開宴前。
*
午前十時半、メインステージの広場を開場。
数日前からの広報活動が功を奏し、会場となったエウロパ広場はみっしりと満員、会場外は大通りや海岸沿いの有料ヨットハーバー沿いまで人の波でごったがえす盛況ぶりと相成った。前日以上の真夏日が予想されている佐世保市内であるが、そんな杞憂もどこ吹く風の満員御礼である。
庵の痛烈な要求や直前までの本社との折衝等で疲弊し当日の客入りを何より心配していた運営サイド・特にネーデルの営業部長は午前中の客入りだけで前日比15%増、前年との比較ではざっと見三割はこの日だけでも増大が見込めるとの算出が速報で耳に入り、やっと集客面でのみはホッと安堵に胸を撫で下ろすと共に、さらばと余計に今回のてんてこ舞いを演出したアイドル陣営へと厳しい視線を投げかけた。
舞台裏、最終の段取りが終わった楽屋裏にも顔出しして釘を刺しておいたが、万一庵の機嫌を損ねる・ステージで下手を打つ・その他予想外の失態を犯す事の無いよう、念入りにぶすぶすとぶっとい五寸釘を刺しに刺したがまだ、その点に関してだけは全く安堵出来ないでいた。
B級タレントで客寄せに興行を行うのはよくある事だが、彼女はクイズ会社の広報が選んだタレントでなければ箸にも棒にも引っかかりはしなかったような実績皆無のタレントである。
アンサー庵の名前が出なければ、果たして興行許可を出していたかどうか。
それだけ、受ける受けないが読めないタレントは使う側にとっても賭けに近いのである。
ともすれば、確実に「受ける存在」がいてくれる安心感は計り知れない。
お願いします、神様仏様ジーザスクライスト、そしてアンサー庵様。
出来うる限り、安全かつアンパイな計画を立てたかったが、どかんとバクチに走った我が身の愚かさよ、と自分の先走りを嘆きつつ、収益を望む本社の意向も重なって、営業部長は舞台裏で今回の興行がどうかどうか無事に終りますようにと天と天才に心中ひしひしと祈らざるを得なかった。
*
うって変わってステージの袖。
開始五分前にして、アイアイはまたも仏頂面である。
理由は明白であった。
自分と庵の対応の差、そして何よりも相手の信頼の差が彼女のゆらぎがちなプライドをグラグラと揺すっていた。
先程、緊張しきりで台本を見返していたアイアイに対する営業部長の慇懃無礼かつ傲慢な対応、そしてまだ失敗もしていないのにしくじりを起こしかねないと言いたげな叱責が彼女の苛立ちと涙腺を刺激する。
「(…イオリンには超ゴマすってるのに、むかつくんだよぅ…)」
心中不満は噴出しそうなほどだったが、むう、と唇を3の字に結んでぐっと涙を堪える。
と、そこへすぐ隣に庵が並ぶ。
SIGAスタッフ側が用意した「Answer×Answer」ロゴ入りの白地にパステルカラーのストライプTシャツに、各チーム大将が装着する赤いナイロンワッペンを二の腕に巻き、神妙な顔つきですっくと立っている。
だのに、隣に立つだけで左肩からうなじへとひしひしと感じる刺すような痺れは何であろうか。
「笑顔作れるか」
「ほえ?」
「不満や怒りは舞台裏で全部置いていけ。客はそんな顔みたくて来てるんじゃないんだ」
「うっ…」
「お前はアマな俺と違ってプロだ。だから、信じてる」
「ほっ」
意外すぎる一言にアイアイが鳩が豆鉄砲な顔に一瞬なりかけると、堅かった庵の口元に、僅かながら笑みが浮かんで消えた。
その表情に、アイアイは生まれて初めて男に色香を感じて「やっぱスターだよぅ」と心中目を丸くした。
「顔赤いぞ」
「ほっ、あ、だいじょぶ」
「いけるか?」
「うん」
「信じて、いいよな」
「…う、うんっ」
「よし、信じるぜ」
どうにかこっくりと頷いたアイアイに、庵はここへ来て初めて会心の笑みを見せた。
当人的には笑顔の練習だったのかもしれないが、そのほんの数分の行為はアイアイにとって大きな衝撃であった。
服装だけは普通のラフな大学生然とした、一応イベント用のTシャツ着てるだけといういでたちなのだが、現れた時に全身から発せられていた緊張感、痺れるような集中力、そしてプロ顔負けの信念がアイアイの憤懣を霧散させる。前日のリハーサル時には注意されてるだけでむかついたが、こんな直前になって彼の「格」を改めて見せつけられ、そしてそれが自分と比べてはもとより、ハンパな芸人と比較してもなお畏れるに値する価値があるものと、本能で悟ったのである。
背後では、彼と彼女の不釣り合いな背丈のデコボコな背中を見つめる大学生四人。
割と小柄な庵と並んでさえ頭一つ分小さいアイアイは、確かにロリと言われてもやむなしかもしれないと敦はふと思っていたり。
三人の揃いTシャツ青年たちとコスプレしてスタンバイ中の先輩アシスタントは、背後を心配そうに振り向くアイドルにそっと笑顔で目配せを返した。
プロとは、つまり自己の小さな不満など、ものの一瞬でかなぐり捨てて、ちっぽけなプライドや小さな自慢に固執することなく、大勢の誰かを楽しませ笑顔にする努力にのみ邁進する者の事なのである。
庵の見せるステージが、どんな風に展開するのか。
アイアイは庵の構築するフィールドに期待で胸を膨らませつつ、既に今朝の叱責も不満も彼方に放り出し、庵の傍らで「成功」の二文字のみを見つめて神経を尖らせた。
【8月12日・開宴です・今日も真夏日・続く】
午前十時半、メインステージの広場を開場。
