愛しい狂気。
*
「今日も早く帰ってきてくれたんだね」
嬉しい、と新妻のようなはにかんだ笑顔をこぼす双葉に、俺はぎこちなく笑い返すにとどまった。
なんだ。
なんなんだこれは。
なんで双葉が赤ん坊の世話なんかしてる。
これは、誰の子供だ。
「おとーさん、どうしたの?きょとんとしちゃって。変なの」
小首を可愛く傾げて見せる双葉に、俺は何から聞いたものかと言い淀み口をもごもごとまごつかせてしまう。
「双葉…それ、誰だ」
「ちょっとおとーさん、それ、とか物みたいにこの子の事を呼ばないでよ」
失礼だねー、と双葉は深々としたおくるみの窪みに眠る「赤ん坊」ににこにこと話しかける。
赤子の顔を拝もうと首を伸ばすも、ぎりぎり顔が見えない。
その様子を見て、双葉はくすり、と笑った。
目線が、ぶつかる。
双葉の色素の薄い黒目がちな瞳は、艶消しされた玉石を思わせる暗い光沢を湛えていた。
「とぼけて脅かそうとしたって駄目だよ。分かってるくせに、この子は僕とお義父さんの子供だって」
俺の子供?
俺と、双葉の、子供…?
なんだ。
なんだそれは。
「双葉…お前、学校は…」
「え?しばらくお休みするって言ったじゃない。この子がよちよち出来るぐらいまでは、しばらく目が離せないし」
よちよちし始めたら、逆に目が離せなくなるかもね?などと、おくるみに囁きかける。
「心配しなくていいよ、君は僕とお義父さんで守るから。だから、元気に、すくすく育つんだよー」
指先をおくるみに伸ばし、慣れた手つきで双葉は赤ん坊をあやす。
キャッキャと、変にかすれたざらつく赤子の声が耳に入り、身震いが全身を走った。
「ふ、双葉、その、その子供は…」
「ああそうだ、いけない!おしめさっきの交換で切らしちゃったんだった!…お義父さん、ゴメン。この子、見ててもらっても良い?さっきおしめと一緒にゴハンもあげておいたから平気だと…」
言っている側から、赤ん坊が泣き出す。
ざらざらと、感情の裏側を逆なでする、ノイズ混じりのしゃがれた泣き声で…。
ホギャアア ホギャアア ホギャアアアア アア アアアアン…
「ああまた…ご近所さんに怒られちゃうな。待っててね、すぐゴハンをあげるからね」
そう言うと、双葉は膝を折り片膝で赤ん坊を支えると、懐からおもむろにカッターナイフを取り出す。
そうして、おくるみを抱えたまま、左手の指先をためらいもなく、切り裂いた。
「!!?」
双葉の人差し指の先から、鮮血が溢れ出る。
小さな傷跡から、幾重も、とめどなく。
双葉は痛がるどころから微笑すら浮かべて傷口を確認すると、それをおくるみの中へあてがう。
「さあ、たくさんお飲み」
もう一度、しっかり抱き寄せて、双葉は赤ん坊に自分の指先を差し出す。
赤子の泣き声は止み、代わりに吸い付くおしゃぶりの音だけが、狭い四畳半の中に響いた。
赤子は母乳やミルクで育てるものじゃないのか。
何で。
何でその赤ん坊は。
お前の血肉をすすっているんだ…?
