看板娘と女将と写真。
*
「さっきはびっくりさせちまってごめんねえ」
店じまい後の店内。
客のいない店内はクーラーが良く利いて、それでもカウンター前は調理場の熱気でわずかに温い。
全ての卓上は片付けられ、拭き掃除まで済んだ後に庵達四人はカウンターに並んで座っていた。
「あのー、おばさん、大輔さんは?」
さっき俺等呼んだ後で出て行っちゃいましたけど、と庵が訊ねると、大輔の母=伯楽の女将はにやりと微笑んだ。
「ちょいと用事を頼んだとよ。あれはもうちゃっちゃと食べてるから心配いらんね」
「あ、そうですか…僕たちばっかり特別扱いでいいのかな…」
困惑する敦に、女将は「よかとよ」と鼻歌交じりに答える。
「ちーとばかし遅いけど、帰ってきたから丁度良かったったい」
「丁度良かったって?」
問いかける庵の前に、「はいお待ち」と一人残っていた従業員の女性がどん、とラーメンをのせる。
チャーシュー大盛り、味玉二個にコーンネギ大盛りと、色々盛りだくさんなとんこつラーメン伯楽一丁。
すかさず他の三人の前にも同様のハイボリュームなラーメンが据え置かれ、全員誰ともなしに「おおー」と嘆息する。
「ウチの主力、チャーシュー大盛り!遠慮せんと、食べんさいね。サイドはギョーザとチャーハンどっちがよかと?」
「いやいやいや!これだけでかなりの量ですから!」
「なあーに、遠慮することなかんね!ダイの友達にはいっつも腹いっぱい食べさせてるから、こんくらいなんともなか!」
それじゃー全員どっちも出してよかね?と、返事を聞く前にもう中華鍋へごま油を大量に垂らしている。
何故にオカンという生き物は人の話を聞かないものか。
そして夜中に限ってハイボリュームな晩飯を提供したがるものなのか。
「お腹ぷよるなあ」と心配する晶をよそに、敦は完食出来るかの心配を、庵は腹八分目くらいで満足出来るだろうかの心配をしていた。
「あ、有り難うございます…じゃあ、明日俺等も店の手つd」
「あーよかよか!そがんこつしてる間には、さっさと長崎行かんと」
「長崎?知ってるんですか?」
「それがくさ、小野田君からはダイがこんくらいで帰るんじゃなかか、って聞いた時よ!ダイが帰ったら長崎来るよう行っておいてくれって。それでアンアンたちも一緒に行くんじゃなかと?でもってクイズ大会出るんじゃなかとか」
「あー、まあ、それは」
「大輔さん送ったら、俺達は観光です」
つるりと笑顔でのたまう庵に、女将は「あらまあそう~」と残念そうに首を振って見せる。
「まあま、お客さんにラーメン出すのがウチだから、手伝いは気にせんでよかよ。ダイがおらんでも、腕のいいのが入ったから心配なかと」
「へえ、新入りさんですか?」
蓋のように麺の上にのっかったチャーシューを一旦横へよけつつ、晶が何気なく訊ねると「実はね」と先程の従業員の女性が笑顔で顔を近づけてくる。
「私の結婚相手」
「ほっ?!」
「ほええ?」
社内恋愛か、と全員が驚いて顔を上げると、女将が「このこ、ウチの長女ったい」と照れくさそうに乙女の顔ではにかんだ。
「ああ!」「そういえば、お姉さんいるって言ってたような…」
「ハナ、っていうのよ。大輔とは年子で一歳違い」と、素直に驚く四人に大輔の姉=ハナはてへへと歯を見せて笑う。
そう言われれば、どことなく並んでいると女将と似てるような。
「私の三十年前にそっくりよ」と、自信満々な女将に全員ほんのり苦笑い。
「で、顔合わせついでにそのダンナとダイとを買い出しに出したって訳。今頃ビックリしてるんじゃないかしら」
「なるほど、男同士で腹を割って話をさせようと」
「そういうことったい」
「もうお式とかは…」
「来年の6月に結婚式するとよ。ジューンブライド、ってやつね」
「へえ…おめでとうございます!」
「おめでとうございます!」
「おめでとうございます!」
「おめでとうございます!」
おめでとうコールに頬を染めるハナに、女将も母の顔でうんうんと頷く。
「本当は地元の食品会社で営業してたんだけど、お昼にいつも食べに来てくれてて。で、母が「婿入りなら許す」って言った途端、プロポーズして三日後にウチへ弟子入りしたという訳」
「そりゃまた、潔い。体育会系の方?」
「ううん、見た目は細っこくてガリガリ眼鏡。
お母さんたら、最初一目見て「鶏ガラみたい」とか失礼なことばっかり言ってて!だから心配だったんだろうけど、彼も今は本気でウチ継ぐ気みたい。彼、贔屓目でなくてスジいいよ。まあ、ダイがウチ継ぐ気ないから仕方ないんだけどね」
