塞がりになります。仕事もゼロ。次のご縁どころか事務所自体がなくなりそうな大ピンチなんですよっ!お願い!一回でいいから私達の苦境を救ってください!!」
涙目の泣き声で泣きわめかんばかりの悲壮な様子のマネージャーに、庵ものどかも何事かと顔を見合わせた。
【8月1日昼・困惑顔の二人・続く】
邸内の茶室で銘菓栗まんとお茶のセットで一服いただく。
庭へと開かれた座敷の縁側で、二人並んでぼんやりとしばしくつろぐ。
二人きりの座敷。
静寂と安心感の同居する縁側。池から流れ込む涼風。
ずっとこうしていたい、静かさ。
「庵君、ちょっと」
「ん?ああ、待ってるから。ゆっくりでいいよ」
気持ちを落ち着けようと、のどかは席を一旦立ち化粧室の方へと足早に出て行く。
屋敷の脇にある化粧室前まで来て、のどかは遅れてきた緊張で顔が紅潮するのが分かった。
多分、何か重要な話だと思うのだ。だが、その内容が気になって緊張して。
自分が願っているような展開だったら嬉しい。
むしろ、それを望んでここへ来た気さえする。
だけど。
彼は元とはいえ有名人だ。
しかも、偶然出会ったのは数年前に一回きり。
それから杏奈や先輩達を交えての懇親会や買い物やらで親睦を深めてきはしたが、庵と自分がそうした仲になれるのかどうか未だに確信が持てなかった。
だって、自分には何もない。
庵のように天才ではまずないし、杏奈のように美人でもない。
麻美先輩のように才色兼備でもなければ、茜先輩のように攻めの姿勢にもなれない。
中途半端なのである。
そう言うとき、一番に「羨ましい」と思うのは同期生の杏奈だ。
彼女は佐世保でも有名な西洋アンティークの骨董品を扱う古美術商の一人娘で、実家が裕福なだけでなく代々男も女も問わず知識と教養を兼ね備えるべく英才教育を施されてきた筋金入りのエリートかつお嬢様なのである。
あの全身から滲み出る気品と匂い立つような爽やかな香気は、同期の誰にも真似できない遺伝子と生まれつきの素養としか言いようがない。
しかも、その当人はそれを鼻にかける事は一切無く、また努めて慎ましく謙虚で穏やかな淑女であり、身なり着こなしマナーにエチケット全てにおいて落ち度がなく、歩いているだけで人目を惹き付ける魅力さえ溢れんばかりである。
完璧である。
そんな彼女を見ていると、否が応でも比べてしまう。
いや、比べる事自体が甚だしくおこがましいのだが、大学で出来た一番の友人なのもまた彼女。
うどん屋の田舎っぺな娘が、都会において異国情緒をまとう美しい友人に一瞬でも成り代わりたいと願うのもやむなしではないだろうか。
「はうう…もし、もし庵君に恋愛相談とかされたらどうしよう…俺杏奈ちゃん好きなんだよねー♪とか言われたら、しばらく立ち直れないよう…」
藍子ちゃんみたいに空気詠み人知らずにもなれない自分である。
自分から切りだ…そうとして、何回も失敗している我が身を思い、どうしようもない焦りで苛立ってくる。
こんな時まで友達に頼ってしまいたくなる自分が嫌ではあるが、ケータイを取り出し麻美にアドバイスのメールを…と、思った所でポーチの中身に気付いて絶句する。
「(!!!…ケータイ忘れてるっ!!)」
一瞬で血の気が足下へさあっ、と引いていく。
日曜日にバイトを頼まれているので、いつ連絡が入ってもいいようにとあれだけ注意されていたのに!