…。
………。
「…落ち着いたみたい。良かった、これで買い物に行けそう。じゃあおとーさん、よろしくね」
指先に慣れた手つきで絆創膏を巻き、双葉はぽん、と俺におくるみを預けて出て行こうとする。
ちら、と目の前を横切った双葉の手は、絆創膏と切り傷だらけで赤黒く腫れ上がっていた。
思わずその手を握ると、一瞬顔をしかめて、だがすぐに双葉は優しく微笑んだ。
「僕は平気だよ、お義父さん。この子と、お義父さんのためなら、僕、幾ら傷ついても構わないんだ」
少年は笑った。全てを愛し、許す、慈悲深い聖母と同じく、慈愛に満ちた笑顔。
狂気の世界を守り、慈しむ、狂った聖母の仮面。
双葉の、今の素顔。
俺のために生きて、愛して、己を殺し続けている姿…。
俺がそう望んだがために、自分自身の欲望を捨て、俺の望む「双葉」という人間になった少年。
見捨てられたくないから、一人が、何より「孤独」が怖いから…。
壊れている。
双葉の心は、壊れたままだった。
「今日も早く帰ってきてくれたんだね」
嬉しい、と新妻のようなはにかんだ笑顔をこぼす双葉に、俺はぎこちなく笑い返すにとどまった。
なんだ。
なんなんだこれは。
なんで双葉が赤ん坊の世話なんかしてる。
これは、誰の子供だ。
「おとーさん、どうしたの?きょとんとしちゃって。変なの」
小首を可愛く傾げて見せる双葉に、俺は何から聞いたものかと言い淀み口をもごもごとまごつかせてしまう。
「双葉…それ、誰だ」
「ちょっとおとーさん、それ、とか物みたいにこの子の事を呼ばないでよ」
失礼だねー、と双葉は深々としたおくるみの窪みに眠る「赤ん坊」ににこにこと話しかける。
赤子の顔を拝もうと首を伸ばすも、ぎりぎり顔が見えない。
その様子を見て、双葉はくすり、と笑った。
目線が、ぶつかる。
双葉の色素の薄い黒目がちな瞳は、艶消しされた玉石を思わせる暗い光沢を湛えていた。
「とぼけて脅かそうとしたって駄目だよ。分かってるくせに、この子は僕とお義父さんの子供だって」
俺の子供?
俺と、双葉の、子供…?
なんだ。
なんだそれは。
「双葉…お前、学校は…」
「え?しばらくお休みするって言ったじゃない。この子がよちよち出来るぐらいまでは、しばらく目が離せないし」
よちよちし始めたら、逆に目が離せなくなるかもね?などと、おくるみに囁きかける。
「心配しなくていいよ、君は僕とお義父さんで守るから。だから、元気に、すくすく育つんだよー」
指先をおくるみに伸ばし、慣れた手つきで双葉は赤ん坊をあやす。
キャッキャと、変にかすれたざらつく赤子の声が耳に入り、身震いが全身を走った。
「ふ、双葉、その、その子供は…」
「ああそうだ、いけない!おしめさっきの交換で切らしちゃったんだった!…お義父さん、ゴメン。この子、見ててもらっても良い?さっきおしめと一緒にゴハンもあげておいたから平気だと…」
言っている側から、赤ん坊が泣き出す。
ざらざらと、感情の裏側を逆なでする、ノイズ混じりのしゃがれた泣き声で…。
ホギャアア ホギャアア ホギャアアアア アア アアアアン…
「ああまた…ご近所さんに怒られちゃうな。待っててね、すぐゴハンをあげるからね」
そう言うと、双葉は膝を折り片膝で赤ん坊を支えると、懐からおもむろにカッターナイフを取り出す。
そうして、おくるみを抱えたまま、左手の指先をためらいもなく、切り裂いた。
「!!?」
双葉の人差し指の先から、鮮血が溢れ出る。
小さな傷跡から、幾重も、とめどなく。
双葉は痛がるどころから微笑すら浮かべて傷口を確認すると、それをおくるみの中へあてがう。
「さあ、たくさんお飲み」
もう一度、しっかり抱き寄せて、双葉は赤ん坊に自分の指先を差し出す。
赤子の泣き声は止み、代わりに吸い付くおしゃぶりの音だけが、狭い四畳半の中に響いた。
赤子は母乳やミルクで育てるものじゃないのか。
何で。
何でその赤ん坊は。
お前の血肉をすすっているんだ…?
…。
………。
「…落ち着いたみたい。良かった、これで買い物に行けそう。じゃあおとーさん、よろしくね」
指先に慣れた手つきで絆創膏を巻き、双葉はぽん、と俺におくるみを預けて出て行こうとする。
ちら、と目の前を横切った双葉の手は、絆創膏と切り傷だらけで赤黒く腫れ上がっていた。
思わずその手を握ると、一瞬顔をしかめて、だがすぐに双葉は優しく微笑んだ。
「僕は平気だよ、お義父さん。この子と、お義父さんのためなら、僕、幾ら傷ついても構わないんだ」
少年は笑った。全てを愛し、許す、慈悲深い聖母と同じく、慈愛に満ちた笑顔。
狂気の世界を守り、慈しむ、狂った聖母の仮面。
双葉の、今の素顔。
俺のために生きて、愛して、己を殺し続けている姿…。
俺がそう望んだがために、自分自身の欲望を捨て、俺の望む「双葉」という人間になった少年。
見捨てられたくないから、一人が、何より「孤独」が怖いから…。
壊れている。
双葉の心は、壊れたままだった。
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