「あれ、そうなんだ」
「そうよ。…あの子はお父さんと同じ、教員目指してるから」
ふと、店内にしんみりとした空気と沈黙が流れる。
「(そういえば、大輔さん…)」
岡山で悪夢にうなされた翌日。
庵の元へ妙な剣幕で大輔がやってきて、有無を言わせずお祓いされたときに、父親の事を口走っていたのを思い出す。
(「十年以上前に、死んだ『ことになった』んだ」)
(「多分生きてるんだろうけど…神隠しにあった。俺が鼻垂らしてた頃に。それで今はオカンの姓名乗ってる。それだけだ」)
「ハナは私に似たけども、ダイは年々父ちゃんに似てきたねえ」
そう呟いて、女将の視線がゆるりと店の隅に動く。
カウンターの天井角、神棚の隣にセピアへ変色したカラーの大判写真が額に飾られていた。
遠目に見て、人数は二十人程度。白衣を着込んだ人物ばかりなので、店の関係者並びに店員だと分かる。
中央には、いかにも福相なぽっちゃりした初老の男性。
向かって中央右手に小さな男の子と女の子が両親らしき男女と立っている。
母親らしきスマートなピンクエプロンの女性に、若干誰かの面影を感じるが…。
「あの、ピンクのエプロンが私ね。その下がハナとダイ」
あ、やっぱりと誰しもが思っていたのであろう、得心した風な雰囲気が四人の間に流れる。
三十年の歳月恐るべし。
「とすると、あの隣の…」
遠目で分かるのは、丸眼鏡をつけていることぐらいの若く線の細そうな男性。
髪型は角刈り…で、先がほんのり尖ってるような。
彼のみ、スーツ姿で写っているため妙に目立つ。
その足下には、直立不動で気をつけをした野球帽の少年。
顔がはっきり見えないのが残念だが、どんな緊張しきった顔で写っているのか容易に想像出来るのが微笑ましい。
「あの集合写真は?」
「ウチの店が十周年迎えた記念で、当時店長だったウチの父…ダイのおじいさんが、従業員と家族とで撮ったもんばい。あの頃はみーんな元気だったとやけど、あれ撮った直後にみんなバタバタのうなって、今じゃ私が女将さんよ。寂しいもんたい」
「何だか、ご苦労があったみたいで…」
「気にしなくていいのいいの、あれは母の口癖みたいなもんだから。店の常連さんは母の昔話が聞きたくて来てるようなもんだし」
娘のフォローに、母は「余計なこつ言わんでよか」とおどけて唇を突き出す。
「で、あの背広着てるのが…」
「そう、父ちゃん。遠くから見てもいい男ね?あんな細いなりで鹿児島の薩摩隼人よ。しかもインテリゲンチャ。よか男だったけんど…」
「…何かあったんですか?」
神妙な敦の言葉に、女将は力強く頷く。
喋りながらも手際よく、卵チャーハンと焼きたてのギョーザ四皿を卓上に出しながら、女将は「ダイには内緒にしててな」と顔をにじりよらせるとエプロンで手を拭い懐のポケットから何かを取り出す。
「ごはん食べながらでよか、回して見て」
手渡されると、猛烈な勢いでラーメンを啜っていた全員の箸が止まる。
それはやはり写真で、油汚れを避けるためか透明なナイロンケースに入れられた古く色褪せた親子のワンショット。
小学生くらいの少年はおそらく大輔で間違いないだろう。やはり直立不動で、口を一文字に結んで身を硬くしている。
それを微笑ましく見つめている、若い背広姿の男性。
大輔が所帯を持って落ち着いたらこんな風になるのだろうかと思わせるほどに、酷似した容姿。
黒縁の丸眼鏡が知性を思わせる。
ただ、いつも強気で力強い大輔とは対照的に、写真の男性はまるで日だまりのような、おっとりとした穏やかな優しさを感じさせた。
優しく緊張する息子をなだめ、頭を撫でる父の像。
大輔からは想像もつかない、今風に言うところの草食系九州男、という雰囲気である。
「東京のどっかで、特に繁華街とかでこんな男前見たこつなかか?」
問われて、皆顔を見合わせる。大輔と似ている分、特徴的な顔なので見ていたらなにがしか印象に残りそうなものである。
四人の表情を見て女将も悟ったようで「やっぱりダメかあ」と溜息をついた。
「これは?」
「それがダンナ。…もうかれこれ十年以上、行方知れずとよ」
女将の言葉で、今度は全員が顔を上げて女将の神妙な顔つきに見入った。
【8月9日夜・ハイボリュームディナータイム・女将の昔話とは・続く】
「さっきはびっくりさせちまってごめんねえ」