「どっどどどどうしよう!!…庵君に言うの悪いし、麻美先輩から庵君の事はお忍びだから藍ちゃんには黙ってなさい!って口止めされてるし…あうう、どーしよう!頭が回らないよっ!!」
パニックであうあうと、声にならない悲鳴をもらすのどかの耳に座敷の方から今度は庵の「うわあああ!」という声が聞こえ、はたと我に帰る。
すぐさまとって返したのどかの目に飛び込んできたのは、スニーカーのかかとを踏みつけ慌てた様子で脇を駆け逃げていく庵の必死の形相。
「いっ、庵君!?」
「ごめんののちゃん、こっち!」
すれ違いざま腕を掴まれ、そのまま力任せに引っ張られ駆け出す。玉砂利の道から丸石を敷き詰めた歩きにくい坂道をどうにか駆け上がりながら、のどかは「どうしたの!?」と庵の背中に疑問をぶつけた。
「見つかる!」
「見つかる?」
「テレビの関係者!アイアイのマネージャー!俺を追ってる!」
「ええっ!?」
「さっき縁側の俺指差して捕まえられそうになった!あの顔はやばいよ、俺に何かさせようとしてるっ!」
「あっ、でもそれってもしかして私のせいかも…!」
「えっ?」と怪訝な表情で庵は立ち止まると、そそくさと道横の岩陰に二人して身を隠すと不安げなのどかの顔を食い入るように見つめる。
「それってどういうこと?」
押し殺した声で問いかける庵に、のどかはおそるおそる事情を話す。
「今日、言おうと思ってたの。庵君が岡山に着いた頃くらいに藍ちゃんから電話があって、今週末にレオナワールドでアルバイト頼まれたんだよ」
「アルバイト?」
「うん、イベントのアシスタント。神戸で麻美先輩が歴史系のキャビンアテンダントの衣装着て大成功したから、イベントのスポンサーから地元の子で良い子がいるなら考えてもいいよって言われて、私しかいないからってどうしてもって頼みこまれて。だから、もし週末に到着予定だったら困るなと思ってあの時電話したんだけど…」
「あっ…」
庵は思い出して息を呑む。丁度岡山で偏頭痛に倒れた時、のどかからの電話の最中だった。
あんまり耳鳴りと頭痛が酷くて、何か言いかけてた事くらいしか記憶出来ていなかったが…。
「で、でも麻美先輩から庵君はプライベートだって聞いてたから、藍ちゃんには何も言ってないよ!それに、私だって、邪魔されたくないし…」
のどかがほんのり頬を染めて俯く姿を見て、庵も胸をどきりとさせながら、一層身体を縮こませて俯く。
「そ、そっか。信じるよ俺。…で、それどうなったの、ののちゃん」
「今日か明日スポンサーの人ともう一度打ち合わせして、それでイベントの規模が決定するから連絡取れるように予定空けてケータイの連絡待っててって言われてた。もし園内の小スペースでささやかに開くようなものだったら、アシスタント雇うと赤字になっちゃうんだって。なのに私ったらケータイ家に忘れてきたみたいで…きっと、庵君じゃなくって私の事探してたんだよ」
ごめんなさいっ、と平身低頭で詫びるのどかに、庵は沈思黙考し「いや、違う気がする」と答えた。
「えっ?」
「ののちゃんが何も言ってなかったとしても…実は俺、神戸で一回アイアイに顔見られてるんだ。だから、知り合いのところ…アイアイにしてみればののちゃんちに来てるかも、って推測は多分容易に出来たはず。とすれば…先回りされてた可能性もあるよな…ののちゃん、バイトの事は家族みんな知ってること?」
「う、うん。そりゃ小さくてもマスコミのお仕事だもん。顔出るとなったらお母さんが黙ってないだろうし、先に言っておいた。庵君のことはお客さんにも内緒よって、口酸っぱくして言っておいたけど」
「そっか、ありがと………ただ、ケータイをだしに話を振られた可能性はあるとして…いや、やっぱり偶然なのかな?でも、どうもここ数日ネットの動きが怪しいんだよな…」
「ネット?」
「そこまでです」
頭上から振ってきた甲高い男の声に、庵とのどかは声を揃えて「ひっ」と短い悲鳴を上げる。
おそるおそる顔を起こすと、そこには汗だくで鬼の形相になってヒイヒイと口の端で荒くなった息を漏らすアイアイのマネージャーの姿があった。
「ハア…ハア…さ、探しましたよ安佐庵…」
「やっぱり俺が目的か」
険しい表情で見据える庵に、マネージャーは顔を引きつらせつつも一歩も退かない気概を見せる。
「いえ、両方ともです。この場合、のどかさんに、声を、掛けておいて、本当に良かったと思い…ましたよ…ハア…ハアハア…」
ハアアアアアア…と一旦深々と深呼吸をし、マネージャーは汗まみれの顔に仕事人の引き締まった表情を作り、庵とのどかを岩陰から見下ろした。
「九死に一生とは正にこのこと。のどかさんを追っていたらお母様から偶然情報が入ったんで超スピードの達急動でお二人を追って参りました。
…お願いです安佐庵さん。
…いいえアンサー庵君。アイアイのピンチを救ってくださいまし」
「ピンチ?アイアイが?」
「そうです。このままでは、アイアイはアイドルとして八方塞がりになります。仕事もゼロ。次のご縁どころか事務所自体がなくなりそうな大ピンチなんですよっ!お願い!一回でいいから私達の苦境を救ってください!!」
涙目の泣き声で泣きわめかんばかりの悲壮な様子のマネージャーに、庵ものどかも何事かと顔を見合わせた。
【8月1日昼・困惑顔の二人・続く】
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