数日前からの広報活動が功を奏し、会場となったエウロパ広場はみっしりと満員、会場外は大通りや海岸沿いの有料ヨットハーバー沿いまで人の波でごったがえす盛況ぶりと相成った。前日以上の真夏日が予想されている佐世保市内であるが、そんな杞憂もどこ吹く風の満員御礼である。
庵の痛烈な要求や直前までの本社との折衝等で疲弊し当日の客入りを何より心配していた運営サイド・特にネーデルの営業部長は午前中の客入りだけで前日比15%増、前年との比較ではざっと見三割はこの日だけでも増大が見込めるとの算出が速報で耳に入り、やっと集客面でのみはホッと安堵に胸を撫で下ろすと共に、さらばと余計に今回のてんてこ舞いを演出したアイドル陣営へと厳しい視線を投げかけた。
舞台裏、最終の段取りが終わった楽屋裏にも顔出しして釘を刺しておいたが、万一庵の機嫌を損ねる・ステージで下手を打つ・その他予想外の失態を犯す事の無いよう、念入りにぶすぶすとぶっとい五寸釘を刺しに刺したがまだ、その点に関してだけは全く安堵出来ないでいた。
B級タレントで客寄せに興行を行うのはよくある事だが、彼女はクイズ会社の広報が選んだタレントでなければ箸にも棒にも引っかかりはしなかったような実績皆無のタレントである。
アンサー庵の名前が出なければ、果たして興行許可を出していたかどうか。
それだけ、受ける受けないが読めないタレントは使う側にとっても賭けに近いのである。
ともすれば、確実に「受ける存在」がいてくれる安心感は計り知れない。
お願いします、神様仏様ジーザスクライスト、そしてアンサー庵様。
出来うる限り、安全かつアンパイな計画を立てたかったが、どかんとバクチに走った我が身の愚かさよ、と自分の先走りを嘆きつつ、収益を望む本社の意向も重なって、営業部長は舞台裏で今回の興行がどうかどうか無事に終りますようにと天と天才に心中ひしひしと祈らざるを得なかった。
*
うって変わってステージの袖。
開始五分前にして、アイアイはまたも仏頂面である。
理由は明白であった。
自分と庵の対応の差、そして何よりも相手の信頼の差が彼女のゆらぎがちなプライドをグラグラと揺すっていた。
先程、緊張しきりで台本を見返していたアイアイに対する営業部長の慇懃無礼かつ傲慢な対応、そしてまだ失敗もしていないのにしくじりを起こしかねないと言いたげな叱責が彼女の苛立ちと涙腺を刺激する。
「(…イオリンには超ゴマすってるのに、むかつくんだよぅ…)」
心中不満は噴出しそうなほどだったが、むう、と唇を3の字に結んでぐっと涙を堪える。
と、そこへすぐ隣に庵が並ぶ。
SIGAスタッフ側が用意した「Answer×Answer」ロゴ入りの白地にパステルカラーのストライプTシャツに、各チーム大将が装着する赤いナイロンワッペンを二の腕に巻き、神妙な顔つきですっくと立っている。
だのに、隣に立つだけで左肩からうなじへとひしひしと感じる刺すような痺れは何であろうか。
「笑顔作れるか」
「ほえ?」
「不満や怒りは舞台裏で全部置いていけ。客はそんな顔みたくて来てるんじゃないんだ」
「うっ…」
「お前はアマな俺と違ってプロだ。だから、信じてる」
「ほっ」
意外すぎる一言にアイアイが鳩が豆鉄砲な顔に一瞬なりかけると、堅かった庵の口元に、僅かながら笑みが浮かんで消えた。
その表情に、アイアイは生まれて初めて男に色香を感じて「やっぱスターだよぅ」と心中目を丸くした。
「顔赤いぞ」
「ほっ、あ、だいじょぶ」
「いけるか?」
「うん」
「信じて、いいよな」
「…う、うんっ」
「よし、信じるぜ」
どうにかこっくりと頷いたアイアイに、庵はここへ来て初めて会心の笑みを見せた。
当人的には笑顔の練習だったのかもしれないが、そのほんの数分の行為はアイアイにとって大きな衝撃であった。
服装だけは普通のラフな大学生然とした、一応イベント用のTシャツ着てるだけといういでたちなのだが、現れた時に全身から発せられていた緊張感、痺れるような集中力、そしてプロ顔負けの信念がアイアイの憤懣を霧散させる。前日のリハーサル時には注意されてるだけでむかついたが、こんな直前になって彼の「格」を改めて見せつけられ、そしてそれが自分と比べてはもとより、ハンパな芸人と比較してもなお畏れるに値する価値があるものと、本能で悟ったのである。
背後では、彼と彼女の不釣り合いな背丈のデコボコな背中を見つめる大学生四人。
割と小柄な庵と並んでさえ頭一つ分小さいアイアイは、確かにロリと言われてもやむなしかもしれないと敦はふと思っていたり。
三人の揃いTシャツ青年たちとコスプレしてスタンバイ中の先輩アシスタントは、背後を心配そうに振り向くアイドルにそっと笑顔で目配せを返した。
プロとは、つまり自己の小さな不満など、ものの一瞬でかなぐり捨てて、ちっぽけなプライドや小さな自慢に固執することなく、大勢の誰かを楽しませ笑顔にする努力にのみ邁進する者の事なのである。
庵の見せるステージが、どんな風に展開するのか。
アイアイは庵の構築するフィールドに期待で胸を膨らませつつ、既に今朝の叱責も不満も彼方に放り出し、庵の傍らで「成功」の二文字のみを見つめて神経を尖らせた。
【8月12日・開宴です・今日も真夏日・続く】
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