陰二人。
*
「安心しろよ、本物だから」
「…嘘を、と言いたいが…なるほど、事実は小説より奇なり、か。しかしどういう事だ…成瀬」
名前を呼ばれて、陽一は照れくさそうにコートの裾を正して静かに膝を地に付ける。
「フィレモンの粋な計らいだ。今晩の影時間だけ動けるようにしてもらった。お前に会えて良かったよ」
「わざわざすまんな。こちらから行くつもりが」
「気にすんなって。事情は大体把握した。その傷は?」
「…幾月にやられた。ペルソナ能力は封じられていない。治癒促進能力で直に塞がる」
「…そうか。あいつならさっき捻っておいたから心配いらん。…やっぱり海に放り込んで寒中水泳させとくべきだったか」
「やるなら影時間を抜けてからの方が懸命だな。あいつが海面に潜んでるシャドウに喰われてみろ、寒い事ばかり口走るシャドウの相手なんぞ考えたくもない」
「全くだ」
時の隔たりとは不思議なものだ。
随分時が過ぎて、過去など既に記憶の地層に埋もれて久しいと思っていたのに、口を開けばすぐに時計を巻き戻せる。
研究所時代を全く変わらぬ合いの手、会話の呼吸。
可笑しくなって、声を殺して二人で笑う。
堂島の緩んだ目元が一瞬できつく吊り上がる。
「いつまで保つ」
「影時間一杯。それを過ぎればお釈迦様、だそうだ」
「何故そんな取引をした!」
血の気の引いた青い顔で、堂島は陽一を睨み付ける。
怒気に満ちた友の心情に、陽一は心の奥が震えた気がした。
表情が引き締まる。まっすぐに相手を見据えて、陽一は「俺自身のためだ」と付け加える。
「お前と、榎本。そして双葉。どうせ死ぬなら俺はお前達にケジメつけて死にたい。モルヒネ打って細々と生き長らえるなんざごめんだ」
「馬鹿が…だからって早まることは」
「早まってなんざないさ。
俺は、もう失いたくない。
全ての選択の先にある『死』が目の前まで来てるってのに、俺は自分の事しか考えられなくなってた。
夢と現実の狭間で試練と選択を与えられて、俺はやっと気づけたんだ。
もう大切なモノを手にしていた事。
それを、失わないために、力が残されていた事を…。
堂島。
俺、本当はお前に会わせる顔なんざ無い。
お前、見かけがおっかないだけで、本当は俺なんかよりずっと義理堅い良い奴だ。
ずっと、お前の好意に甘えてきて、詫びの言葉しか返せん俺を許してくれ。いや、許せないとしても…双葉を責めないでやってくれ。あいつの背負った罪は、全部俺の責任。全部背負って彼岸に持っていくつもりだ……。
ああ、すまん。駄目だな、最後までやっぱり甘えてらぁ」
「………」
バツが悪そうに頭を掻く陽一を、堂島は黙って見つめている。その目にこもっていた怒気は成りを潜め、代わりに静かな光だけが射していた。
「お前が影時間対応機器の主任として桐条に残ったのは、『娘達』のため、なのだろう?」
「ああ、そうだ」
「あの日、事故の少し前に交わした、約束…」
……
(『いいか、堂島…お前に、全てを、託しても』)
(『もとより、そのつもりだ。お前の口からその言葉を聞くために、ここへ来た』)
……
「覚えていたのか。…なら、それでもういい。俺は満足だ。…あいつらの事、忘れていなかったのだろう?」
堂島の問いかけに、陽一は「勿論」と即答した。
「だが、俺はあいつらを…いや、ガラティアを無意識で私物のように扱い、私欲を満たすために、己の私怨を晴らすために創造した。その報いがこれだ。無垢で純粋だったあいつらに、『生』としての意味すら教えてやれぬまま、『兵器』として結局死なせて…」
「いや、お前は娘達をきちんと一つの自我として愛していたさ。俺が一番良く知っている」
「買いかぶりすぎだ」
「そんな事は無い。それに…俺も、お前を笑う事も、責める事も出来ん。…俺も同じ、いやそれ以下かもしれん」
「…何が」
「俺は、自分の私怨を晴らすために娘を…テテュスを死なせた」
「なっ…馬鹿な!」
思わず大きな声が口をついて出てくる。
堂島は娘達の中でも、二番目の娘=テテュスを可愛がっていた。理論派で至極真面目な性格だったのもあるが、容姿や性格、教育に至るまで堂島が一番情熱を傾けていたのは彼女だったからだ。あり得ない。
「俺が、何故桐条に身を潜めていたか、お前には教えたはずだ」
「……ああ、覚えている」
桐条との因縁。堂島と、現総帥たる桐条武治との奇妙な縁。
聞いた当初は、鴻悦の業の深さに身震いしたのを覚えている。
堂島には、計画の当初から心に決めていた積年の思いがあった。
桐条の血を絶やす。
そのために、桐条内部に入り込み、機を見て一族を根絶やしにする。
己が怨恨を晴らす、そのためだけに生きてきた男だった。
「安心しろよ、本物だから」