店じまい後の店内。
客のいない店内はクーラーが良く利いて、それでもカウンター前は調理場の熱気でわずかに温い。
全ての卓上は片付けられ、拭き掃除まで済んだ後に庵達四人はカウンターに並んで座っていた。
「あのー、おばさん、大輔さんは?」
さっき俺等呼んだ後で出て行っちゃいましたけど、と庵が訊ねると、大輔の母=伯楽の女将はにやりと微笑んだ。
「ちょいと用事を頼んだとよ。あれはもうちゃっちゃと食べてるから心配いらんね」
「あ、そうですか…僕たちばっかり特別扱いでいいのかな…」
困惑する敦に、女将は「よかとよ」と鼻歌交じりに答える。
「ちーとばかし遅いけど、帰ってきたから丁度良かったったい」
「丁度良かったって?」
問いかける庵の前に、「はいお待ち」と一人残っていた従業員の女性がどん、とラーメンをのせる。
チャーシュー大盛り、味玉二個にコーンネギ大盛りと、色々盛りだくさんなとんこつラーメン伯楽一丁。
すかさず他の三人の前にも同様のハイボリュームなラーメンが据え置かれ、全員誰ともなしに「おおー」と嘆息する。
「ウチの主力、チャーシュー大盛り!遠慮せんと、食べんさいね。サイドはギョーザとチャーハンどっちがよかと?」
「いやいやいや!これだけでかなりの量ですから!」
「なあーに、遠慮することなかんね!ダイの友達にはいっつも腹いっぱい食べさせてるから、こんくらいなんともなか!」
それじゃー全員どっちも出してよかね?と、返事を聞く前にもう中華鍋へごま油を大量に垂らしている。
何故にオカンという生き物は人の話を聞かないものか。
そして夜中に限ってハイボリュームな晩飯を提供したがるものなのか。
「お腹ぷよるなあ」と心配する晶をよそに、敦は完食出来るかの心配を、庵は腹八分目くらいで満足出来るだろうかの心配をしていた。
「あ、有り難うございます…じゃあ、明日俺等も店の手つd」
「あーよかよか!そがんこつしてる間には、さっさと長崎行かんと」
「長崎?知ってるんですか?」
「それがくさ、小野田君からはダイがこんくらいで帰るんじゃなかか、って聞いた時よ!ダイが帰ったら長崎来るよう行っておいてくれって。それでアンアンたちも一緒に行くんじゃなかと?でもってクイズ大会出るんじゃなかとか」
「あー、まあ、それは」
「大輔さん送ったら、俺達は観光です」
つるりと笑顔でのたまう庵に、女将は「あらまあそう~」と残念そうに首を振って見せる。
「まあま、お客さんにラーメン出すのがウチだから、手伝いは気にせんでよかよ。ダイがおらんでも、腕のいいのが入ったから心配なかと」
「へえ、新入りさんですか?」
蓋のように麺の上にのっかったチャーシューを一旦横へよけつつ、晶が何気なく訊ねると「実はね」と先程の従業員の女性が笑顔で顔を近づけてくる。
「私の結婚相手」
「ほっ?!」
「ほええ?」
社内恋愛か、と全員が驚いて顔を上げると、女将が「このこ、ウチの長女ったい」と照れくさそうに乙女の顔ではにかんだ。
「ああ!」「そういえば、お姉さんいるって言ってたような…」
「ハナ、っていうのよ。大輔とは年子で一歳違い」と、素直に驚く四人に大輔の姉=ハナはてへへと歯を見せて笑う。
そう言われれば、どことなく並んでいると女将と似てるような。
「私の三十年前にそっくりよ」と、自信満々な女将に全員ほんのり苦笑い。
「で、顔合わせついでにそのダンナとダイとを買い出しに出したって訳。今頃ビックリしてるんじゃないかしら」
「なるほど、男同士で腹を割って話をさせようと」
「そういうことったい」
「もうお式とかは…」
「来年の6月に結婚式するとよ。ジューンブライド、ってやつね」
「へえ…おめでとうございます!」
「おめでとうございます!」
「おめでとうございます!」
「おめでとうございます!」
おめでとうコールに頬を染めるハナに、女将も母の顔でうんうんと頷く。
「本当は地元の食品会社で営業してたんだけど、お昼にいつも食べに来てくれてて。で、母が「婿入りなら許す」って言った途端、プロポーズして三日後にウチへ弟子入りしたという訳」
「そりゃまた、潔い。体育会系の方?」
「ううん、見た目は細っこくてガリガリ眼鏡。
お母さんたら、最初一目見て「鶏ガラみたい」とか失礼なことばっかり言ってて!だから心配だったんだろうけど、彼も今は本気でウチ継ぐ気みたい。彼、贔屓目でなくてスジいいよ。まあ、ダイがウチ継ぐ気ないから仕方ないんだけどね」
「あれ、そうなんだ」
「そうよ。…あの子はお父さんと同じ、教員目指してるから」
ふと、店内にしんみりとした空気と沈黙が流れる。
「(そういえば、大輔さん…)」
岡山で悪夢にうなされた翌日。
庵の元へ妙な剣幕で大輔がやってきて、有無を言わせずお祓いされたときに、父親の事を口走っていたのを思い出す。
(「十年以上前に、死んだ『ことになった』んだ」)
(「多分生きてるんだろうけど…神隠しにあった。俺が鼻垂らしてた頃に。それで今はオカンの姓名乗ってる。それだけだ」)
「ハナは私に似たけども、ダイは年々父ちゃんに似てきたねえ」
そう呟いて、女将の視線がゆるりと店の隅に動く。
カウンターの天井角、神棚の隣にセピアへ変色したカラーの大判写真が額に飾られていた。
遠目に見て、人数は二十人程度。白衣を着込んだ人物ばかりなので、店の関係者並びに店員だと分かる。
中央には、いかにも福相なぽっちゃりした初老の男性。
向かって中央右手に小さな男の子と女の子が両親らしき男女と立っている。
母親らしきスマートなピンクエプロンの女性に、若干誰かの面影を感じるが…。
「あの、ピンクのエプロンが私ね。その下がハナとダイ」
あ、やっぱりと誰しもが思っていたのであろう、得心した風な雰囲気が四人の間に流れる。
三十年の歳月恐るべし。
「とすると、あの隣の…」
遠目で分かるのは、丸眼鏡をつけていることぐらいの若く線の細そうな男性。
髪型は角刈り…で、先がほんのり尖ってるような。
彼のみ、スーツ姿で写っているため妙に目立つ。
その足下には、直立不動で気をつけをした野球帽の少年。
顔がはっきり見えないのが残念だが、どんな緊張しきった顔で写っているのか容易に想像出来るのが微笑ましい。
「あの集合写真は?」
「ウチの店が十周年迎えた記念で、当時店長だったウチの父…ダイのおじいさんが、従業員と家族とで撮ったもんばい。あの頃はみーんな元気だったとやけど、あれ撮った直後にみんなバタバタのうなって、今じゃ私が女将さんよ。寂しいもんたい」
「何だか、ご苦労があったみたいで…」
「気にしなくていいのいいの、あれは母の口癖みたいなもんだから。店の常連さんは母の昔話が聞きたくて来てるようなもんだし」
娘のフォローに、母は「余計なこつ言わんでよか」とおどけて唇を突き出す。
「で、あの背広着てるのが…」
「そう、父ちゃん。遠くから見てもいい男ね?あんな細いなりで鹿児島の薩摩隼人よ。しかもインテリゲンチャ。よか男だったけんど…」
「…何かあったんですか?」
神妙な敦の言葉に、女将は力強く頷く。
喋りながらも手際よく、卵チャーハンと焼きたてのギョーザ四皿を卓上に出しながら、女将は「ダイには内緒にしててな」と顔をにじりよらせるとエプロンで手を拭い懐のポケットから何かを取り出す。
「ごはん食べながらでよか、回して見て」
手渡されると、猛烈な勢いでラーメンを啜っていた全員の箸が止まる。
それはやはり写真で、油汚れを避けるためか透明なナイロンケースに入れられた古く色褪せた親子のワンショット。
小学生くらいの少年はおそらく大輔で間違いないだろう。やはり直立不動で、口を一文字に結んで身を硬くしている。
それを微笑ましく見つめている、若い背広姿の男性。
大輔が所帯を持って落ち着いたらこんな風になるのだろうかと思わせるほどに、酷似した容姿。
黒縁の丸眼鏡が知性を思わせる。
ただ、いつも強気で力強い大輔とは対照的に、写真の男性はまるで日だまりのような、おっとりとした穏やかな優しさを感じさせた。
優しく緊張する息子をなだめ、頭を撫でる父の像。
大輔からは想像もつかない、今風に言うところの草食系九州男、という雰囲気である。
「東京のどっかで、特に繁華街とかでこんな男前見たこつなかか?」
問われて、皆顔を見合わせる。大輔と似ている分、特徴的な顔なので見ていたらなにがしか印象に残りそうなものである。
四人の表情を見て女将も悟ったようで「やっぱりダメかあ」と溜息をついた。
「これは?」
「それがダンナ。…もうかれこれ十年以上、行方知れずとよ」
女将の言葉で、今度は全員が顔を上げて女将の神妙な顔つきに見入った。
【8月9日夜・ハイボリュームディナータイム・女将の昔話とは・続く】
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