「…嘘を、と言いたいが…なるほど、事実は小説より奇なり、か。しかしどういう事だ…成瀬」
名前を呼ばれて、陽一は照れくさそうにコートの裾を正して静かに膝を地に付ける。
「フィレモンの粋な計らいだ。今晩の影時間だけ動けるようにしてもらった。お前に会えて良かったよ」
「わざわざすまんな。こちらから行くつもりが」
「気にすんなって。事情は大体把握した。その傷は?」
「…幾月にやられた。ペルソナ能力は封じられていない。治癒促進能力で直に塞がる」
「…そうか。あいつならさっき捻っておいたから心配いらん。…やっぱり海に放り込んで寒中水泳させとくべきだったか」
「やるなら影時間を抜けてからの方が懸命だな。あいつが海面に潜んでるシャドウに喰われてみろ、寒い事ばかり口走るシャドウの相手なんぞ考えたくもない」
「全くだ」
時の隔たりとは不思議なものだ。
随分時が過ぎて、過去など既に記憶の地層に埋もれて久しいと思っていたのに、口を開けばすぐに時計を巻き戻せる。
研究所時代を全く変わらぬ合いの手、会話の呼吸。
可笑しくなって、声を殺して二人で笑う。
堂島の緩んだ目元が一瞬できつく吊り上がる。
「いつまで保つ」
「影時間一杯。それを過ぎればお釈迦様、だそうだ」
「何故そんな取引をした!」
血の気の引いた青い顔で、堂島は陽一を睨み付ける。
怒気に満ちた友の心情に、陽一は心の奥が震えた気がした。
表情が引き締まる。まっすぐに相手を見据えて、陽一は「俺自身のためだ」と付け加える。
「お前と、榎本。そして双葉。どうせ死ぬなら俺はお前達にケジメつけて死にたい。モルヒネ打って細々と生き長らえるなんざごめんだ」
「馬鹿が…だからって早まることは」
「早まってなんざないさ。
俺は、もう失いたくない。
全ての選択の先にある『死』が目の前まで来てるってのに、俺は自分の事しか考えられなくなってた。
夢と現実の狭間で試練と選択を与えられて、俺はやっと気づけたんだ。
もう大切なモノを手にしていた事。
それを、失わないために、力が残されていた事を…。
堂島。
俺、本当はお前に会わせる顔なんざ無い。
お前、見かけがおっかないだけで、本当は俺なんかよりずっと義理堅い良い奴だ。
ずっと、お前の好意に甘えてきて、詫びの言葉しか返せん俺を許してくれ。いや、許せないとしても…双葉を責めないでやってくれ。あいつの背負った罪は、全部俺の責任。全部背負って彼岸に持っていくつもりだ……。
ああ、すまん。駄目だな、最後までやっぱり甘えてらぁ」
「………」
バツが悪そうに頭を掻く陽一を、堂島は黙って見つめている。その目にこもっていた怒気は成りを潜め、代わりに静かな光だけが射していた。
「お前が影時間対応機器の主任として桐条に残ったのは、『娘達』のため、なのだろう?」
「ああ、そうだ」
「あの日、事故の少し前に交わした、約束…」
……
(『いいか、堂島…お前に、全てを、託しても』)
(『もとより、そのつもりだ。お前の口からその言葉を聞くために、ここへ来た』)
……
「覚えていたのか。…なら、それでもういい。俺は満足だ。…あいつらの事、忘れていなかったのだろう?」
堂島の問いかけに、陽一は「勿論」と即答した。
「だが、俺はあいつらを…いや、ガラティアを無意識で私物のように扱い、私欲を満たすために、己の私怨を晴らすために創造した。その報いがこれだ。無垢で純粋だったあいつらに、『生』としての意味すら教えてやれぬまま、『兵器』として結局死なせて…」
「いや、お前は娘達をきちんと一つの自我として愛していたさ。俺が一番良く知っている」
「買いかぶりすぎだ」
「そんな事は無い。それに…俺も、お前を笑う事も、責める事も出来ん。…俺も同じ、いやそれ以下かもしれん」
「…何が」
「俺は、自分の私怨を晴らすために娘を…テテュスを死なせた」
「なっ…馬鹿な!」
思わず大きな声が口をついて出てくる。
堂島は娘達の中でも、二番目の娘=テテュスを可愛がっていた。理論派で至極真面目な性格だったのもあるが、容姿や性格、教育に至るまで堂島が一番情熱を傾けていたのは彼女だったからだ。あり得ない。
「俺が、何故桐条に身を潜めていたか、お前には教えたはずだ」
「……ああ、覚えている」
桐条との因縁。堂島と、現総帥たる桐条武治との奇妙な縁。
聞いた当初は、鴻悦の業の深さに身震いしたのを覚えている。
堂島には、計画の当初から心に決めていた積年の思いがあった。
桐条の血を絶やす。
そのために、桐条内部に入り込み、機を見て一族を根絶やしにする。
己が怨恨を晴らす、そのためだけに生きてきた男だった。
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